えこひいき日記

2016年12月27日のえこひいき日記

2016.12.27

あっという間にこんな時期になってしまった。

今回の文章を書こうとし始めたのは10月末だったのだが、なんだかんだあって今になってしまった。
しかも今の私は昨日見てしまった『SMAP×SMAP』最終回のことでかなり頭がいっぱいなのだ。最終回を思わず夢中で見てしまったことも、かなり頭がいっぱいになってしまったことも、自分としては意外であった。

でも意外なことに出会えるのはいい。見えていなかったものが見えるようになるから。びっくりはするけどね。

私はコアなSMAPファンではない。(今年に入ってから、コアなファンが体調を崩したり、他者への怒りで心がまっくろになったりしてレッスンに来るのには何度か遭遇したが)
コンサートに行ったことはないし、アルバムも購入したことがない。
それでも流れる曲のかなりのものを何気に歌えたりした。びっくりした。流行るって、国民的って、スーパーアイドルって、こういうことなんだ。
影響を受けた自覚のない者にすらきっちり影響が及んでいる。

そして彼ら「SMAP」という「アイドル」が、いわゆる「聖人」「偉人」、芸の技術として「うまいひと」でもないんだけれど、「魅力的」と言う外ない存在であること、「個性」とか「人間味」で括るには濃すぎるほどの人間の業みたいなものを、一人一人が隠しようもなく備えていて、それを芸能という世界で身をもってさらすことをなんと「あたりまえ」に求められ、なんと「あたりまえ」に応えてきた人たちなのか…などということを考えてしまい、胸がいっぱいになった。

そして最後に歌われた『世界に一つだけの花』を見ていて、ああ、もうグループとして一緒にやれないんだな、と思った。ああいうのって、なんなんだろう。音が合っていないとか、振りが合っていないとかじゃなくて、もう合わせられないものが見える。美しいセットやカメラワークにはスタッフや演者の愛と、最後の放送を素晴らしいものにしようとする高い意識が見えて輝いてすらいるのに、もうひとつにはなれないものが見える。
そういうものも全部さらけだしてみせて、ファンや「みんな」に見せて、やっと終われるもの、進めることがあるんだと思う。言葉を使ったコメントや釈明では足りないものを埋めてみせたあのパフォーマンス(佇まい)。

伝えることも、伝わることも、すごいことだなって、改めて思う。

翻って自分の話になるが、
なんだか今年はいろんなことがあった1年だったなあ。
アーユルヴェーディック・ヨガ・セラピーの講師養成コースを受けたことはとても面白かった。
久しぶりに行ったスタジオでのワークショップも面白かった。
特に『「禍」→「福」ワーク』での展開は印象的で、参加者の中に大きな人生の舵きった人が複数いたことは感慨深かった。
内心そういう心づもりがあってワークショップに来てくださったのでもあると思うが、「このワークの影響で思い切れた」などと言っていただくと、なんとも感慨深いのであった。
自分で主催したものではあるが、私自身もこのワークから影響を受けた気がする。私もまたこれから先の年月のベクトルをどっちに定めるべきかと考え続けている。私がやりたいこと…

私的には、今年はかなり荷物の整理を行った。本やCDなんかだけでも、段ボールで6箱くらい処分した。あと、「なんとなく」入会したままになっていた会を脱してみたり。
一気にやったわけではないのよ。少しずつだ。そのたびに、自分がどうしたいのか、どういうのが「快適」なのかが少しずつわかってきた。
やってみるまでは、私は今身近にあるものはみんな「いるもの」だと思っていた。それどころか「まだ足りないもの」にばかり目が向けられがちだった気がする。
でも、ふと気になって、自分の持っているものを見直してみた。
そうすると、「あったら便利」と思っていたものが「なくても大丈夫」だとわかってきた。
「何かあったときのために」と用意をしたり、「これまではこうしてきてこういう結果を得られてきたから」という前例を重用するのも「自分自身を守る(大事にする?表現するための準備?)方法」だと思う。でも、身軽になったり、もっと細やかに「よけいなこと」をより分けて動きやすくしてあげるという「守り方」もあるんだと思った。言葉で言うほどディフェンスとオフェンスを区別しなくていい、というか。というか、ディフェンスかオフェンスかで生き方を決めなくていい、というか。

あと、アーユルヴェーダの体調管理を生活に取り入れてみて約一年経過。
ものすごく体調がいい。
それは「なにをやってもへっちゃらになった」という意味ではない。「やったらやっただけのことになる」という意味だ。無茶をしたらその結果が速やかに反映されるし、自分に合っていることを行えばきっつい時でもダウンしすぎないで(体調的にも精神的にも)物事に向き合える感じになる。変なやる気(結局緊張)で自分を盛り立てる必要がなくなってきたし、「ふつう」のままいろんなことに対応しやすくなった気がする。
それと、以前よりよくお腹が空くのを感じるようになった。以前だって、なかったわけではない。でも以前の感覚は「お腹(消化器の状態)」ではなく「血糖値」の上昇・下降感覚がかなり混じっていたと思う。今は「お腹」が空く。腸の調子がよりいいからだと思う。だから、純粋に食欲と消化のために自分の胃腸を使い、「空腹」以外のために食べることをしなくなった。

自分の講座でも言ったことだが、現代人にとって食欲はほかの欲の「代理」にされやすい。例えば本体は「慰められたい」「労わられたい」だったりすることや、「休みたい」などがみんな「食欲」に化けさせられることがあるのだ。そうして胃腸が本来の役割ではない「使い方」をされてしまう。それでいて本当の欲求は満たされることがない。こんな行為に慣れてしまうことが肉体的に、精神的に混乱をもたらさない方が、考えてみれば奇妙ではないか。

アーユルヴェーダを経験してアレクサンダー・テクニックでいうところの「からだの使い方」という観点を見直してみたときに、動作の効率や筋骨格的な負荷や手応えの感覚、それに基づく価値観だけの範囲でそれを考えるのではなく、胃腸だとか脳や神経をどう使っているからどう考えどう行動する習慣が定着しうるのかが意識の視野に入ると、より「人間」がわかりやすくなったような気がする。

「人間」とどう付き合っていきたいんだろう、とずーっと自問自答している。けして得意ではないにもかかわらず、ずっと関心を持ってきたもの。私は今後「人間」の「からだ」と、どう関わっていきたいんだろう。
でも昨日のSMAPで奇しくも背中を押された気がする。アタマの中で結論に達してからじゃなくて、戸惑いも迷いも、そのままやってみようかな、って。

来年も講座の予定を立てていきたいと思います。関心を持ってもあれたらとてもうれしい。
残り少なくなった今年も、来る年も、どうか皆さんにとって素晴らしい時間になりますように!

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