よくある質問

FAQ

「スタジオK」のレッスンを受けるに当たり、よくお問い合わせいただく質問とそれに対するアドバイスを簡単にまとめてみました。参考にしていただけると嬉しいです。
なお、当「スタジオK」主宰の芳野香・著『アレクサンダー・テクニックの使い方 「リアリティ」を読み解く』にも、詳しくアレクサンダーのレッスンケースや「よくある質問について」が収録されておりますのでよろしければ合わせてご覧下さい。
著作にも収録されている質問についてもここに書いておりますが、著作の方がより詳しく記載されています。

…著作に収録されている質問 …著作に部分的に収録されている質問

1.アレクサンダー・レッスンは何回くらい、どのようなペースで受けると身につきますか?

誠実にお答えするならば、その方が何をレッスンを受ける目的(あるいは動機)にしておられるかによります。

多くの方がレッスンに来るきっかけとなるは、習慣化された身体症状や行動への困難感や痛みなどです。例えば「いつもなんだか右ひざばかり痛くなる」とか「全くできないというわけではないが、特定の動作がなんだかぎこちない」などといった身体に関与する自覚を伴った問題意識です。ですからそのような動機的症状が改善された段階で「よし」とし、レッスンに一区切りつける方もいらっしゃいます。

ですがそうした問題への対処はレッスンとしては初期段階のものです。「このようなからだだから、自分にはできない」と思い込んでいたものが、実は自分の身体構造に合わない「からだの使い方」が習慣化していたものであったに過ぎないことに気がつき、「では自分には何ができるのか」に興味と楽しみを感じられた方は、困難感を動機とせずにより創造的な視点でレッスンを受けに通っておられたりします。

またペースについても、最終的には「その方にとって時間的、経済的、心理的に負担のないペース」というのが最良であり、画一的に決められるものではないように思います。機械的にペースを決めすぎてしまうと「レッスンを受ける(身につける)」ことよりも「ペースを守る」ことに目的意識が移行してしまうような本末転倒を招くこともあれば、なるべく安定して同じ時間と曜日に通ってきていただくことが心身の安定と落ち着いてレッスンを受ける環境作りに役立つ場合もあります。多くの場合、週1回以上のペースで来ていただく必要はありませんので、大まかな目安として参考にしていただければと思います。

教師(芳野)側のお勧めとしては、まずは一度レッスンを受けてみてご自分の今の状況に合うものか否かを判断されてから、その先のことを考えてみても遅くないと思います。レッスンを始める前から「何回受けねば」と決めてかかるのも現実的ではないでしょう。レッスンがその方に合ったものであった場合、最初のレッスンで何らかの手ごたえをつかまれることが多いと思います。もちろん1回のレッスンで問題が解決するわけではありませんので、すこし通ってもらったほうがよいと思います。気分的にも余裕を持ってお越しくださるとよいでしょう。

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2.幼年者、高齢者でもレッスンは受けられますか?

場合によりけりですが、アレクサンダー・レッスンは年齢で受講を制限するものではなく、基本的に興味をもたれた方ならどなたでも受けていただけます。

「スタジオK」では幼年者のメインクライアントは2歳から、高齢者では80歳台の方がレッスンに通っておられますので、安心してご相談ください。
幼年者や高齢者の場合、「ご自分の意思で自らいらっしゃる」というよりも御家族や保護者の勧めでレッスンにいらっしゃることが多く、きっかけとなる事柄としてもご家族や保護者から見て習慣的な身体の問題がある場合が多いです。せっかく推薦して頂いても、本人が乗り気ではない場合や、レッスンでお手伝いできることが少ないと判断した場合はレッスンをお断りする場合もあります。また継続的にレッスンを進めていく場合、特に幼年者は家族(保護者)との関係を切り離して考えられないところが在りますので、適宜ご家族とも相談しながらレッスンを進めたりしますので、ご協力をお願いすることもあります。
幼年者や高齢者でレッスンにいらっしゃっている方々は、身体に重篤な困難感があったり身体障害者の認定をされている方もいらっしゃいますが、バレエや体操を習っている子供や、山歩きや合気道をなさっている高齢者がより自分の身体能力を高めるために来ておられたりもします。

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3.身体障害、精神症状があってもレッスンは受けられますか?
── 特記:うつ症状のある方のレッスンの進め方について

これもケース・バイ・ケースですが、身体障害や精神症状を有することが自動的にレッスンをお断りする理由になることは少ないと思います。
レッスンをお断りすることある場合、それは多くの場合と同様に、レッスンをお受けになるタイミングとして今がベストではない、と判断した場合です。

「スタジオK」では筋ジストロフィー、小児麻痺、ダウン症、筋骨化症、聴覚障害、手術して部分的に義手・義足などになられた方などへのレッスンも行っています。またうつ症状、不眠症、摂食障害、不安神経症、自律神経失調症などの診断を受けた方にもレッスンを行っています。

レッスンをお引き受けできる理由は、アレクサンダー・レッスンではその障害や症状を「治す」ことを目的としていないからです。レッスンでお手伝い可能なことは「からだの使い方」による範囲です。無自覚に習慣化された少々無理のある「からだの使い方」は、ときにその方の状況を「症状や障害そのもの」以上に辛く深刻な状況にしていることがあります。そして本人の認識の中では、不適切な「からだの使い方」によって増幅された症状も含めて「障害の症状」だと認識している場合があるのです。
詳しくは『アレクサンダー・テクニックの使い方 「リアリティ」を読み解く』に紹介した「レッスン・ケース」を参照していただけたらと思いますが、「障害のせいだ」「仕方がない(改善の余地がない)」と思っていた身体症状の何割かが、実は障害そのものとは別の「からだの使い方」によって増幅されたものであることに気がつかずに、苦労されたり悩まれていたことがありました。ただしレッスンは「魔法」でも「治療」でもありません。過大な期待も、失望を恐れて自分が感じたものを認知しないような態度も、かえって失望を増幅させるだけです。レッスンはあくまで「それ」と「それ以外」を明確化し、自分なりにコントロールできる方法を学ぶ手助けに過ぎないことをご理解いただきたいと思います。
また、習慣化し、無意識化していた自分の「からだの使い方」を知って、変えていく、というのはそれなりに根気のいる作業ですので、あせらずレッスンに取り組んでいただけたらとおもいます。

特記:うつ症状のある方のレッスンの進め方について

最近厚生労働省がキャンペーンを行ったこともあり、以前よりもうつの症状を自覚し、ためらわずに診療をお受けになる方も増えてきました。スタジオKにもうつ症状を伴う問題、あるいはうつ症状の改善を目的としてレッスンにいらしている方も少なくありません。

うつはけして恐ろしいものではありませんが改善に根気を要することが多いです。
その症状は心的・感情的な疲労感、倦怠感を持って自覚されることが多いですが、身体的な症状を伴うことが多く、慢性的倦怠感、体のこわばり、力の入りすぎをコントロールしづらい(思うようにからだが動かない)感覚、ひどい肩こりや頭痛、腰痛、それらに伴う疲れやすさ無気力感、悲観傾向などを覚えていらっしゃる方が多いようです。

多くのレッスン・ケースと同様に個人差があることなので一概には言えませんが、うつ症状のある方にもレッスンは有効です。
自分に合ったからだの使い方、力の使い方を習得されることで、身体状況や心的状況をコントロールできるようになり気分的にも明るくなられる方が多くおられます。それは「うつ」症状そのものの改善というふうに感じていただける部分もありますが、主にはその方の元来の「ものの考え方のクセ」や「からだの使い方」について学んでいただくことで得られる改善といえるかと思います。つまり、現在感じている辛さは「うつ」だけに原因があるのではなく、その方が知らず知らすのうちに以前から行ってきた「ものごとの認識の仕方」や「からだの使い方」が必要以上にハードであったり誤解をはらんでいたがゆえに「うつ」の症状を高めている部分があることを認識していただき、元来の不要な心身の緊張を軽減することがレッスンのポイントです。それにより、単に「うつ」だけに対処しているのではなく、「うつ」症状が軽減していった後の生活にもある程度の自己信頼をもってレッスンで学んだことを生かしていっていただけるかと思います。

注意すべきこととして、うつ症状のある方がレッスンをお受けになった直後にはたいへん気分が良く、からだが軽くなったと感じる一方で(あるいは同時に)「大きな落ち込み感」や「からだのだるさ」「ある種の混乱感」を覚えることがあります。こうした感覚を全く感じない方もいらっしゃいますが、上記のどれか、あるいは全部を感じられる方もいます。「レッスンは有意義で楽しいのに、どうして・・・」と戸惑われることもあるようです。
うつの症状下では、クライアントは極端に変化に弱くなっていることがあります。微細な変化にも大きく動揺してしまったり、変化というものを全てネガティヴに関知することが多いようです。ですから「からだが楽になる」という変化や「楽しい」という感覚の変化にすらも疲労や混乱を感じることがあります。またうつ症状のある方は「持てる元気を全て消費してしまう」傾向にあります。身体的に楽になったり、元気が出たと感じるとそれをそのまま温存するのではなく、それを使い果たすまで動き回ってしまうということが少なくないのです。特にレッスンの直後は気分的にも体も軽くなるので、自分でも気がつかないうちに長時間ハイテンションでしゃべってしまったり、外出したり、いつもはしないようなことをしてしまったりして、その行動によって疲労を招き「落ち込み」や「急激な疲労感」につながっていることもあるようです。
特にうつ症状のある方には、よりよくレッスンを受けていただく上で以下のことに配慮していただくことをお勧めします。

  • 上記のうつの傾向(あらゆる変化が刺激に感じられる、疲労と認知されやすい、元気になるとつい動き回ってしまいやすい)を理解しておく
  • 「うつ」による疲労や苦痛の感覚と、ご自分の元来の「くせ」や「からだの使い方」による疲労感との違いと関連を認識しつつ、学ぶ
  • レッスンの後や翌日はゆったり過ごせるような日程を選択する
  • レッスンのペースについても教師と相談の上、根を詰めずかつ継続できるペースを選ぶ

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4.ここでの「レッスン」は「治療」とどう違うのですか?

アレクサンダー・レッスンにお出でになる方は、何らかの身体的困難感や痛みを持ちつついらっしゃる方が多いです。その部分だけをみると、整体や鍼灸、あるいは外科などに駆け込まれる動機となんら変わりのない動機でいらっしゃるようにも思えるでしょう。
しかしここでの「レッスン」と「治療」とが決定的に違うのは、「治療」は「治す」ことに目的がありますが、「レッスン」では「治る」ことは結果であり、また過程に過ぎないということです。

レッスンで注目することは「いかにしてその痛みをなくすか」ではなく「いかにしてその痛みは発生し、保持されているのか」です。自分でも気がつかないうちに奇妙なからだの使い方を習慣化させていて、そのために「痛い」「できない」状態に自分自身を導いていることが意外にも多いのです。その観点から「自分の誤解はどこにあるのか」を知識・体感の両面からクライアント本人に理解していただくことが「レッスン」ではポイントとなります。ご自分の誤解を理解し、自分のからだにあった「からだの使い方」を学ぶことで、痛みや困難感を理由にご自分の生活を諦める(例えば、続けていた運動を止めるとか、症状を改善させるには仕事を止めなくてはならない等の)ことなく、「何が自分にとって無理な動作か」「どのような感覚は無駄な力みなのか」などがわかるようになる適切な判断力を身につけ、第一次的な症状が改善した後もまたその状態に逆戻りすることがない「自分のやり方」を考え、学んでいただくことがここでの「レッスン」の最大の目的です。

また、こちらのレッスンにおいて、痛みや困難感の改善は「レッスン」への入り口となることは多いですが、必ずしもゴールではありません。最初の問題であった痛みがなくなった後も、より発展的にご自分のからだの使い方を学べるのも、こちらでの身体的アプローチが「レッスン(学ぶこと)」であるからこそです。このあたりのことは拙著『アレクサンダー・テクニックの使い方 「リアリティ」を読み解く』に詳しいのでご一読いただければと思います。

別の視点から少し辛口のことを申し添えるならば、ご自分の身体や思考について学び改善する意欲のない方には、このレッスンは必ずしも有効ではないと思います。ご自分では「意欲的に学ぶ意思があります」とおっしゃる方の中にも、単に他者に依存的であるだけであったり、あるいは単に他者に対して排他的挑戦をすることを「意欲」と勘違いしていらっしゃる方もおられます。そのように判断される場合、レッスンをお断りすることがあります。

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5.他の身体技法、治療、体操などと並行して受けても大丈夫でしょうか?

基本的には問題ありません。レッスンと、並行して行っている事柄のどちらをも有意義に進めたいのであれば、どのようなことをなさっているのか、具体的にアレクサンダー教師の相談しながらレッスンを進めるとベストでしょう。

アレクサンダー・テクニックのレッスンでは「アレクサンダー・テクニックでしか行わない動作やポーズ」というものを教えることはありません。独自の用語で特定の動作に名前を与えていたりはしますが(例えば、立位で膝を曲げ前かがみになったポーズを「モンキー」と呼んだり、立てひざで仰向けに寝転んだ姿勢を「セミ・シューパイン」と呼んだり。しかし芸のない直訳の用語だねー)、それは動作そのものが他のメソッドの動作や日常生活にはない特殊なものというわけではありません。では、なぜそのような「特殊でない動作」をわざわざしてみるかというと、それは無意識の既成概念にとらわれない切り口で自身の動作と動作に伴う意識を見直すことの方にこそレッスンの意義があるからです。
さまざまな動作やシチュエーションと矛盾しない「からだの使い方を学ぶ」ことは、並行して行っている他の技法や治療を邪魔するどころか、むしろ効果的なコラボレーションとなることが期待できます。多くの芸術家(舞踊、音楽、演劇など)やスポーツをしておられる方がアレクサンダー・テクニックを学びに来られるのもそのためです。アレクサンダー・テクニックを学ぶことは「これまでのやり方(練習方法やメソッドなど)を捨ててアレクサンダー・テクニックに乗り換える」というような短絡的ものではなく、むしろ「これまで身につけたものをより生かすための再構築作業」と捉えていただくほうがよいかと思います。ですから「コラボ」については是非率直に教師と相談されることをお勧めします。

ただ、「購入しない品物のカタログを集めるような態度」で複数の技法や治療に並行して通っておられる場合や、ご自身の困難感や痛みと並行して施術者や教師に対する不安感や疑心暗鬼が嵩じ、いわゆる「ドクター・ショッピング」的に複数の治療行為や体操、技法を行っておられる場合には、クライアントが良好な学習状態に身を置くのは困難と判断させていただき、レッスンの中断を提案させていただく場合もあります。いかなる場合でも、ご自身の現状と冷静に向かい合う態度に著しく欠ける方がレッスンをお受けになることは効果的ではありません。

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6.ちなみにどのような人たちがレッスンを受けていますか?

例えば

職業別

ダンサー、ダンス教師(バレエ、モダン、ジャズ、タップ、社交ダンス、ヒップホップ、コンテンポラリー、舞踏、日本舞踊、インド舞踊、バリ舞踊などなど)、モデル(ショー、スチールなど)、俳優、映画関係者、音楽家あるいはその学生・教師(声楽、ピアノ、フルート、ホルン、トランペット、クラリネット、バイオリン、チェロ、ギター、ティンパニー、パーカッション、ドラム、和太鼓、鼓、三味線、篠笛などなど)書道家、茶道家、陶芸家、染色家、彫刻家、画家、各種デザイナー、建築家、各種インストラクター(フィットネス、ヨガ、ピラティス、水泳、ストレッチ、親子体操、ウォーキングなどなど)ボディービルダー、武道家(空手、柔道、剣道、弓道、居合、合気道、合気柔術、中国武術各種、総合格闘技など)陸上競技選手、体操選手、エステティシャン、アレクサンダー教師あるいは勉強中の方、心理学関係者・カウンセラーなど、気功師、鍼灸師、理学療法士、言語療法士、各種整体師、医師、看護士、介護・福祉関係者、学校教師(保育園、幼稚園、小学校、中学校、高等学校、大学、養護学校、専門学校、予備校など)、研究者(科学系が主)、弁護士、警察官、宗教関係者(仏教関係、キリスト教関係)、占い師、サラリーマン(事務職主体の方もいれば肉体労働主体の方も)、主婦(といっても、趣味や健康状態は多彩)、無職、学生などなど

年齢層

メインクライアント(付き添いや見学者ではなく、その方がレッスンをお受けになる主体者)としては2歳~87歳くらいの方々

性別

男女両方いらしています。(ちなみに性転換を受けられた方、「自分は性同一性障害ではないか」ということで性別によるアイデンティティが表明しづらい方もレッスンにいらしています)「スタジオK」では性別が理由でレッスンをお断りすることはありません。

健康状態

いわゆる健常者が最も多いですが、特定の持病、身体障害、精神障害がある方もレッスンにいらっしゃいます。
基本的に自分で通える状況の方が多いですが、中には保護者(介護者)を伴い車椅子などでいらっしゃる方もいます。健康状態によってはレッスンを見合わせた方がよい場合もありますが、一概にはいえませんのでレッスンをご希望の場合は相談してくださる方がよいと思います。

レッスンを受ける最初の動機で多いもの

  • 何らかの身体症状を伴う慢性化した(あるいはしつつある)困難感、痛みなどの改善を目的に(例えば慢性的な腰痛、肩こり、筋肉が緊張しやすい、つりやすい、からだが硬い、特定部位ばかり傷める、後遺症(と思っている場合も含めて)などの自覚的症状など)
  • 特定の「できない動作」を打開するため(例えば「長時間立っていられない」「座っていられない」「少し歩くと疲れる」など、特定の行為や動作に困難感と改善の余地を感じているなど。あるいはダンスや体操、音楽の演奏テクニックなどの打開策を見出すためにいらっしゃる場合も)
  • 何らかの行為、動作を伴う精神・心理的な困難感を自覚して
  • 特に困難感や痛みはないが、自分のからだを知るために(ダンスや音楽などの表現者、治療関係者に多い)
  • ひとに紹介されて(紹介者はレッスンをお受けになったことがある方か、あるいは相談者と同様の症状で悩んだことがある人である場合が多い)

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7.自分にあったアレクサンダー教師を探すには?

「自分の住んでいる地域によいアレクサンダー教師はいないでしょうか」「海外に移住しますが、そこでもレッスンは続けられるでしょうか」「来日しますが、○○語が話せる教師をご存知ですか」等のお問い合わせを頂くことがしばしばあります。

ここでは「アレクサンダー・レッスンを受けたことがないけれど、受けてみたいな」と思っておられる方や、「今のレッスンに何となく疑問を感じている」「他の先生のレッスンも受けてみたい」という方のためのアドバイスを簡単に書いてみたいと思います。参考にあるようであれば幸いです。

1)貴方にとって最も大切な条件は何か?を考えてみましょう。

レッスンを受けるにあたって、現実的にあなたにとって最も大切な条件とは何なのかを考えてみましょう。現実的には以下のポイントになると思います。

  • 物理的条件:場所?時間?料金?……どれが自分にとってのポイントなのか
  • 何が学びたいか:教師の個性と技量、自分との相性・・・そのための情報収集を行う

「近くに、レッスンを継続しやすい、納得のできる料金で、すごくよい先生がいる」ことがもちろん環境としてベストですが、それぞれの条件が「どのくらい」満たされるかは、ご自分がどの条件を最も重視されるかによると思います。
初めてレッスンを受ける方は、特に「暫定的に」ポイントを絞る方がよいかもしれません。例えば「近いこと」が条件的に重要だと考えた方の場合「とりあえず、一番近くの先生に・・」とレッスンを受けてみて、もしもそこで質的に充分に満足の行くレッスンを受けられなかった場合は、「ちょっと遠いけど、この先生はどうか」というふうに、条件を拡大していくのもよいでしょう。
口コミの情報などもアンテナを張っておくとよいかもしれません。ご自分が信用できる友人・知人の感覚や情報は安心して目安や参考にしやすいでしょう。
もしも明確に「こういうことが学びたい」「この人に学びたい」というあて(?)があるのであれば、とりあえずそこにレッスンを受けに行ってみる方が後悔が少ないように思います。「でもちょっと遠いから、通えるかどうかわからない」「次はいつになるかわからないし・・」という場合でも、とりあえず一度受けてみるほうがよいように思います。遠くても自分に合った質の高いレッスンが受けられることは重要です。
現在、日本で活躍しているアレクサンダー教師のレッスン・スタイルとしては、欧米ほどの多様さあるいは細分化はされていないことが多いようですが、教師の経験や指導分野によってより「得意な分野」を持っている教師もおられます。ご自分の要望と合えば望ましいレッスンをセレクトできる場合があります。自分の要望を伝えて、問い合わせてみるとよいでしょう。

教師の私のレッスン経験(自分が受けた経験と、教えた経験)から申し上げるなら、たとえ多少回数は少なめになっても、相性がよく、学ぶ意欲の高いレッスンというのは「吸収がよい」ように思います。「身についた」レッスンの内容は、それを「覚えている」というよりも、必要なときにふと「思い出せる」ものという気がします。そのように「使える」内容を身につけてもらえる方が、教師としても嬉しいです。例えば私のところへは遠方や海外からのレッスンにいらしている方がいます。中には年に1回しかお会いできない方もいらっしゃいます。たいてい皆さん「やはりしばらく来ないと忘れてしまって・・・」などとおっしゃるのですが、それでも「全く元に戻っている」というケースはありませんでした。教えている側がこんなことを言うのもなんですが、「一年空いていれば、すっかり忘れていてもしょうがないよなあ」と内心思いながらレッスンをはじめることもあるのですが、いざ始めると「思い出せる」要素が意外と豊富にあり、それにまた積み重ねていける要素があることに驚かされることがあります。私がその方にお会いする時間は実に限られたもので、それ以外の時間の方が圧倒的に長いのですから、「レッスン以外」の日常の中でその方がどのような意識を持って過ごされるかが「からだの使い方を習得する」際のポイントになります。その方の意識に残るレッスンができたことを喜びつつ、それは私の力だけではなく、クライアントさん自身の日常への興味や意識の高さが無理のない形で存在してこそえられる結果だと思っています。
レッスンがご自分に合ったものであれば、早い方なら最初のレッスンの直後から自分の日常的な動作の中の「普段なら‘そんなものだ’と見過ごしてしまいがちな、自分の身体行動の矛盾や無理」に「痛くなってから気がつく」のではなく「ライブで」気がつくことができるようになるでしょう。「その瞬間」に気がつくことができる感受性を養うことがレッスンの目的の一つでもあります。多くの方がレッスンで指摘される「自分が無意識に行ってきた奇妙な筋肉のこわばり」や「力み」に驚かれることでしょうが、そのようにちょっと我慢すれば見過ごしてしまえるからこそ、奇妙で無理のある「からだの使い方」もそのまま定着してしまい、長期間にわたって自分自身を苦しめたり、誤った認識で自分の可能性を限定してしまったりすることができるのです。
また、全く逆の話ですが、個人的な経験として、私はアメリカで「全く相性が合わない教師」のところに定期的にレッスンを受けに通い続けてみたことがあったのですが、やはりそこでのレッスンによって「身についた」と呼べるようなことはないという結果に終わりました。その先生自身はよい方ですし、その方のレッスンを「よい」という人もいたのですが、率直に言って(残念ながら)最初から私にはぴんと来ませんでした。しかし「何がぴんと来ないのか、わからないのをわかりたい」という妙な探究心に駆られ、通ってみたのでしたが、だめでした。
軽率な判断も禁物ですが、妙な我慢も不要です。自分の感覚と相談しながらレッスンを受けることは大切です。

2)検索サイト

英国の公認教師協会STATの運営するアレクサンダー教師の検索サイトがあります。英語での入力になりますが、正式な教師教育を受けた登録教師三千人以上からの検索が可能で、日本人教師の登録もあります。「地域」「教師名」等の複数の検索要素からの検索が可能です。

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8.外国人教師からレッスンを受ける際に

現在日本国内でアレクサンダー・レッスンを受ける場合、日本語が話せない外国人のアレクサンダー教師からレッスンやワークショップなどの指導を受ける機会も少なくないかもしれません。日本国内に在住の外国人教師もいれば、来日して指導する外国人教師もいます。日本人教師の数も多くない現状としては、これもレッスンを受ける機会として利用するのもよいでしょう。
ここでは簡単に、日本語を母国語とする人間(簡単にいえば、日本人)が日本語を話さない教師からレッスンを受ける際のアドバイスをまとめておこうと思います。参考になれば幸いです。将来留学してアレクサンダー教師の資格をとろうと思っている方、あるいは広く海外留学をお考えの方にも参考にしていただければ嬉しいです。

1)「ことば」のプレッシャーをすなおに考えよう

外国語でアレクサンダー・レッスンを受ける際の留意点は、レッスンそのものへの集中が言語的問題によってどの程度阻害されるか、という点です。通訳者がレッスンの手助けをしてくれることもありますが、通訳者が通訳するのは言葉であって、教師が言葉とともに使えようとしているニュアンスや意味は含まれません。言葉を追いすぎるとやはり集中力がそがれ、教師が真に伝えようとしていることが見えにくくなることも少なくありません。しかし、ではクライアントが語学的にその外国語に堪能であれば問題が皆無かといえば、それだけのことでもありません。

語学的な意味で苦労がないはずの母国語でのレッスンにおいても「自分が今感じていることを言葉にする」というのは容易なことではありません。自分の感じていることを正確に表す言葉にめぐり合えずに、なんとももどかしい気分になったことのある方も少なくないでしょう。アレクサンダー・レッスンにおいては「感じていることを言葉にする」ことは重要なことです。「偶然」や「その場限り」のものではなく、自分にふさわしい「からだの使い方」を身につけるためには、行動と認識に結びつきは重要だからです。ですから特に「外国語だから」というのではなく、「ことばにすること」の大変さについては、事前によく自覚しておくほうがレッスンが受けやすいと思います。
外国語でレッスンを受ける際には、レッスンにおける「ことば」役割を十分に理解しておく必要があるでしょう。「身体ことなんだから、言葉のことは二の次だろう」という考えは、残念ながら甘い考えです。自分の身体の動きは「じぶんのことば」となるべきものです。それは語学的なレベルでの理解ではなく、「自分の動作やそれに伴う感覚がどのように言語と結びつくか」という問題でなのです。たとえ語学的なレベルでその外国語に堪能な人であっても、レッスンにおいて「自分の感覚」を言葉にしようとして時には、その外国語ではうまく発想できず日本語で考えてしまう・・・というのはよくあることです。普段は意識しないことでしょうが、それほど感覚と言語の結びつきは深いと考えるべきでしょう。私がニューヨークの音楽大学やジュリアードで教えたときにも「言葉が出てこない」というのはよくある光景でした。留学生としてはつい「自分の語学スキルが甘いから、言葉が出てこないのではないかしら」とあせったり落ち込んだりしがちですが、実はこれは「(外国語の)語学力」の問題とはすこし違う問題なのです。だって、レッスンでは母国語でもことばにしにくい「身体感覚を言語化する」ことをしているのですから。言葉がうまく出てこないことをして、その人が理解できていないと判断するのは早計です。ためしにその人の母国語で聞いてみると、すらすらではなくとも、「ことばにできる」感覚が存在していることがわかり、けしてレッスンを理解していないことが「ことばがでる」ことを通して判明して、生徒も教師も安心する、ということはよくありました。

理想的をいえば、継続的なレッスンは、自分の身体感覚の形成に即した言葉(母国語)でレッスンを受けるべきです。しかし、身近にその機会がなかったり、例えば来日中の教師にレッスンを受ける「稀なる機会」を得ることもあるでしょう。そのような際には「ことばにあせらない」心がまえを得た上で、参加されると有意義ではないかと思います。外国語だからということに限らず、対人関係や話すことにプレッシャーを感じやすい人は、理解できていないことでもつい「はい」と言ってしまったり、適当にそれらしい返答をしてしまったり、本当には納得していないのについ動いてしまったりという傾向があります。外国語でレッスンを受けるときには、そうしたプレッシャーが強化されることがあることを心得ておくと、いくぶん助けになるかもしれません。日本語のレッスンではそう感じていない人でもそういう傾向が浮上してくることがあります。言語的に、あるいは意味的に、わかりにくい言葉や指導に出会ったときにも、あせって反応せず、ちょっとまってどのようにわかりにくいかを考えたり、すこし丁寧に様子を見てみたりするとよいでしょう。そうすれば外国語による指導もけして言語的なハンディではなく、むしろ日本語でなら反射的に応じてすまえるところを立ち止まって考えられる(アレクサンダー・テクニックで言うところの「inhibition:ついいつものパターンで考えたり、反射的に行動してしまうのではなく、その行為そのものに自覚的になる」)の機会として、活用することが出来るでしょう。

2)「言語」の違いは「認識」の違い・「思考の順番」の違いでもあると心得よう

その言語で生きているときには自覚しにくいことですが、「行動は言語に規定される」部分があります。行動としては頻繁に行っている、いわゆる「くせ」や「習慣」がその頻度にもかかわらず本人に自覚されにくいのは、その行動に当てられる言語(認識)が欠如していることによることがあります。一方で、ある種の思い込みや規制によって習慣化・タブー化してしまった行動は、その行動が認識されたときの認識に依存する部分があり、その認識以外の立場から行動を見直さない限り、癖や習慣を解除しにくいという部分もあります。つまり、その言語の文法に即した順番にものごとを認識し、規定したり分類したりして、行動に結びつける(あるいは「行動をどの順序で認識し・・・」という逆の手順も然り)ことをしているわけです。ですから、文法が著しく違う言語でレッスンを受けることは「(言語的に)物事を認識する順序が全く違う」フィールドで身体行動をされているのだと、自覚してレッスンに臨んだほうがよいでしょう。
例えば、その外国語が比較的日本人にもなじみの深い英語である場合でも、日本の(あるいは外国人教師の国の)文化圏にない身体行動や身体名称の名づけ方、それに伴う認識が多々あります。外国語でレッスンを受ける場合に注意しなくてはならないのは、こうした「文化的な異なり」がしばしばただの「間違い」として処理されてしまいがちなことです。あるいは「文化的な違い」ではなく「からだの使い方の間違い」をその文化を知らないためにそうと見抜けないことです。特に日本人のクライアントは、「教師」という立場にある人物を無批判に見ていることが多いので、時々とんでもない勘違いが見過ごされていることがあります。物理的な問題だけとっても、欧米人の骨格と東洋人の骨格に身体的な違いがあるのですが、その知識がなく、日本人の骨格とそれに伴う姿勢や動作パターンの特徴(教師の自国の人種との違い)を見慣れていない教師には、それが人種的・文化的特長によるものなのか、個人の癖によるものなのか、見抜けないこともあります。
こうした悲しい誤解を防ぐには、レッスンを受けるクライアント自身が「賢い消費者」となって、「肯定的理解に至るための開放的な懐疑的態度」でレッスンに向かうことが大切でしょう。そうすれば、異なる文化圏の認識に基づくレッスンも、自分にとって「あたりまえ」になっていた自分の文化や、身体についてより自覚を深められる貴重な機会となるでしょう。

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9.複数の教師から(並行的に)レッスンを受けることは効果的ですか?

端的にお答えするならば、全くレッスンをお受けになったことがない方が最初からこのようなレッスンの受け方をなさることはお勧めできかねます。
まず「ご自分に合った教師」(前記「貴方にあったアレクサンダー教師を探すには?」に戻って参照してくださいね)をみつけ、そこである程度ご自分の学習を進められてから、興味の移り変わりや目的に応じて別の教師のレッスンを受けてみる機会を得ていくほうが有効かと思います。アレクサンダー・レッスンにおける教師とクライアント(生徒)の関係は、「いったんレッスンを始めたら、その教師からしかレッスンを受けてはならない」というような「師弟(指定?)制度」ではありませんので、ある教師のレッスンを受けている期間中に別の教師にレッスンを受けることは禁止されているわけではありません。ポイントは、レッスンをお受けになるクライアントがその必要性を自分自身に問い、責任を持って行動されることだと思います。

現在では様々なメディアやサイトに教師や団体の名称及びリストが掲載されていることもあり、どの教師にレッスンを依頼すべきか迷われるのも無理からぬことかもしれません。また、中には長引いた身体的精神的苦痛からか、何事に置いても悲観的に物事の展開を考えてしまいがちで、自分の判断力、責任能力に自信をもてない(または持ちたくない・・・万が一「失敗」したときに苦痛を味わいたくないから)方もいるようで、現行の教師に時に不満がなくても(あるいは全くレッスンを受けたことがない段階から)「他の(あるいは、多くの)教師からもレッスンを受けておいた方が“損をしない”のではないか」と考えてしまい、継続的な学習環境を自ら妨げてしまう方もいらっしゃいます。何事によらず「現実的ではない不安感」を基準に行動を選択することは、お勧めしかねるところです。
基本的にレッスンとは「個人的なもの」であり、個人の、個別の責任において成立するものです。ご自分が何を望んでレッスンに望むのかを適宜問い返しながらレッスンに望まれることがレッスンの質を高め、教師とのよりよい関係を築く基本になっていると思います。

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10.アレクサンダー教師になるには?

アレクサンダー・レッスンを受けているうちに「教師になりたい」と考え、相談にいらっしゃるかたもいれば、レッスンを受けたこともないのに「教師になる方法を知りたい」と問い合わせてくる方もおられます。
いずれにしろ、アレクサンダー・テクニックと、それを指導する「教師」という仕事に興味をもっていただいて嬉しく思います。

ただし、『アレクサンダー・テクニックの使い方 「リアリティ」を読み解く』にも書きましたが、「教師になる」ことと「アレクサンダー・テクニックを身につける」こととはイコールではありません。「教師になる勉強をすれば、自動的に身にもつくのではないか」と考える方もおられるようですが、残念ながらそれは短絡的なアイデアと言わざるを得ません。ご自分に自信のなく、現在のご自分の状況に不満を持ち改善をあせっている方ほど「資格」にこだわり、行動をあせる傾向がありますが、そのような一足飛びの行動に踏み切っても結局苦労の割に結果は芳しくなくせっかく得た資格でも「使えない」ものに留まるように思います。そのようなかたちでの資格の取得は、それを許すような質の低い教育機関の存在を支えることにもつながります。こうした事態はやがて本当に興味をお持ちの方やレッスンを必要とされている方への理解の妨げとなり、日本におけるアレクサンダー・テクニックの評価を下る事態に発展しかねません。私のところへは十分な教育を受けていない教師から受けたレッスンに対する不満やクレームが報告されています。
また、世界中には大小さまざまな、公認・非公認のアレクサンダー教師の「学校」があります。「教師選び」と同様に、ご自分にとってのプライオリティー(条件の優先順位)は様々でしょうが、教育体制の面から考えて、現在私が推薦できる教師養成学校は私の母校でもあるACAT等の「公認」の学校です。そうした教育機関は残念ながら現在日本はありません。お勧めできる教育機関は海外にある学校ですし、言語的(文化的)にも経済的な意味でも条件はハードですが、本気で教師になることをお考えの方は、まずこちらを検討してみてください。

まず「なる」ことよりも「活かし方」を考える

何も「アレクサンダー教師になる」ことだけがアレクサンダー・テクニックのレッスンを通して得たものを活かせるステージではありません。
例えば、「スタジオK」にいらしている方の中には、様々な分野のプロ・・・例えば、音楽家やダンサー、俳優、映画監督、スポーツのコーチや選手、鍼灸師、外科医、内科医、精神科医、心理臨床関係者、言語療法士、養護教員、学校教員、等々・・・がおられます。そうした職業をお持ちだからといって、レッスンにいらっしゃる動機がすべて職業に関与したこととは限りませんし、むしろ「距離をおいて」(直接的に「自分の仕事に役立てる」というスタンスよりも「まず、自分のため、自分のからだを知る」というスタンスで)レッスンにいらしてくださるようアドバイスすることのほうが多いのです。しかし自分に適した「からだの使い方」を学ぶ中で、それとは知らずに自分の中に定着していた無理な「からだの使い方」や「考え方(認識)」を「しない」ようになり、感受性や観察力が向上し、仕事の効率や創造性に喜ばしい影響が出ることは珍しいことではありません。中にはそれぞれの分野で画期的な仕事をなさった方もおられます。そのように「その人らしくがんばれる」サポートをできることは、アレクサンダー教師としてとても嬉しいことです。アレクサンダー・テクニックは、それを学ぶ者がアレクサンダー教師になることで「完成」するようなものではなく、その方に合った「使い方」をされてはじめて活きるものです。下手にアレクサンダー教師などになるよりも、本当にアレクサンダー・テクニックを実践し、自分を活かす方法はいくらでもあります。かつて作家オルダス・ハクスリーやノーベル賞受賞者のニコラ・ティンハーゲンがアレクサンダー・テクニックに非常な信頼を置いて賞賛を示したのも「自分に合ったからだの使い方を知る」レッスンが「自分の才能を開く」きっかけの一つとなったからでしょう。
私の恩師のいった言葉の中に「ふさわしくない教師がしばしば一番怠慢な生徒になってしまうことがある」というのがありました。自分の能力の「活かし方」がわからない人間が資格者や指導者になってしまった場合、ただその立場や権威にしがみつき、他者を見下すことで自分を守るのに精一杯になってしまうことがあります。もともと資格を取得するのは「免罪符」的な自己保身の意味しかないので、残念ですが、そのような人間が「他者の才能を開花させるのを手伝うプロ」(教師)という仕事を行うのは非常に難しいでしょう。せめて他者の邪魔にならなければよいと思うのですが、時には積極的に困った存在になってしまうこともあります。
人の「向上心」と紙一重の「不安感」を煽る「資格商法」めいた手法は巷にあふれています。そこまでの積極的な悪意はなくても、「不安」とみわけのつかなくなった向上心にせきたてられて摂ってしまった資格だけれども、特に使っていない・・・ということは珍しくないでしょう。それは残念ながらアレクサンダー・テクニックだけが免れえる問題ではありません。どうかあせらず冷静に、どうすることが自分の能力を活かすことなのか、何が自分はやりたいのか、考えてから選んでみてください。

公認の教師養成機関が課しているエントリーの条件など

細やかな条件は各学校によって多少の違いがある場合がありますが、ちなみにACATにおいては以下のような条件が設定されています。

  • 公認アレクサンダー教師に30回以上の個人レッスンを受けた経験があること
  • 21歳以上であること
  • 4年制大学の卒業資格を有すること。もしくは3年以上在籍したことを証明できること。
  • 自分がメインにレッスンを受けていた公認アレクサンダー教師からの推薦状があること
  • 入学を審査する3名の教師からレッスンを受けて、入学の承認を得られること

公認の教師養成機関の養成プログラム

生徒個人の能力や、学校によって多少のアレンジはありますが、STAT(アレクサンダー教師協会・本部は英国)の定めた基準としては、「年平均36週間、週5日間、1日3時間の合計1600時間からなる3年間のトレーニング」とあります。ACATではこれに加えて「週に1回の個人レッスン受講」も義務となっていました。
教師養成プログラムの課程で、多くの研修生はさまざまなことを考え、時には悩むこともあるでしょう。自分の「からだ」のことだけを学ぶのとは違い、「からだ」にたいして無自覚な他者にどのように接することが「教える」ことになるのか研修します。トレーニング・プログラムでは単に「教え方」「身体への触れ方」のスキルや、解剖学、心理学などの「知識」を学ぶのに留まらず、「辛い癖なのに習慣化していて、しかもそのことに本人が無自覚である状況下で、教師は何ができるのか」というマニュアル的正解のない問題に取り組まねばなりません。それは時に自分自身の癖や、悩み、過去の経験といった「無意識の扉」をより深く開いてしまう作業でもあります。自分自身と向かい合いながら、他者と向かい合うために、クラスの授業のほかに「個人レッスン」や、あるいは「クラス・ミーティング」といった話し合いの場が用意されていたりします。
ちなみにACATでは、そのうちの160時間をAIS(Approved Independent Study)と呼ばれる教育プログラムにあてています。これはかなりユニークというか、プロの教師となるにあたって有用なプログラムだったと思っています。研修生はアレクサンダー・テクニックに関することだけを学んでいればよいのではなく、例えば心理療法やフェルデンクライス・メソッド、ロルフィング、指圧、様々な種類のマッサージ、気功等々の「他の身体技法」を研修することが義務付けられ、レポートを提出することになっています。私なりには、それは「それぞれの技法がそれぞれの視点で身体をみており、それぞれのよさや共通点もある。ではなぜ私はアレクサンダー・テクニックを学ぶのか」という「自分の作業を問いなおす」作業にも思えました。もちろん他の技法への見識を深めるという側面もありますが、狭く自分の技法だけに閉じこもるのでは勤まらないのが「からだの使い方」を教えるアレクサンダー教師という職業の特徴でもあります。
またACATでは最終学年に「インターンシップ」(学校の教授の監修の下、実際に外部の生徒を教えてみる)や「Professional issue」というクラスが加わります。
「プロフェッショナル・イシュー」とは、プロの教師になったなら直面するであろう様々な問題について討議するクラスです。

このような充実したプログラムが用意できるのも、欧米においては既にアレクサンダー・テクニックは歴史があり、その効果や広い応用性について認知もされており、アレクサンダー教師以外の「アレクサンダー・ユーザー」というべき多くの実践者がいるからこそと言えるでしょう。
現在日本においては、STATの公認を得ない教師養成プログラムがスタートしていたりします。そうした場所で学ぶことも一つの「学び方」ではあると思いますが、それがアレクサンダー教師以外にアレクサンダー・ユーザーがいないような貧しい環境を作り出さすことのないよう願っている次第です。あとは「アレクサンダー・テクニックを学びたいな」「教師になりたい」と思った側の人間がどのような選択をするかに託されているのかもしれません。

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11.アレクサンダー教師の“就職”

アレクサンダー教師の公認資格(あるいは非公認資格)を認定された後に「はたしてその資格で食べていけるのだろうか」という心配をされる方も少なくないかと思います。
アレクサンダー教師としてだけの収入で生計を立てられる教師ははけして多くありません。欧米においても、日本においても、現実は甘くはありませんし、儲かる職業でもありません。(ちなみに私(芳野)はアレクサンダー教師の仕事だけで生計を立てている、珍しい?人間です。自営業で、青色申告をしています)しかし就職問題はアレクサンダー教師だけの問題というわけではなく、あらゆる資格、就職の問題に多少ならず存在することでしょう。また、自分の能力を適切に提供する手段として、必ずしもフルタイムの教師になることがふさわしくない場合もあります。

以下、私の知っている限りでアレクサンダー教師がどのように生計を立てているかをご紹介しておきます。

生計の立て方(主にアメリカでのケース)

  • 1)生計を立てる別の職業をもっていて、教師の仕事もする
  • 2)教師としては活動しない
  • 3)教育機関への就職
  • 4)これを職業としてレッスンで生計を立てる
  • 5)学校経営

一応、割合として多い順に並べてみました。
最も多いのは、「生計を立てる別の職業を持っていて、アレクサンダー教師の仕事もする」というものです。とはいえ、その背景には様々な事柄があります。ひとつは、前記の「アレクサンダー教師になるには」の中でも紹介しましたが、特に欧米ではアレクサンダー教師の勉強を始める前に既に何か「教える仕事」をしていて、そのスキルをさらにグレードアップさせるために教師になる勉強を始める人が少なくないことがあります。例えば、音楽の教師が生徒を教える上でアレクサンダー・テクニックの有用性を感じ、教師の資格をとる、といったようなケースです。そのような場合、その人のメインの仕事(主要な収入源)はこれまでの職業で、アレクサンダー教師としてレッスンを指導するのはその職業にかかわりのあるクライアントが主体であったりします。私の著書の中でも「より専門的で限定的な分野で教えるアレクサンダー教師」の存在を紹介しましたが、「来る者拒まず」で広く多くのクライアントを取ることがその教師の能力提供につながらないケースもあります。教師が自分自身の能力を見極め、適切に能力を提供するスタイルとして、生計の立て方にどのようにこの資格を組み入れるかは、大切な選択といえるでしょう。
また、アレクサンダー・テクニックがその方の既存の職業とさほど密接な関係をもたない場合、時間的・能力的な問題として「空いた時間だけレッスンを教える」「週末のみレッスンを教える」というケースもあります。その場合、広く一般にレッスンを受けたい人を受け入れる場合もあれば、ごく限られた人(紹介など)に教えている教師もいます。
次に多いのは、意外かもしれませんが「教師としては活動しない」というケースです。「自分自身にアレクサンダー・テクニックのアイデアを生かすのは楽しいけれど、そうしながら誰かを教えるということは、自分には向かない」として、卒業後は教師として活動しない人も意外に多いのです。それも自分の能力を活かすこと、「プロとは何か」を真剣に考えるからこその勇気ある選択と言えます。他者の「くせ」や「習慣」を、その人の個性や才能、気持ちを傷つける形ではなく、知らしめて、改善の手助けをする、というのは実に神経を使う仕事です。あせって教えると、それは他人への押し付けや、ただの「あげつらい」、「悪意なき暴力」になりかねない部分があります。諸事情を見極めて、このような選択をされる人もいます。しかしアレクサンダー教師としての活動(収入を得る)ということはなくても、そこで学んだセンスを別の職業に生かして活躍している人はたくさんおられます。例えば、ニューヨークで同期だった友人は大手銀行に勤めていて、「銀行員として」学んだセンスを生かしているようです。彼は「教師」として活動することはほとんどありませんが、接客や、交渉、社内のストレスマネージメントに、自分の学んだスキルと自分なりのアイデアを提案して活躍しています。
欧米では、ダンス、演劇、音楽などのパフォーミング・アーツの教育の中でアレクサンダー・レッスンはある程度確立した地位をもっています。フィットネス関係の教育機関や、病院内のリハビリテーション・カリキュラムにもレッスンが導入されている場合もあります。そのような学校を活躍の舞台として「教育機関への就職」をする教師もいます。あるいはベテランの教師が後進を育てるためにアレクサンダー教師を養成する教育期間に就職するケースもあります。ただ、教師の身分としてもフルタイムの就職である場合もあれば、1)と同じ形式である場合(いわば非常勤で学校で教える)もあり、さまざまです。芳野もアメリカと日本の大学で非常勤の資格でアレクサンダー・テクニックのクラス、あるいはそれに基づくクラスを担当した経験があります。
また最近入ってきた報告では、日本ではカルチャースクールなどで講座を持つケースも増えてきたようです。
学校で教えたり、他の仕事をしていても、アレクサンダー・レッスンでのメインの収入になっているという「これを職業としてレッスンで生計を立てている」というのは稀なケースかもしれません。ベテランで、それなりのスキルを持った教師がこのようなワーク・スタイルにいたることが多いように思います。最初からこのような生計の立て方が出来る人は珍しいかもしれません。
まず、最初からこのような仕事の仕方をする人はいないと思うのですが「学校経営」を収入源にする教師もいます。つまり、アレクサンダー教師を養成する学校を個人で経営するケースです。
(ちなみに、大きな公認教師養成学校は「非営利団体」の資格を取得していることが多いです。個人が経営する学校の場合、教育の質としてかなりのばらつきがあり、非常にすぐれた教師もいる一方で、中には営利目的主体でけして良心的とは言えないものもあるので、教師となるために個人が経営するの学校に入学を考えておられる方は十分注意されることをお勧めいたします)

「アレクサンダー教師になるには」の項目でも書きましたが、アレクサンダー教師になろうと考えている方に考えていただきたいのは、「なる」こと目的(ゴール)とするのではなく、それを通してご自分の能力をどのように提供していきたいのか、という点です。
嫌なことを言うようですが、最悪の場合、アレクサンダー教師になることを「免罪符」のように履き違えた人間が営利目的の学校でむりやり資格を取得し(そういう学校には明確な認定基準、落第制度などが設定されていないことがあるので、その資質がないものでも免許を得てしまうことがあります)「その仕事をしさえずればプロだと思っている」、「フルタイムの職業」=「プロ」という図式でこの仕事に固執した場合、その教師は前記の「教師になるには」の中で紹介したような「他人の才能の開花を邪魔する教師」になりかねません。このような教師はごく稀、ごく少数ですが、皆無とは言えず、またいったん交付した資格を簡単に取り消す制度は存在しないのが現実です。それは何もアレクサンダー・テクニックだけが抱える問題ではありませんが、免れてもいない問題です。
アレクサンダー・テクニックに興味を持っていただき、クライアント(レッスンを受ける人)からトレイニー(アレクサンダー教師になる勉強をしている人)として関わろうとしておられる方には、こうした状況・情報を踏まえてご自分の進路を決めていただきたいと思います。
日本において「アレクサンダー教師」という職業は前例のないものですので、その資格の活用について悩まれるのはもっともだと思います。しかしいたずらに商業的なスタイルやステイタスの確立に急ぐのではなく、個々の教師が適切な能力提供の仕方を見出すことが、未来のアレクサンダー教師の活動の幅を広げることや社会的認知を促すことにつながると思っています。

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