スタジオKについて

about ATC studioK

主宰・芳野香のプロフィールや、これまでに行ったワークショップ、講演、授業、受けた取材、書いたものなどについてのページです。
「アレクサンダー・テクニック・センター スタジオK」では、全てのレッスン・セッションを芳野香が指導いたします。

ご注意

芳野香は下記のプロフィールにあるように、米国ニューヨークのACATにおいて国際的な教育水準で教育を受けた公式資格を有するアレクサンダー教師です。芳野がアレクサンダー教師として加入している教師協会は、アメリカに本部のあるAmSATになります。
日本において20年以上仕事をし、出版物も出している関係から様々なサイトにおいても「芳野香」「アレクサンダー・テクニック・センター スタジオK」の名前をお見かけになることがあるかもしれませんが、能動的に芳野が加入している協会は上記の2団体のみです。他の団体への加入・活動はしておりませんのでご注意くださいませ。また芳野は当ホームページとTwitterにて自身の意見を表明することや個人から頂いたメールやお手紙等に対して個別に発言を行うことはございますが、他のサイト上やメーリングリスト、チャットなどにおいて発言等の活動を行うことはありません。お間違えのないようにお願いいたします。
また現在、芳野香には「弟子」や「代理人」などはおりません。「当サイトをご覧頂くあたって」にもありますように、「アレクサンダー・テクニック・センター スタジオK」ではご請求のない方に資料を送ったり電話やメールにて連絡をとることや、ワークショップの売込みなど一切行っておりませんのでご注意くださいませ。

主宰者プロフィール

芳野香

よしの・かおり

全米AT教師協会AmSATおよびACAT公認教師

1967年

12月
京都生まれ

1991年

3月
同志社大学文学部文化学科美学芸術学卒
10月
渡米・ニューヨーク在住

1992年

1月
ACAT(The American Center for The Alexander Technique:アレクサンダー教師を養成する機関)に入学 

1995年

5月
帰国
京都に「アレクサンダー・テクニック・センター スタジオK」を設立

1997年

4月〜
平安女学院大学短期大学にて非常勤講師としてアレクサンダー・テクニックをベースにした授業を行う(1999年まで3年間)

1998年

5月
フローテーション・タンクを導入(2007年12月にセッション終了)

2002年

2月
共著『サイケデリックスと文化』(春秋社)出版

2003年

8月
著作『アレクサンダー・テクニックの使い方 「リアリティ」を読み解く』(誠信書房)出版
公式認定された日本人資格者による日本語での初めての著作となる

2013年〜

 
京都女子大学大学院発達教育学科 非常勤講師

2015年〜

 
京都造形芸術大学舞台芸術学科 非常勤講師
その他京都を中心に個人レッスン、公演、ワークショップ指導多数

 AT以外の資格

2013年

 
愛玩動物管理飼養士2級 取得

2016年

 
アーユルヴェーディック・ヨーガ・セラピー講師養成講座 修了

2018年

 
呼吸法(プラーナヤーマ)10か月講座 修了

仕事のポリシーについて

2004年以降の私は、仕事は「スタジオK」での個人レッスンを中心に考えています。
ワークショップや、出張でのお仕事は、テーマや参加者を限定したものに絞らせていただき、
いわゆる「アレクサンダー・テクニックの紹介を目的とする」ようなワークは
可能な限りお断りさせていただくようにしています。
正直な話、「イベント的」に開催される各地でのワークショップの方が収入はよいですし、沢山の人にお目にかかれますが
結局一時的な「イベント」「お祭り」で終わってしまうことも少なくなく
レッスンで本来大切にすべき「継続性コンスタンティビリティ」を継続させる場として充分とは言い難いところがあるように思います。
私が最も「したくないこと」は、レッスンの場や時間が教師の技術や知識を「見せびらかす」場になりさがること、
クライアントさんのためのレッスンではなく、メソッドのためのレッスンになりさがり
それを正当なことのように思い込むような「逃げ場」になりさがることです。
アレクサンダー・レッスンで私が指導する「からだの使い方」は
けして特殊なものではなく、その人にとって日常的なもので、それゆえに無意識化しやすい行動やそのパターンについて
その人自身が自覚を持てるような「心身の感受性」を育む時間です。
また、私にとってアレクサンダー・テクニックは非常に興味深いものですが同時に万能なものではなく、
また私自身にとっても自分の能力提供の形式のひとつに過ぎないものと認識しております。
だからこそ、ひとつひとつのレッスンをできるだけ丁寧に努めてゆきたいと思っております。

そんなわけで、申し訳ないのですがレッスンをお受けになりたい方は京都までご足労いただくことを原則としています。
(今、一番遠いところからでは海外からいらっしゃる方もいて、心苦しいのですが・・・)
仕事をしていて、最高に楽しいのはクリエイティブなクライアントさんに出会えることです。
痛みや困難を「なくす」というスタンスでお役に立てるのももちろん嬉しいのですが、それ以上に
「痛み」や「困難感」に悩み、「しかたがない」「体質」「変えられない」と思い込んでいたものが
それが「からだの使い方」によるものだと知り、「使い方」を得ることで
意欲的になったり、ちょっと自由になったり、創造的な発想や行動を得ていってくださるのは
やはりぞくぞくするほど楽しいです。
そういう意味で、アーティストのレッスンは楽しいですが、
職業的なアーティストのみが「創造的」というわけではありませんから
職種としてではなく、想像的な感受性が豊かな人、自分の生活を創造的に楽しむ意欲のある方とのレッスンが楽しいのです。

また、2014年に左膝前十字靭帯の再建手術をしたことは、私に新しい経験をさせてくれた出来事でした。
仕事目線ではなく、自分の身体と「アレクサンダー教師」的な視点と、
「自分自身」という視点で向き合い、自分の心身に起こる様々なことをつぶさに感じる時間は貴重であり、
今となってはとても楽しかったです。
またその時に出会ったヨーガやアーユルヴェーダは、身体に向けるまなざしをリフレッシュさせてくれ、新鮮な興味を高めてくれるものとなりました。

ヨーガやアーユルヴェーダの視点、そして家族の犬に起こった出来事をきっかけに触れた動物心理、Zoobiquity(汎動物学)、
その後取得した「愛玩動物管理飼養士」での学びは、
「身体」「いのち」「エネルギー(生命力、体力、気力…)とそれに対する視点や概念を再考する機会となり、
今後の指導生活の指針となるだろうと思っています。

身体を有して「生きている」時間をなんどきも「いきいきと」生きることは、シンプルなようでむつかしく、
時には「生きている」ことが「苦しいこと」「苦しみと戦うこと」にしか思えないこともあります。
しかし「生きている」時間の過ごし方を、視点と概念、使い方によって変化させることもできることを
今後も楽しくお伝えしていけたら幸いです。

指導業績等

ワークショップ・講演

1993年

7月
ワークショップおよび講演会(2日間・札幌)
ワークショップ(2日間・東京)

1994年

8月
個人レッスンとワークショップ(7日間・札幌)
「身体観」ワークショップに講師のひとりとして(京都)
9月
第12回日本人間性心理学会ワークショップ(東京)
10月
ジュリアード音楽院ダンス科、マニス音楽大学にてボランティア教師として教鞭をとる(1995年3月末まで・ニューヨーク)

1995年

1月
ACATのクラスを指導(1995年3月末まで・ニューヨーク)
7月
ダンサーのためのワークショップ(京都)
ワークショップ(札幌)
9月
LAP NET大阪主催ワークショップ(大阪)
第14回日本人間性心理学会ワークショップ(2日間・松山)
10月
ダンサーのためのワークショップ(京都)

1996年

2月
ダンサーのためのワークショップ(京都)
3月
ACATにてクラスを指導(2日間・ニューヨーク)
東山青年の家・ワークショップ(京都)
VOICE&BODY ワークショップ(京都)
4月
東山青年の家・10週間ワークショップ(6月末まで・京都)
ボディ・マインド・ワーク社の医療従事者向けワークショップ(岡山)
5月
日本ホリスティック医学協会主催 講演会(大阪)
6月
関西ネットワーカーズ会議 講演(大阪)
7月
個人レッスンおよびワークショップ(12日間・札幌)
10月
ダンサーのためのワークショップ(京都)
11月
山内式気功体操主催ワークショップ(京都)
VOICE&BODY ワークショップ(京都)
12月
石井アカデミー・ド・バレエにてワークショップ(京都)

1997年

1月
東山青年の家・ワークショップ(京都)
日本人間性心理学会主催ワークショップ(2日間・大津)
4月
平安女学院大学短期大学「人間関係トレーニングⅡ」 非常勤講師(1999年3月まで)
8月
個人レッスンおよびワークショップ(札幌)
12月
演劇クラブ主催ワークショップ(京都)

1998年

5月
中京青年の家「赤レンガプラザ」ワークショップ(6ヶ月間・京都)
7月
国立民族学博物館「ドラッグ文化の諸相」発表
8月
個人レッスンおよびワークショップ(10日間・札幌)

1999年

6月
ワークショップ(2日間・箱根)
8月
個人レッスンおよびワークショップ(10日間・札幌)

2000年

2月
ミュージシャンのためのワークショップ(3日間・京都)
3月
「使える解剖学」集中講座(2日間・東京)
9月
ワークショップ(福岡)
個人レッスン(5日間・東京)
11月
個人レッスン(2日間・東京)

2001年

3月
ワークショップ(3日間・福岡)
6月
個人レッスン(2日間・東京)
11月
ワークショップと個人レッスン(3日間・福岡)

2002年

2月
ワークショップと個人レッスン(3日間・つくば・平塚)
7月
個人レッスンとワークショップ(3日間・福岡)
9月
京都市北青少年活動センターオープニングイベント(1日・京都)

2003年

4月
3つのワークショップと個人レッスン(3日間・福岡)
5月
『京都の暑い夏』ワークショップ(3日間・京都)
6月
「京都コンテンポラリー・ダンス・ラボ ブリッジ」(5日間・京都)

2004年

2月
「ダルクローズ・リトミック春期国際セミナー」にてワークショップ(1日・名古屋) 
4月
ソロプチミスト葵 例会講演(1日・京都)
5月
「京都の暑い夏」ワークショップ(3日間・京都)
6月
「京都コンテンポラリー・ダンス・ラボ ブリッジ」(5日間・京都)
7月
名古屋ワークショップ(2日間・名古屋)
8月
ギタリストのためのワークショップ(1日・大津)
10月
ワークショップと個人レッスン(2日間・福岡)
ルネサンス第62回講演会にて講演(1日・京都)
カイロプラクターなど治療関係者のためのワークショップ(1日・大阪)
11月
宮城教育大学クロスプログラム・ワークショップ(2日間・仙台)
12月
「京都コンテンポラリー・ダンス・ラボ」(2日間・京都)

2005年

5月
アレクサンダー・テクニック・ワークショップ IN コンサートホール (2日間・滋賀)
6月
「京都コンテンポラリー・ダンス・ラボ ブリッジ」(4日間・京都) 

2007年

2月
個人レッスンとワークショップ(2日間・福岡)
3月
大阪府香里ヶ丘高等学校にて講演(1日・大阪)
9月
宮城教育大学・大学院にて集中講義(4日間・仙台)

2008年

2月
個人レッスンとワークショップ(2日間・福岡))

2009年

1月
個人レッスンとワークショップ(2日間・福岡)
個人レッスン(1日・久留米)

2010年

1月
個人レッスンとワークショップ(2日間・福岡)
個人レッスンとワークショップ(2日間・久留米)
3月
ダンス・ワークショップ(1日・大阪)
6月
福井県・気比中学校にて講演(1日・敦賀)

2011年

5月
個人レッスンとワークショップ(3日間・福岡・久留米)
9月
表現者向けワークショップ(大阪)
11月
福井県・気比中学校にて講演(1日・敦賀)

2012年

11月
京都造形芸術大学「舞台芸術Ⅰ」 ワークショップ(1日・京都)

2013年

4〜8月
京都女子大学・大学院にて講義
9月
高知県馬路村にてワークショップ(3日間)

2014年

4〜8月
京都女子大学・大学院にて講義(継続中)
5・6月
京都造形芸術大学にて講義(2日間)
6月
舞踊学会第19回定例研究会 シンポジスト(1日・京都)

2015年

3月
『ダンスワーク』69 2015年春号に寄稿

2019年

12月
JSOL社員様向け福利厚生ワークショップ(1日・東京)

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これまで書いたもの

1995年〜

 
スタジオKの「ねっとわーく通信」(1995年12月~1998年5月の間に6号発行)
雑誌『地球のきもち』に寄稿

2000年

1月
『サイケデリックスと文化』(仮)(春秋社)のコラム原稿の改訂版

2000年

4月
『女子体育 5月号』原稿

2001年

1月
「楽しみについて」(福岡のフィットネススタジオ・パラディソの「パラディソ通信」に寄稿)

2006年

12月〜
Web草思に連載『身につくカラダ・身になるカラダ』(2006年12月~2007年5月)

2019年

12月
JSOL社員様向け福利厚生ワークショップ(1日・東京)

芳野香の著作についてはこちら

受けた取材

  • 道新スポーツ
  • ケイコとマナブ
  • 京都リビング(1999年11月6日発行)
  • 読売テレビ『大阪ほんわかテレビ』(1999年12月12日放送)
  • 映画製作に際して
  • 論文製作に際して
  • マンスリーM(2001年12月号)
  • 「PUAP」(2002年7月)
  • 関連記事:産経新聞 関西版 2008年2月13日 夕刊 文化欄「まち 未来形『正しい体の使い方 入口は「やめてみる」こと』」(沢田眉香子さん 著)

極私的『その他の履歴』

いわゆる履歴書的履歴では書ききれないプロフィールを追記しています。
(表の履歴からでは「どうしてアレクサンダー・テクニックなどというものに興味を持ったかなどが見えない」とのご指摘を受けましたので、作ってみました。でも、こんなんでわかるやろか?)

4歳

仏教系幼稚園に入学
「将来何になりたい?」と問う先生に対し「およめさーん」と無邪気に答える同級生にびびる。だって、彼女たちの頭の中にある「お嫁さん」とはウェディング・ドレス姿であって、断じてエプロン姿ではいことが「みえた」からである。「したいのは結婚ではなくて、コスプレではないのか?!どうしてそんなこともわからないんだろう?」と混乱し、集団生活に不安を覚える。
また、仏壇と須弥壇に憧れる。心ひそかに、「りかちゃんハウス」の代わりに自分用の「仏壇」が欲しいと思っていたがなんとなく「そういうことを言ってはいけないような空気」に圧されて、言えず。須弥壇もてっぺんまで上ってみたくて仕方なかったが、やはり「いけないような空気」に圧されて、実行せず。

5歳

おとなを見ていて「人はその人間を見てではなく、置かれている立場で反応するのだ」ということにショックを受けて、泣く。
だが同時に、初めて海外に行き「日本人以外にも人間がいる」ことを知り、かつ「英語はわからないけれど、意味はわかる」という体験をし、「おもしろい」と思う。以後、あまり「外人」「わからないこと」にあんまりびびらないようになる。この後、英語が大嫌いなくせにニューヨークに留学し4年も暮らせたのは、このときの体験があったからかもしれない。
4歳5歳は人間の「認識」と「行動」のギャップに目覚めた歳。思えば、「人生最大の転機」だったかもしれない。

7歳

小学校入学と同時に、活字中毒への道を歩み始める。からだが弱く、週に1回点滴と注射を打ちながら学校に通う生活。以後の学校生活というものは「とにかく通うだけで精一杯」だったし、特に面白いことも多くなかったので部分的にしか記憶がない。

10歳

10歳の誕生日に人生の無常を感じる。「これから先、死ぬまで二桁なんだわ」と思うと、微妙にへこんだ気持ちを味わう。
どんなに親しい人でも、わかって欲しい人でも、言わなくてはわからないことがあるのだと思い知り、泣く。自分の気持ちを表現する言語的ボキャブラリーの乏しさに悩む。

14歳

自主性、個性、影響、環境、遺伝などについて悩む。「自分とは、自分ひとりで作りあげられる存在なのだろうか?例えば、親の影響抜きで自分自身というものを成立させることが可能なのか?個性とは影響にどの程度依存するものなのか?」について悩む。
考えてみれば、この頃が一番生きているのがしんどかった時期かもしれない。

17歳

虚弱体質ゆえに「死なないように生きてきた」ことに飽きる。
これまで、いわゆる「体育」というものをほとんどまともにやってこなかったのだが、生物的な老化速度を考慮し、周囲からの勧めで、初めて自分からからだを動かすこと・・・クラシック・バレエを始める。「観るのは、好きだったから」という超・短絡的な理由からであった。しかし非常にきつくて、レッスンの始めの段階でへなへなになる。
ところが「どうしても観なくてはならない」予感のままに、J・D氏のバレエを観て、衝撃を受ける。そのとき抱いた感想のままに書くと、言葉は悪いが、「ダンスで人が殴れるんだ」という衝撃だった。ただ「美しき技巧と形式」としてそれを観客に提供するのではなく、言語のように、相手へのダイレクトな「メッセージ」として「からだ」が使えるのだ、ということに喜ばしきショックを受ける。
以後、バレエに本気になる。

22歳

バレエ・コンクール出場予定。しかしくせになっていた足首の怪我のため出場を断念。その経験から「習慣性の問題の習慣化」や「やっていること」と「やっていると思っていること」のギャップに本格的に興味を持つ。
怪我をする前に申し込んでしまっていたワークショップにて、初めて「アレクサンダー・テクニック」を知る。興味を持ち、1年かけてリサーチし、「輸入物ではなく、日本語で考えられるアレクサンダー・レッスンを考えたい」と渡米を決意。しかし養成機関(ACAT)に合格できる確信はなかったので、もしも不合格なら、1年間アレクサンダーの実態調査などをして、適当に英語を学んで、帰ろう、などといいかげんなことを考えていた。

23歳

驚いたことに、ACATに合格してしまう。同級生は皆35歳~40歳。東洋人は私一人だけだった。この渡米がはじめての引越しであり、一人暮らしであった。今考えれば、「アレクサンダー・テクニック」というものがどのようなものなのか、日本語の資料や文献も満足にない中で、よく両親が留学を許してくれたものだと思う。けして大賛成ではなかった両親や親族を鶴の一声で説得してくれた「ゴッド・ファーザー」の祖父に感謝。
渡米直後、スーパーマーケットにて「人間の行動様式は、その人の思考の仕方の転用であり、文化である」ということを実感レベルで理解する。
留学生活は、言語と、思考と、文化と、自分自身との、「格闘」。別にがり勉したわけではないが、しかし多くのことを学んだと思う。もうあのような密度でものを学ぶことはないと思うし、もし「やりますか?」と言われたらしんどいからやりたくない。

24歳

ネリノ(猫)と出会う
猫を飼うのは初めてだったが、とても気が合う。

26歳

メフィー(猫)と出会う
目があったとたん、ぐるぐると喉を鳴らしてくれて、「うちのこだ」と思い、うちに来てもらった。
ACAT最終年度は、いわば「インターン」のように、教授の監督のもと、実際にクライアントを教える時間が設けられるのだが、なぜかきっついクライアントばかり私が担当することになり、同級生からも教授からも同情される。
帰国時に日本で講演や簡単なワークを頼まれたり、ジュリアードやマニスで教え始めたのもこの頃。実にラッキーだったと思う。

27歳

ACAT卒業。「あなたの最大の不幸は、あなたがあなた自身のレッスンを受けられないことだ」などという言葉をいただく。卒業式で着物を着て、喜ぶ。
同年、阪神大震災と地下鉄サリン事件が起こる。「もう日本は、あなたの知っている日本ではない」などと友人に止められながら、帰国。祖父は私の帰国翌日に亡くなる。
帰国後「日本語が通じない」ことに悩みながらも、徐々に「日本語」を習得し、会話や対話が可能になる。

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寄付について

「スタジオK」では定期・不定期に以下の団体に寄付をさせていただいております。