読み物の小部屋

きまぐれ本棚

My Bookshelf

芳野香が勝手に「すてき」「おすすめ」と思った本の紹介です。
「すてき」とは言えないけれど「資料的価値あり」「興味があるなら読みやがれ」という本もちょっと混ざっていますが、あしからず。

解剖学、あるいは「なかみのかたち」「なかみのかかわり」

骨格 (ビジュアル博物館)

子供向けの写真満載の本だが、大人にもばっちり。じっくり見てみてください。何を見ていたのか、何が見えてきたのかが見えてきます。

プロが教える 筋肉のしくみ・はたらきパーフェクト事典

ひとつひとつの筋肉を複数のアングルから表現しているので、どこにあるどれくらいの大きさの筋肉なのかイメージしやすいはず。ビジュアルイメージで実感を得るのが得意な人にはお勧め!

かたち

大自然のかたち―バイ・ネイチャーズ・デザイン (An EXPLORATORIUM Book)

デザインとか、バランスというものは「つくる」ものではなく「なりたつ」ものだと思っている。この本はタイトルの通り、自然界にある美しい「かたち」を写真と文章で紹介している。グラフィック的にも楽しめる1冊。

おべんとうの時間

ANA機内誌『翼の王国』に連載されていたのを本にまとめたもの。何を隠そう、私はANAに乗る度にこの記事を読むのが楽しみなのでござるよ。ほのぼのとしっかり面白い。
この本は、タイトルの通り、インタビューされた人のお昼(昼と夜、という人もいたが)のお弁当を載せたもの。遠足とかおもてなし用のよそいき豪華弁当ではなく、毎日の、日常のお弁当だし、中身は基本「ご飯におかず」なのだが、誰ひとり同じではない。ひとくくりにすればたった一言「おべんとう」なんだが、ほんと、蓋を開けてみないとわからない。人間や人間のからだと同じ。「ふつう」や「ふだん」の豊かさやバラエティーに笑顔になってしまう。

ことば

茶の湯名言集 ビギナーズ 日本の思想 (角川ソフィア文庫)

どんな「名言」にぐっとくるかは、その時の自分の「こころ」や「進みたい道」を「ことば」というかたちで見出すことでもある。この本は茶人の名言を集めたものであるが、いわゆる「茶道」にだけ通ずる名言に留まっていない。茶の湯を生き生きさせるのは、人生を真摯に生きたいと願う人間なんだね、ということがすっきりわかる本である。「なるべく自分の身体感覚に落としこんで書くようにした」という著者の姿勢が生きた本。

透明な沈黙

いわゆる、「ジャケ買い」しちゃった本。申し訳ないが、特別にウィトゲンシュタインが好き、というわけではなく買った本であるが、よい。私はトイレにおいて、ランダムに開いては読んだりしている。
ビジュアルと言葉のコンビネーションが危険なくらい素敵。どう「危険」かというと、ひとが「ほんとうのこと」を受け入れようとするのにこんなに「表現手法」がからむのか、と思うから。真理をずばりと見たい。この、透明な魚たちの骨格を観るように、見たい。外を作りたいんじゃなくて中を表したい、でも中を表出したとたんそれが外になってしまう…ふと、そんなジレンマを感じたりもする。でもそれは私だけが感じていたことじゃないみたい、と言葉を拾いながら思うのである。

いきる

体を整える ツキを呼ぶカラダづかい

クライアントさんから「芳野センセみたいなことを言っている人がいますよ」と紹介された本。著者・桜井章一氏は知る人ぞ知る「雀鬼」。麻雀をして負けたことがない(というか、勝ってしまう)という伝説的な人物である。確か、20年近く前にNHKの番組(宗教学者・植島啓司氏がプレゼンテーターの)に出演されたのを拝見した記憶がある。「なぜ無敗なのか」という植島氏の質問に対し、「姿勢」の話しかなさっていなかったのが印象的で、テレビの前で笑い転げたのを記憶している(痛快で)。その痛快な内容が活字になった一冊。
おそらく、多くの人が「勝利したい」のは「負けたくない」からだと思う。負けること、敗者とみなされることが怖いから、勝っていたいのだ。しかし桜井氏の言う「勝利」や「ツキ」はそれとは全く質が違う。彼の言う「勝ち」は、ただ自分のカラダに嘘をつかずに「必然」を貫き通した結果生まれる、とても自然なものだ。ただ、こうした「勝利」はすごく認識しづらい。ある意味、手に負えない。よくある因果関係や方法論ではコントロールできないラッキーが目の前に来た時、不安に心を濁らせずに平気で「ありがとう」と受け取れる肝の据わった人間がどのくらいいるんだろう…と考えちゃったりする。
ま、だからこそ、読んでいただきたい一冊。

ネコの真実

私は「好き」という感情が、実はどういうものかよくわかっていないかも、と思うことがある。例えば「猫が好きですか?」「猫が好きなんですねぇ」などと言われたときに、「??」となってしまうのだ。で、気が付く。私の中では、この感情は「好き」というよりも「MUST」なんだろうな、と。猫を前にして私がとるべき行動、それは「好き嫌い」によるのもではなく「必然と感じるか否か」かも、と。
私にとって猫が「必然」であるとして、なおかつ、「好き」なのかも、と思ったのはこの本を読んでであった。ベテラン猫専門医によって書かれた本なのだが、この本のユニークなところは、いわゆる猫の飼い方や健康面のアドバイスのみならず、哲学、歴史、心理学、社会学、経済学といった項目を設けて「猫」をみているところだ。この視点の多様さは、とりもなおさず人間にとってのさまざまな「猫の必然性」を示してくれている。
読めば「私はどうして猫が好きなのか」がわかるかもしれない1冊。もちろんこの視点は「猫」以外にも応用可。

わが家の母はビョーキです

わが家の母はビョーキです 家族の絆編

統合失調症の母親との31年間を綴った漫画。家族も含めて当事者は本当に大変な日々だったと思うのだが、漫画ということもあってか、明るいタッチで読みやすく書かれている。統合失調に関するコラムや福祉関係の手続きの情報が載っているところも参考になる。
私はこの本を「統合失調症」のお話としてのみならず、あらゆる「ちがい」への理解の手引きとしてお勧めしたい。私自身、レッスンで不安感・不安定感の強い人、精神疾患のある人にお目にかかるが「わかる、わかる」とうなずくところが多かった。精神疾患だから「(もともと)特別」、病気や障害だから「ちがう」のではなく、われわれの中にある能力のバランスとかネットワークが「ストレス」や「身体的疲労」によって崩れることで誰でも「病気」になれる。逆に言えば、我々の「健康」とか「平常」は、自身の中に内在する様々な異なる能力、異なる考え方や感じ方が、独自のバランスとネットワークで結ばれていることで、「(からくも?)平常」になのだ。「ちがい」に触れて「ふつう」を思い返すことは多いけれども、その二つは意外と似ている。そんなことを思う2冊です。

猫が教えてくれた大切なこと

フェリシモ猫部さんが編集した猫と人との実話エピソード集。猫部の活動の紹介や動物愛護に関してのコラムもある。彼らとの関係を「かわいい」「かわいそう」からスタートするのも悪くないけど、それだけで終わっちゃいけないことに目を向けてもらえたらと思う。ちなみにこの中にはうちの猫のエピソードも入っています。どれがそれかは秘密だよー。

成長することと表現すること

テレプシコーラ(舞姫) 全10巻完結(MFコミックス ダ・ヴィンチシリーズ)

Do Da Dancin’!  ヴェネチア国際編13巻セット (オフィスユーコミックス)

まいあ Maia SWAN actII(全巻)

昴(全11巻)

MOON 昴(全9巻)

これらの作品、比べ読みすると面白いのです。
どの作品にも共通しているのは「バレエ漫画であること」「主人公の苦悩・希望・成長過程などが魅力的であること」「作者自身がかなりのバレエ通(バレエ経験者)」ということなど。
そうでありながら「何が主人公にとって“成長(成功?)”することなのか」「バレエとは何か」の描き方、周辺事情の盛り込み方などが実にそれぞれで、面白い。
私自身、バレエをはじめ表現芸術が大好きだし、クライアントとしてダンサーたちにもたくさん会う。
でも関ればかかわるほど思う。
「表現する」ことに魅了されるとは少なからず「狂」に触れることなのだと。普通とか普段とか一般的とかに収まらない何か、とんでもないエネルギーを費やし自分が壊れるかと思うくらい疲労するのに充実してしまう不思議。そういうとんでもないもの満タンなのに、バレエは美しい。これも「バレエ」のこわいところ。
「努力やチャレンジの意味と行方」とか「才能って何?」とか、「本気」とか、それに向き合うことの怖さとか、生まれちゃうコンプレックスとか…バレエをやっている人でもそうでない人でも、一所懸命だからこそ何かしていなくちゃ怖い自分が怖くなってきたとき、ガチで向き合うのが怖くて余計なことをしてごまかすことにいそしみそうになっているときに、足を止めずに頭を立ち止まらせて考えさせてくれる・・・そんな素敵な力を持つ作品たちだと思う。

「○○の向こう側」

決定版カムイ伝全集 カムイ伝 外伝 11巻セット

ご存知、白土三平先生の名作。アニメにもなっているし、実写版も作られた(松山ケンイチくん、すげえ)。
「カムイ外伝」は最初少年誌に連載されていて、のちに青年誌に連載が変わったのだそうだ。だから途中から絵が劇画になり、性的描写が一方的にどぎつくなっていたりもする。でもそんなことはどうでもいい。「カムイ外伝」が「ただの忍者アクションもの」とみなされることと同様に、どうでもいいことだ。この作品のすごいところは、カムイが「人間の本当の敵」を見据えていることである。
『バットマン』シリーズのジョーカーがいうように、恐怖や不安はけっこう容易く人を狂わす。大事なものを見失わせ、目先のことが全てのように錯覚させ、本質的に悪人ではない人をも悪に染める。カムイの生い立ちは恵まれたものでも公平なものでもない。非人という差別を受け、そこから抜け出すために忍になるが、やがて抜け忍となり忍たちから追われる身となる。自分の不幸や苦痛は全部あいつのせいだ、と言ってしまいたくなるような世界の中にあって、カムイは奇跡的に見失わない。次々とやってくる敵(人)が「本当の敵」ではないことを。だから彼は殺したくないと願い、生きたいと願う。願い続ける。そして時には「敵」として出会った人間から結果的に鍛えられ、つかの間ではあるが、真の交流と呼べそうなものを持ったりもする。
命を狙われ、誇りを傷つけられ続ける修羅場の中で、彼が追っ手や周囲の人間を「敵」と見誤らずに世界に対峙できたのは何故なんだろう、と思う。その哲学的強靭さは何処からくるのか、と。
カムイはけして偉人でもヒーローでも王子様でもない。この旅路の果てにカムイがどうなったのかも、「外伝」の中では描かれていない。そういう「わかりやすいオチ」を「カムイ外伝」は与えてくれない。でも、まっとうに生きる、ってヒーローや王子様を目指すことじゃない、って男子だけじゃなく女子にもしっかりわかる名作。

稲生物怪録絵巻集成

私は、「ホラー」と呼ばれる漫画や映画が何故「娯楽」になりうるのか、本気では理解できていない人間である。恐怖がなぜ娯楽になりうるのか。恐怖を娯楽にできる人間にとっての恐怖ってどんな感覚なんだろう…などと思う。
ホラーはわからないんだけれども、「この感じはわかる」と思ったのが「稲生物怪録」である。この物語はある老人の16歳当時の回想録として書かれたもの。天狗との約束で「人に話さない」ことにしていたが、もう老人になったからええやろ…ということで書きつづったものらしい。絵巻になったのはそれからずっと後のことだが、この本の画期的なところは現存する3バージョンを比較しながら眺められることである。少しずつ描き方の違いがあり、カットされたエピソードなどもあって、興味深い。絵をご覧いただくとわかるのだが、毎日起こる多種多様な怪異に対して少年は「真顔」で対している。私が「なんか、わかる」と思ったのはこの態度だった。ほんとにおこると、こうなっちゃうよね、と思うのだ。そういう意味で、妙にリアルな物語。

百物語 (新潮文庫)

杉浦日向子氏の漫画。これも「稲生物怪絵巻」と似た味わいがある物語たちが収録されている。いわゆる「怖い話」か、といわれると、言い切れない気がする。「よくわかんない話」なのだ。不思議で、変で、ありえないような話なのだが、だからどうという話ではない。物語の語り手たちも「こういうことはたまに起こることではあるが、しょっちゅうじゃない」という意味のことをしばしば口にし、平然としている。なんか、いい。

日本妖怪変化史 (中公文庫BIBLIO)

杉浦氏『百物語』のお話がどこから引用されたものなのか、一気にわかるのがこの本。大正時代にこういう研究をされていた方がおられるのですね。すごいわ。

モンスターの歴史(「知の再発見」双書)

「度を超えたもの」を表現する語彙は多々ある。「超」なんかもそうだし「神」なんかもそうだろう。「超え方」が聖や善の方向とみなされることもあれば悪や邪とみなされることもある。しかもその分類は固定的ではない。英語の「bad」なんかも文字通り「悪」だったのが「かっこいい」みたいな意味で使われるようになることもある。でもやっぱり「悪」の意味でもつかわれるんだけど。
日々他人さまの身体をみていると、ふと妙な気分になることがある。来てくれる人は私なんかよりよっぽど(?!)「健康」とか「正しい○○」に執心しているというのにどうして望んだ状況になっていないのだろう、と。皮肉で言っているのではない。もしも執心の強さがそのままそれが叶うことに直結しているとすれば、彼らはこういう状況になっているまい、とっくにとっくに「超」とか「神」の域だ…と単純に思うのだ。この一見不条理にも思える現実が、私がこの仕事を「仕事」にしている理由でもある。「度」だけ越えても「神」にはなれない。「度」を超えることがもたらす、善悪両義にわたる充実感や恍惚感の魅惑されるのも、わかるんだけど。
この本は文章とともにふんだんにビジュアルが盛り込まれている。古代から現代まで、「悪」という概念に姿を与えるとしたら、という「モンスター」から、「人の能力を超えている」ものたちという意味での「モンスター」、「異形」「奇形」「貴種」という意味でのそれなど多岐にわたる。そういうものをつらつら眺めていると、私は、「モンスター」とは何か、というよりも、何がそれを「モンスター」とみなしているのか、の方に思いをはせてしまう。

アレクサンダー・テクニックについての日本語翻訳出版物

※年代の古い順に並べています

アレクサンダー式 姿勢術

著者:サラ・バカー/訳者:北山耕平/出版社:三天書房/昭和55年5月30日 第1版 (絶版)

アレクサンダー・テクニーク──姿勢が変る・からだが変る・生き方が変る

著者:ウィリアム・バーロウ/訳者:伊東 博/出版社:誠信書房/1989年4月20日 第1版

アレクサンダーと私──アレクサンダー・テクニークへの道

著者:ルーリー・ウェストフェルト/訳者:片桐ユズル、中川吉晴 /出版社:壮神社/1992年10月27日 第1版

アレクサンダー・テクニークの学び方──体の地図づくり

著者:バーナラ・コナブル、ウィリアム・コナブル/訳者:片桐ユズル、小山千栄/出版社:誠信書房/1997年6月20日 第1版

アレクサンダー・テクニークにできること──痛みに負けない「からだの使い方」を学ぶ

著者:デボラ・キャプラン/訳者:芳野香、和田実恵子/出版社:誠信書房/1999年4月10日 第1版
※スタジオで購入のお申し込みが可能です。郵送をご希望の方はこちら

ボディ・ラーニング──わかりやすいアレクサンダー・テクニーク入門

著者:マイケル・ゲルブ/訳者:片桐ユズル、小山千栄/出版社:誠信書房/1999年11月30日 第1版

アレクサンダー・テクニークによる変容の術

著者:グレン・パーク/訳者:片桐ユズル、小山千栄/出版社:新水社/1999年11月20日 第1版

音楽家ならだれでも知っておきたい「からだ」のこと──アレクサンダー・テクニークとボディ・マッピング

著者:バーバラ・コナブル/訳者:片桐ユズル、小野ひとみ/出版社:誠信書房/2000年10月20日 第1版

音楽家ならだれでも知っておきたい「呼吸」のこと──豊かに響き合う歌声のために

著者:バーバラ・コナブル/翻訳:小野ひとみ/出版社:誠信書房/2004年7月20日 第1版

ホールボディ・フォーカシング──アレクサンダー・テクニックとフォーカシングの出会い

著者:ケビン・マケベニュ/著・訳者:土井晶子/出版社:コスモス・ライブラリー/2004年8月9日 第1版

図解 アレクサンダー・テクニーク

著者:グリン・マクドナルド/監訳:片桐ユズル/出版社:産調出版/2004年11月20日 第1版

アレクサンダー・テクニックが紹介されている出版物

イメージの博物館 19 マーシャル・アーツ

ピーター・ペイン著/柏岡富英・柏岡祐子訳/出版社:平凡社/1992年3月19日 第1版

著者が日本や中国などの武道(マーシャル・アーツ)を学ぶ上で「アレクサンダー・テクニックを学ぶことが役立った」と語っています。「そんなに力を入れるな」と力の使い方について武道の師匠に指導されても、その意味するところがわからなかったのがアレクサンダー・テクニックを通して分かりやすくなったとのこと。「力を入れない」パワフルな力の使い方は、東洋に独特のものかもしれませんが、この体験はいわゆる「筋肉神話」でしか力の出し方についてイメージできなくなっている現代の日本人にも分かりやすい体験かもしれません。

カタログ的に紹介してある本

アレクサンダー・テクニックに関する専門的な本ではないですが、本のタイトルにあるとおり、あるカテゴリーの中で紹介されています

精神療法と瞑想

編集:宝島編集部/出版社:JICC出版局/1991年8月10日 第1版

ボディワーク・セラピー

著者:ルーリー・ウェストフェルト/訳者:片桐ユズル、中川吉晴 /出版社:壮神社/1992年10月27日 第1版

新版 ウーマンズ・ボディ

著者:ダイヤグラム・グループ/訳者:池上千寿子,根岸悦子,木村敬子/出版社:鎌倉書房/1992年2月15日第1版(絶版)

ウーマンズ・ボディ・アゥエアネス

編集:中村知子 宝島編集部/出版社:JICC出版局/1992年10月15日 第1版

ナチュラル・ファミリー・ドクター

編集:アンドルー・スタンウェー/訳者:木塚夏子/出版社:産調出版/1996年11月1日 第1版

現在日本語訳は出版されていないけれどおすすめの本

※年代の古い順に並べています

The Alexander Technique Birth Book:Guide to Better Pregnancy, Natural Birth and Parenthood(アレクサンダー・テクニック・バース・ブック)

Ilana Machover and Angela & Jonathan Dreke/Foreword by Sinead Cusack and Jeremy Irons/Sterling Publishing,Co.,Inc. New York/1993

妊娠中の方、出産後、育児中の方の「からだの使い方」に特に注目し、サポートする目的で書かれた本。こどもの成長の見守り方についても言及あり。
特にアレクサンダーテクニックが「妊婦向け」のものというわけではありませんが、「どのように動作しているのか、自分のからだにすこし自覚的になってみよう」というコンセプトは妊娠中や育児中にも役立ててもらえるものでしょう。
一年弱の期間の中で劇的な身体的変化を経験することになる妊婦さんであればこそ、普段の何気ない動作にも疑問を持ったり、時には困難を感じたりすることも少なくないかもしれません。それだけに「いつものままでよいこと」「このときには注意すべきこと」を自身が知っておくのは大切でしょう。妊婦以外の方も「変化」と「恒常性」の関係を考えてみる・・・という観点から読んでいただいても楽しいかも。
写真や図も入っており英語で書かれた本とはいえ、割と読みやすいかと思います。

The Art of Swimming ── a new direction using the Alexander Technique

Steven Shaw & Armand D’Angour/Ashgrove Publishing/1996

Indirect Procedures : A Musician’s Guide to the Alexander Technique

Pedro de Alcantera/Oxford University Press,New York/1997

The Chair  : Rethinking Culture ,body, and design(ザ・チェア 椅子──文化、身体、デザインの再考)

Galen Cranz/W.W.Norton New York & London/1998

私事ながら、芳野はちょっとだけ椅子マニアです。アメリカにいたときは友人の建築家と相談して椅子を作ろうとしたこともございました。(私がごちゃごちゃ要求するものをかたちにするのが難しく、中断したままですが)私見ながら、椅子の魅力はその「質感」と「たたずまい」。美しい椅子は空間の意味を変えます。しかしながらいわゆる有名デザイナーによる高価な椅子ほど「単なるオブジェ」扱いされやすいのも事実かもしれません。実際、シーンや用途を選ぶ椅子も少なくないです。
日本にいて考える以上に欧米における椅子は生活のマストアイテム。この本はいわゆる有名デザイナーによる「逸品チェア」たちに触れながら、デザイン優先で語られがちのそれを機能面からも語っております。
私見ながら、美しい椅子とのコラボ生活を楽しむなら、自らの身体を知ることも必需。「よい椅子がない」「デザイナーズ・チェアなんて、かたちばっかり」とお嘆きの御仁、ひょっとしたらご自分と椅子とのコラボの仕方に思わぬ盲点があるのかもしれませぬよ。「この一脚とどう関わって暮らすか」を真剣に考え、探求する姿勢は具体的に身体的な問題であり、感性の問題であり、人生哲学的問題でもあるのです。(芳野・力説!)

ちなみに椅子と身体についてはこのようなご本もあります。

椅子と日本人のからだ

著者:矢田部 英正/晶文社

ちなみにデザインと、美、直感について考えるならこのようなユニークなご本もあります。

宇宙エコロジー

著者:バックミンスター・フラー+梶川泰司/美術出版社

美術手帳 2001年8月号

イーミズ、フラー、ノグチの特集

さらにこのようなご本もおすすめです。絵を眺めるだけでも楽しいです。

デザインの自然学 自然・美術・建築におけるプロポーション

著者:ジョージ・ドーチ/訳:多木浩二/青土社

バイ・ネイチャーズ・デザイン 大自然のかたち

著者:パット・マーフィー/写真:ウィリアム・ニール/訳:津田晴美/フレックス・ファーム

ひとしずくの水

著者:ウォルター・ウィック/訳:林田康一/あすなろ書房

アレクサンダー・テクニックに関する医学系論文

以下にご紹介するのは海外の専門誌に掲載された論文です。タイトル、著者、掲載紙などを簡単にラインナップしておきます。
妊娠中の患者へのケア、腰痛などへのアプローチ、パーキンソン病患者へのアプローチ、高齢者女性の身体能力向上のケースなど
(「スタジオK」ではこの論文のコピー、閲覧には基本的に応じておりませんので、ご覧になりたい方は大学図書館などからリサーチしてみてください)
(近日中に簡単な訳をつけます。すみません)

The Pregnant Patient and her partner

Carol prentice ; Alexander teacher San Francisco, California
Anne McCue Canty, PA ; Ira L Janowitz, PT , MPS  Spine and Hand Rehabilitation Center Oakland, California
OCCUPATION MEDICINE : State of the Art Reviews  Vol. 7, No.1, January-March 1992 Philadelphia, Hanley & Belfus, Inc

The lack of prognostic value of computerized tomography imaging  examinations in patients with chronic non-progressive back pain

O. Elkayam  M. Yaron ; Department of Rheumatology ,Tel Aviv-Souraski Medical Center, Ichilov Hospital , Israel
E. Avrahami ; Department of Radiology, E. Wolfson Medical Center, Holon, and the Sackler School of Medicine, Tel Aviv University, Israel
Elkayam 1996

Multidisciplinary approach to chronic back pain: prognostic elements of the outcome

O. ELKAYAM, S. BEN ITZHAK, E. AVRAHAM, Y. MEIDEN, N.DORON, I. KEIDER, N. LIRAM, M. YARON
Department of Rheumatorogy, Tel Aviv Sourasky Medical Center, Ichilov Hospital, Tel Aviv University, Israel
Clinical Experimental Rheumatology 14: 281-288, 1996

An evaluation of the Alexander Technique for the management of disability in Parkinson’s disease – a preliminary study

C Stallibrass ; School of Natural Sciences, University of Hertofordshire, Hatfield, Hertfordshire UK
Clinical Rehabilitation 1997; 11: 8-12

Functional Reach Improvement in Normal Older Woman after Alexander Technique Instruction

Ronald J. Dennis ;Alexander Technique of Atlanta, Atlanta, Geogia
Journal of Gerontology :MEDICAL SCIENCES 1999, Vol.54A, No.1 ,M8-M11

The Alexander Technique: its application in midwifery and the results of preliminary research into Perkinson’s

Chloe Stallibrass : MA(Oxon), PhD(LSE), PG Dip Management(UEL), AT teacher of MSAT
Mel Hampson; SCM, MSc (Occupational Psychology), AT Teacher of MSAT
Complementary Therapies in Nursing & Midwifery 2001 7,13-18

Psychophysical investigation into the neural basis of synaesthesia

V.S.ramachandran and E.M.Hubbard ; Center for Brain and Cognition, University of California, San Diego
The Royal Society 2001