えこひいき日記
2001年8月28日のえこひいき日記
2001.08.28
久々に近所のDデパートに行ったら、いつのまにかちょっとお気に入りだったMFというインテリア・ブランドが消えていた。がびーん。(まあ私もたいてい見るだけで、けしてよい客ではなかったのだが)
ものごとは、その解釈と意味が大切だと思っているので、下手にマニュアル化した心理学テストっぽいことって信用していない。でも、自分が何を考えているのか見失ったときにはちょっとした指標になることもある。
その中でもけっこう「いえてるかも」と個人的に思っているのが「小さいときに好きだった物語(童話とか)は何か」というものである。それはその人の「人生観」を反映するものらしいのだ。
これを教えてくれたのは私のクライアントだった女性(2年前に亡くなられたのだが、「人間を理解する手立て」に興味を持っておられて、心理学や占いを勉強されていた)のだが、そのとき彼女は失恋したてで、相手に告白するまでの気持ち、葛藤をレッスンの中でも聞いていた。
恋愛は、「相手に」対する感情でもあるが、それ以上に自己評価の問題であったりもする。
彼女は身体に障害を持っていたこともあって、「お友達」は多いのだが恋愛にはものすごく臆病だった。「お友達」が多いのは、彼女が「障害をものともせず」社交的で明るく、いつも他の人の相談役になるような人だったからだ。それは「嘘」や「偽り」ではないけれど、「ほんとう」でもなかったと、彼女はレッスンの中で自ら気がつき始めた。「障害者だから」と気を使わせたり、嫌われたりするのが怖いのだ、と彼女は言った。だから、ちょっとカバンを持ってもらうのも、歩調を自分に合わせてもらうのも、ほんとは「怖い」から、頼めない。で、どんどん「元気な自分」を演じてしまう。そういうことに、レッスンを通して自分の「からだ」を感じ・考えることを通して気がついてしまった。それは大きな視野で見れば、「障害」のあるなしの問題ではなく、いろんなレベルといろんなシーンで人やものごとを好きになるたびに、誰しも「こんな私でいいのだろうか」みたいなことを考えたりするわけだが、ともかく、彼女にとっては自分の「障害観」が大きく変わった時だったのだ。そんなさなかの恋愛であり、失恋だった。
彼女はぼろぼろ泣いていたけれども、どこか冷静で「私、子供の頃、「人魚姫」のお話が好きだったんです。私が予想する物事の顛末って、考えてみればみんなこんな感じなんですよね」と言いながら、「小さい頃好きだった物語」と「その人の人生観」の関連の解釈を教えてくれたのだった。
なんか、あまりにもぴったりだったので、それ以来なんとなく私の記憶に定着することになった。
先日も、ある女性クライアントとのレッスンの中で「人生観」とか「生きていくことの不安」という話になり、ふと興味が湧いて、小さい頃のお気に入りの童話などを聞いてみた。すると「眠りの森の美女(ペロー原作版)」と「赤頭巾ちゃん」と答えてくれたので、いろいろ詳しく「どこがお気に入りだったのか」等々聞いていると、この2つの物語の意外な共通点が見えてきて、彼女の「かくれパンク願望」なども見えてきて、盛り上がった。
現代作家でいうと、奈良美智さんが描く「パンクな女の子」(と勝手に命名)みたいな感じだろうか。逆にいえば、おとなしくかわいくみえて、100年眠った「美女」も「赤頭巾」ちゃんも、おとなしいだけのかわいこちゃんではないんである。
ちなみに私が好きだったのは「長靴を履いた猫」である。