えこひいき日記
2002年2月5日のえこひいき日記
2002.02.05
私にとってバレンタインデーのチョコレートを売る特設会場は「2002年チョコ博覧会」会場である。普段からチョコレートを偏愛している私にとって、ひとさまに差し上げるチョコレートなんてどうでもよい(よくはないけど)ことで、とにかく、普段は手に入らないチョコレートが一堂に会することや、趣向を凝らしたパッケージなどを見て回るのが楽しい。去年はデーメルの「ラング・ド・シャ」という、名の通り「猫の舌」の形をして猫が「あっかんべー」しているパッケージに入った薄いチョコレートが私の中の「ヒット」だったが、今年は特に「おっ」と思うようなパッケージにはまだ会っておらず、全体的にシックなムードなかんじだ。あ、でも今年「パッケージ買い」してしまったのもある。「クイーン・アリス」のチョコレート(これは誰にもあげない。自分用)。パッケージの絵が金子国義さんのだったから、という、安直な理由でございます。
チョコレートのおいしさというのは、複雑だと思う。カカオの実が砂糖、あるいはミルクと出会っていなかったら、今日のようなチョコレートの普及はあっただろうか。ミルクのまろやかさや、砂糖の甘さがなかったら、チョコレートは今日のような親しみやすいものではなく、もっとハードな顔をしたものだったかもしれない。でも甘いだけでもだめ。苦いだけでもだめ。チョコレートの原材料のカカオ豆は紀元前二千年から古代メキシコで栽培されており「神々の食べ物」と呼ばれたそうだ。13世紀から16世紀(コロンブスとかが来る前ですね)のアステカ王国では疲労回復や不老長寿の「くすり」として飲まれていたという。そういえば、お砂糖も平安時代の日本では「くすり」だったという。そのような「くすり」を日常的に口にする現代人は、古代人から見たら「神に近い存在」か、もしくはヤクチュウだろう。医食同源などという言葉もあるが、「たべもの」はいつ「くすり」に、「くすり」はいつ「たべもの」に変身するのだろう。それはカカオやお砂糖の問題ではなく、人間の問題だよね。こういうことを考えるとき、私はちょっと食べ物や日常に対してまじめになろう、と思う。真摯に味わおう、と思う。それが正しいヤクチュウの道だろう。(私、コーヒーも大好きだし)