えこひいき日記
2002年3月3日のえこひいき日記
2002.03.03
桃の節句です。春の和菓子はおいしい。桃の節句にちなんでいただいた和菓子はどれもかわいくて、おいしい。
風邪を引いていたわが猫の体調は回復、全快。体調が回復してみると、それ以前の状態がいかに調子のよくない状態であったかが、はっきりわかる。目の輝きが違う。生物学上「目に表情を感じる」というのは哺乳類に顕著なことで、しかも黒目と白目にあたる部分がはっきり分かれているほど目の動きが判別しやすいため「表情豊か」と感じられるというが、それにしても、体調が回復してからのメフィー(猫の名前)の表情は、目に限らず、全身にわたってさりげない動きが細やかに、かつはっきりと、動けているのがわかる。人間の体調でもそうだが、細かい動きをその動きに必要なだけのエネルギーを使って、細やかに切り替わりが出来るときほど体調は安定している。大雑把な動きは最後まで可能だが(「可能・不可能」の判定で言うと、かろうじて「できてしまっている」ので、自分の体調の変化に気がつかない人も多い)、細やかで繊細な動きの切り替わりほど、体調を崩した段階でやりにくくなっていく。
細やかで生き生きとした目の輝きや動作のバリエーションは猫の魅力の一つだが、やはり体調のよいときのほうがその美しさは生きる。しかし体調を崩しているときの猫の物腰が「魅力的でない」というわけではない。猫をはじめ、動物は自分の体調を言葉では訴えかけないし、周囲にいるものはその変化に気がつきにくい側面がある。それを「動物は体調の悪さを隠す」と表現する向きもあるが、私は今回のことで、それはちょっと違うのかもな、と思った。
おそらく、猫の方が人間よりも「そのときの状況」に素直なだけだ。「体調がよい状態」を「常態(ふつう・あたりまえ)」で「体調がよくない状態」を「異常(ふつうじゃない)」と定め、「ふつうじゃない」状態になったとしても、そのことについて慌てたりしないだけ、のような気がする。体調がよかろうと、悪かろうと「その状態で」生きる事をしているだけなんだと思う。体調がよくなくても「よくないからこうしよう」というような、「よくなくないとき」との著しい差がないので、差が目にとまりにくいことが人間には「隠している」、あるいは動物には「風邪」というような不調状態はないように見えるような気がする。(そういえば「猫は風引かないと思っていた」というクライアントもずいぶんいたな)「異常」とか「正常」とかいうのも概念に過ぎないのだから。概念もとても大切なものではあろうが、概念だけでなく、概念を形成するもとになっている状態もみえると、ちょっとおもしろく、わかりやすい気がする。