えこひいき日記
2002年3月16日のえこひいき日記
2002.03.16
日々あわただしく過ぎていき、いろんなことがある。それを「インパクトの強い順」で書くのもなんなのだが、一番驚いたのは友人の父親が急になくなったことだった。事故だった。
お亡くなりになった日のお昼に私は友人とお昼ごはんの約束をしていたのだが、前日の夜にキャンセルの連絡が入り、「どうしたのかな」と思っていたのだった。昨日がそのお葬式だった。友人のお父様なので、その方とはその方のご葬儀が初対面だった。ご遺影に向かって「始めまして。息子さんにはお世話になっています。」とご挨拶するのは考えてみれば不思議な感じがした。ひとの死はいつでも突然に知らされるものだが、今回は本当に突然という感じで、お知らせをいただいて以来友人とは直接には話をしていないし、いちおうご挨拶上「ご冥福をお祈りします」という言葉も使うわけだが、ご遺影をみて自分の気持ちの中に自然に出てきた言葉は「ご冥福を・・」ではなく「始めまして」だった。写真のお父様はリラックスしたすてきな笑顔だった。へんな言い方だけど、お会いできて嬉しく思った。
祭壇が直接見えない席に座っていた私は、お焼香の際にはじめて友人の姿を見た。これまたへんな言い方だけれども、ちゃんと立って挨拶をしている友人を見て、心底安心した。とても突然のことではあったが、それで友人がどうにかなっていると思っていたわけではない。でも目の前でちゃんと立っている友人を見ると安心して、思わず笑顔で手を振りそうになってしまった(もちろんしなかったが)。席に戻ったら安心して、涙が出てきてしまった。その涙はあんまり故人その人に向けてのものではなかったかもしれないので、ちょっと申し訳ない気持にもなったが、許してもらおう、などと思えるほど気持ちは軽くなっていた。
私は自分自身のためなら、お葬式なんてして欲しくない気がしていたし、今もちょっとそうかな、と思っている。自分自身としては、そーっと箪笥にしまうように、とか、植物の種や球根を植えるように、どっかにそーっと埋めてもらうとか、そんなんがいいな、と思っている。「あれ、どこいったんかな」みたいな、いなくなり方でよいと思っている。でも、生きている身としては、ご葬儀に呼んでいただけるのはありがたいことだと思った。生きている身にとっては、それは故人とのお別れであると同時に、その人が生きていたのだということを受け止め、その人亡き世界をこれから生きていく、という、ただの「喪失」だけでは終わらない意味があるような気がするからだ。最近、人の死に接するたびにそんなことを思う。
先日、あるクライアントさんが娘さんを亡くされた。いわゆる、この世に生まれ出でないまま亡くなったという状況だったのだが、そのことを口にされる際にもクライアントさんは戸惑われた。「ここ(レッスン)で話す話題なのかな」ということと同時に、話したからといって事態がどう変わるわけでもない話を話すというのは、ちょっと勇気のいることだと思う。どのように話すべきかも迷うだろうし、話をするほうも聞くほうも、けして面白く愉快という話題ではない。けれども「戸惑う」のは「話してはならない」と思うからではなく、それほど今その人の心をとらえている「だいじなこと」だからでもある。だいじなのに「どうしようもないこと」に向かい合うのは、すごくタフだと思う。だからこそ、逃げてはいけない。ややこしいけれど、「逃げるな」と言っているのではない。逃げる必要がないと思うだけだ。それはタフで手強いことだけれど、本当はこわいと思うようなものではないと思うのだ。ただ切実でタフなだけだ。
顔も見ずに亡くした娘さんに対してどうするべきか、その人は戸惑っているようだった。私は、それをただの「嫌なこと」とか「失敗」として処理して欲しくないと思った。不幸なことではあったけれど、「嫌なこと」というのとはちょっと違うと思うのだ。うまくいえないけれど、こころのどこかに「居場所」をあげて欲しいと思った。
そんなふうに話すと、そのクライアントさんはちょっとほっとしたような顔になった。そして後日、亡き子ともに名前を付けたことを教えてくれた。私には、それはやはりとても望ましいことに思えた。
この仕事をしていると、物質として存在していることだけが「存在」の根拠になりえないことは、嫌というほどわかっている。筋肉も、骨も、そこに以前から存在はしているのに、その存在への認識が存在しなければ、それは「ない」ということになり、関係を狂わすことがある。かと思えば、存在しない筋肉やその働きを想定して「動かそう」としているひともいる。リアリティとはそういうものだ。人にとって「生きている」というのはどういう状況を言うのだろう、と、思うことがある。ただ生物として生きているだけでは「生きている」ことではないこともある。
私は出来ればいろんなものを受け止めて生きていきたい。