えこひいき日記

2003年3月18日のえこひいき日記

2003.03.18

なんとなく眠れないまま夜中にテレビをつけたら、アメリカのブッシュ大統領がイラク問題に関する国連決議の採択を要請しない旨のニュースが流れた。嫌な気分は夜通し続いて、朝になってテレビを見たらブッシュ大統領の演説が流れてきた。暗澹たる気分の朝である。

結局何度考えても同じ疑問に戻ってきてしまう。「なぜ戦争をする必要があるのだ?」「どうしてブッシュはそんなに戦争がしたいのだろう?」
結局根本的にそこに私が理解ができることがほとんどないのだ。イラク攻撃に反対するデモ・パレードは世界中で展開されていて、攻撃に反対する理由もさまざまだと思う。だが多くの人が、多分、思っていると思うのだ。戦争は解決方法にならない、ということ。戦争をすることがアンチ・テロにはならないし、「(次のテロが起こりそうな前に)自分から仕掛ける権利がある」などというブッシュの発言も、まったく正気の沙汰とは思えない。さらにそれに追随する日本の小泉首相の発言にも、失望を禁じえない。
自分が日本人であることが嫌になる。こういう発言をする人間を首相とする国の国籍を有することが、嫌になる。私は日本の文化は好きだし、日本語も好きだけれど、この国の政治的なあり方は、嫌だ。アメリカも・・・特にニューヨークやハワイは愛着のある土地で、好きだが、今のブッシュ政権は嫌いだ。ブッシュが大統領をやっている国がアメリカで、そのアメリカにニューヨークやハワイがある、という理由で、その場所に行くことをためらう自分がいて、そのためらいを苦しく思うくらいに、なんだかすごく複雑な気持ちなのである。

そういえば、教科書のなかに「愛国心」みたいなものを教育する文言を入れよう、みたいな話があったが、私には正直に言って「愛国心」とは何なのかがわからない。先ほども書いたように、日本の文化や風土・・・それも観光ガイド的な意味で言っているのではなくて、自分がここに生まれて体験したさまざまなことや、育った場所の風景や、そこにまつわる思い出に対する「愛着」としての「愛国心」ならわかる。でも国籍に対する「愛着」があるか、といわれると、それはよくわからない。民族的な意味での日本人が日本の国籍を所有していることが「あたりまえ」のこの国では、「日本人」が「日本国籍」を有することをセットで同一に認識しがちだが、アメリカやインドやヨーロッパ諸国ではそれは「あたりまえ」ではないことである。私は、基本的に国籍とはこの国との「所属契約」だと思っているので、それ以上の愛着は、多分、ない。
自分の大事なもの・・・上記の愛着のある場所や、家族を守るために「戦う」という考え方もある。しかし「戦い」とは「攻撃」なのだろうか。私だって、大切なものは大切だから、それを壊されそうになったら全力で「守る」だろう。その「守る」とは、私にとっては、例えば叩かれそうになったら「よける」とか、壊されそうになったら「持って逃げる」とか、自分や私の大切なものを壊そうとする「その人間に向かって反撃する」とか、そういうことである。私の個人的見解かもしれないが、自分が具体的に認識していない「敵」に向かって「敵意」を抱くのは難しい。自分を殴ろうとする「その人間」を憎むことは、私には出来る。でも「その人間の家族」とか「その人間の所属する会社」「その人が住んでいる国」をその人間を憎むのと同じ憎しみで憎むことは、私には難しい。自分の憎しみは、確実なターゲットに当てるべきもので、ターゲットが見当たらなくなってもてあました憎しみをぶつける的を探して憎むのは、全然違うことである。

だから私にはアメリカ大統領がやろうとしていることがわからない。本当に戦うべき「敵」とはなんなのだろうか。

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