えこひいき日記
2003年3月20日のえこひいき日記
2003.03.20
私のところにレッスンに来てくださっている方のなかでも最高齢の方の「最後のレッスン」が、今日あった。なんで「最後」かというと、これまで大阪府内に一人暮らしされていたのだが、埼玉の息子さん夫婦と同居することになり、引っ越されるからだ。だからコンスタントなレッスンは、これで「最後」ということになる。
その方が最初のレッスンにいらしてからちょうど3年になるだろうか。義理の娘さんの勧めでこちらにいらっしゃったとき、彼女の骨盤は肋骨とぶつかっている状態・・・つまり、いわゆる「おばあさんの猫背」になっていて、日常動作が非常に苦しい状態だった。ヘルパーさんが生活のお手伝いをしてくれているといっても、やはりこれは辛いことである。試しに動いてみてもらうとわかりやすいと思うが、ウエストのあたりで深く腰を曲げたまま歩こうとしても、うまく足が上がらないし、腕を上げようとしても、真上には手が上がらない。肩関節や膝、股関節に損傷がなくても、このように大きく動作は制限されてしまうのだ。そのために彼女はよくこけて顔を打っていたし、座るとか、しゃがむという動作は本当に「こわい動作」であった。
しかしレッスンを受けてもらうにつれ、状況はよくなってきて、今では階段もすっすと上れるし、低いところへ座ったり立ったりするのも、何にもつかまらずに可能になった(それまでは床に腰を下ろしてしまうと自力では立てなかったのだ)。そういうふうにして日常の「自由」を得ることは、彼女にとってとても大きなことだったようだ。レッスンを受け始めてからお友達には「見違えた」と言われるようになり、自然に気軽に外出する機会も増えたようだった。
そして猫を飼い始められた。うちにいる猫を見て、以前飼い猫のことを話してくださったことがあった。16年一緒にいた猫が数年前になくなったらしいのだが、そうおっしゃった後に「私がいなくなるほうが早いから、もう猫は飼えません」とちょっと切なそうに言っておられたのが印象的だった。しかし確か1年程前に、お孫さんが猫を拾ってきて、それが縁でまた「猫の居る生活」が始まった。新しい猫のことを、嬉しそうに話されるのを見て、私もなんだか嬉しかった。
そして今回のお引越し。「最後のレッスン」を終えて、ふと猫のことを聞いてみた。すると彼女は、「どうしようかと、夜も眠れないくらいだったのですが、幸いヘルパーさんが引き取って飼ってくださることになりました」と本当にほっとしたようにおっしゃった。ヘルパーさんは猫が好きな方で、既に4匹の猫を飼っているらしい。「外にも出していた猫だし、家は残していくので、空家だけれどお風呂場から猫だけ入れるようにして「家付き半野良猫」になってもらおうか」と思ったり「いっそ野良猫の方がしあわせだろうか」と考えてみたり、いろいろ考えたとおっしゃっていたが、どうやら猫にとっても人間にとっても一番よい結末になったようで、よかった。
それにしても、「夜も寝られない」とおっしゃった、彼女の平静で真摯な口ぶりがなんとも印象的だった。自分と生活をともにしてくれた猫の行く末を「夜も寝られないほど」考えるのは、全く普通で当然のことだ、ということを、その口調が物語っているのだった。それはもちろん「当然」で「普通」なことなのかもしれないが、そういうことを当然に、普通に、そして真剣にしてくださっていることに、心の底から安堵している自分が居た。希望のようなものを感じてしまう。
バクダットの夜明けの空に空爆の閃光と轟音が響くのをテレビ画面を通してみながら、私はその希望のようなものをお守りのように握り締めている気がした。自分が信じられないことが自分の周りで起こるのは、やはりしんどい。自分の所属している国なのに、自分が住んでいたことのある国なのに、その国の行方を差配している人の考えていることが理解できないというのは、へこむ。そんな中にあって、「猫」と「人間」という違いはあるけれど、「猫だから、いいや」じゃなくて、離れても、その幸せを祈れること、その幸せのためになにか自分に出来ることをすることを惜しまないこと。そういうことを出来る人が身近にいる、ちゃんと居るんだ・・・ということが、本当にありがたいと思った。
ちゃんと感じて、考えよう。