えこひいき日記

2003年3月29日のえこひいき日記

2003.03.29

昨晩、ある公演を観にいった。それは私のところに来てくれているクライアントも出演する舞台で、私のクライアントのパフォーマンスはよかったのだが、公演全体としては「イベントとしては成功しているが、作品としては、うーん・・」という感じだった。んぅん、なんなのだろう。海外のパフォーマーやミュージシャンも参加していて、一人一人のアーティストの力量も申し分はないのに、なぜか、セッションする意味をそれほど感じられない舞台であった。
うぅぅ。なんなのだろう。
料理でいうなら、一皿の料理を、あるいは一つのコース料理を完成させるのに、一つ一つの品がどんなにおいしくても、取り合わせが合わないと「あれ??」という感じになってしまうのに似ているのかもしれない。(そういえば、某料理番組でも、素材はどれも厳選の逸品なのだが、それで作った料理はびっくりするほどまずかった、ということが本当にあったそうである)うぅぅ。

「からだ」のことでもそうなのだが、「痛い」とか「しんどい」とか「よくない」という感覚にのみ依存するようなものの感じ方は、私はあまり好きではない。それは感覚としては極限定的なものにすぎないわけだし、それをして「感じている」ことの全てになってしまうような幹事方は、単純に貧しい。やーな言い方かもしれないが、「痛い」「しんどい」くらいのことは、あほでもわかる。舞台を見せていただいても、「よくない」とか「好きじゃない」くらいのこと、あほでも言える。だからその感覚と向かい合わなくてはならなくなったときに、そのような言葉以外で、それがどういう状況なのか、表現できるボキャブラリーを持ちたいものだと、私なりに思っている次第である。
「痛い」とか「しんどい」というインパクトの強い感覚に依存して身体の存在を知るのではなく、けして派手な感覚ではないけれども、滞りなくうまくいっているときの「感じ」も感じられるようになってこそ、感覚の世界は満たされるもののような気がする。だって「痛い」「しんどい」ときだけが「自分」じゃないですもんね。むしろ「それ以外」のときのほうが圧倒的に「じぶん」のはずなのである。たしかに、記憶には残りにくいのだけれども。

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