えこひいき日記

2003年6月2日のえこひいき日記

2003.06.02

6月になりました。「もう今年も半分おわりかよー」の月の初めであります。あぁ、はやい。

今日になって出版社から連絡が入り、私のほうの発売は2週間ほど遅れるそうな。私もちょっとがっかり。来週から始まる「KCDL-7」のプログラム参加者や、その後アメリカに行くときに、もっていこうと思っていたんだけどな。早々と注文してくださった方、楽しみにしてくださっていた方、本当に申し訳ありません。

先日、5月には入って初めて丸一日クライアントがこない日が取れた。このところ、私の仕事は妙に忙しく、気がついたらそんな状態だったのだ。それでも、せっついて原稿を書いていたときよりは体力的に楽な気がする(ほんとは次のことをそろそろ書かないと、なのだが)。
今私は少しゆっくり本を読む時間が欲しい。あれこれと読みたい本が溜まっている。新しい本(「新刊」という意味でもそうだが、発行年月日の問題ではなく「自分が読んだことのない本」という意味で)も読みたいし、以前読んだ本の中にも読み返したい本がたくさんある。なにか、ふと考え事をしていると、そうした文章の断片が記憶の中でひらひらしたりするのだ。その「断片」がいったい何になるものなのか、それは自分でもさっぱりわからない。でも、そのひらひらする断片に導かれてふらふらしたい。「目的に向かって一直線!」という歩き方ではなくて、あてどなく歩いてみたいような気がするのだ。でも本当に「あてどなく」でもないのかもしれない。「あて」は、なんとなくある。
自分が何かに向かって歩き始めるときって、いつもそんなもののような気がするのだ。例えば、そのときには明確な回答や決着がつかなくても、ずっと記憶の隅に忘れることなく存在していて、ずっと時間がたった後に「こういうことだったのか」と思うようなことって、ないだろうか?私は、例えば買ってきたものはすぐに開けて使ってみたいほうだし、思い立ったらすぐ!という性格だが、この件に関しては、なぜか焦りを感じたことはない。ちゃんと「こっちだ」とどこかで感じているような気がする。あるいは、道に迷ったとき、気持がしんとするのを待って、「勘」が方向を示してくれるのを待つことがあるのだけれども、それで私はあんまり外れたことがない。不安な中に、どうして自分の「勘」に行動の指針を託せるのか、自分でも解らないけれど、
しかし「あてずっぽう」ではなく、妙に確信めいたものを含んで、「かっちり」したものがそこにはあるような気がする。

ああいう感じって、何なのだろう?どう名付けたらいいのかな?かわからないけれど。

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