えこひいき日記
2003年12月3日のえこひいき日記
2003.12.03
私、最近ではめったに自分のスケジュールを「忙しい」と思わなくなっていたし、あんまり「忙しい」とか「忙しくない」とかいうことに興味がない(?)のだが(「忙しさ」が行動を決めるのではなく、要は「やりたいか、やりたくないか」だと思っているので)、でも、この数週間は忙しかった。
とにかく、手を抜けない、もう後のない決断を迫られるような事案が次々とやって来て、それにかまけること以外あまり時間をかけられない状態だった。とはいえ、自分でスケジュールとエネルギーをトリムダウンして、今するべきことだけに絞って行動できたし、またそれが可能なように意外と瑣末な用事はこの期間は入らなかったので、助かったし、助けられた。
「幸福とは生き残ることだ」
これは東京・六本木に出来た森美術館の館長・ディビッド・エリオット氏が開館記念店『ハピネス展』に寄せて語った言葉である。このすっきりと言い切られたシンプルな言葉は、クレイジーに忙しかった私をクールダウンしてくれた。実は、手前味噌な話ながら、夏に発売された書下ろしに書きたかったことは「サバイバル」だったのだ。本を書く前から、コンセプトとしては・・・あるいは私がこの仕事に携わる意味は、「project for survival」というのが私の頭の中にあったことだ。結局、それをタイトルに使用するとはしなかったが、本文の最後の方に「日常」と書いて「サバイバル」と読ませる一文を書いた。
私が思うサバイバルとは、戦場での戦いや、逃げ延びや、動物の食うか食われるかといった緊迫感に彩られた瞬間のことではない。「緊迫感」に彩られた行動は、いかにも「やってる!」という感じでわかりやすいかもしれないが、それは実は「生きる」ということそのものとは似て非なることだ。
でも、いつのまにかその「似て非なるもの」が「ほんもの」のような顔をしてその位置にのさばっていることがある。「生きること」そのものよりも、それを感じたい飢餓感の方に隷属してしまうことがある。残念ながら、こういう仕事をしていると、こういう人にはしばしば出会う。そういう人は「よくなりたい」と言いつつも、痛みや悩みでしか自分を認識できないから、痛みや悩みが手放せない。痛みや困難感にぶちあたってからでしか物事の改善に踏み出したことがないから、コンプレックスも深い。感覚の中心が「痛み」だから、感じることがそれに限られがちで、ゆえに自分で感じて判断することよりもマニュアルや権威に依存しようとする。そういう人間って、言い訳じみていて嫌いだったけれど、ますますもって「どうしたもんだろ」と最近思いはじめた。それがどんなに厄介でも、どんなに今はへこんでいても、その人が生きることに真剣ならば、レッスンはいつでも楽しいのだけれども。
どうして幸福よりも、不幸や痛みの方が人の心をとらえやすいんだろう・・・と考えてみたときに、幸福になるのって勇気が要るんだな、と思い始めた。だって、言い訳が出来ない。嘘がつけない。とても切ない。それは簡単なことではないけれど、でも私は、痛みを媒介とせず、痛みに溺れず、幸せになることに照れないで、幸福を求めたい。そのことに貪欲になりたい。
そんなことをおもったのであった。