えこひいき日記
ストレスというもの
2004.09.14
ここ1週間ばかり船酔いのようなめまいが続いていたのだが、それが良くなるどころかだんだんとハードになってきてとても疲れるので、病院に行くことにした。
このような症状の場合、迷うのは「何科に行くべきか」という点である。「めまい」という症状の多くは耳の機能異常によるところが多いそうなので、耳鼻咽喉科に行くほうが良いのかもしれないが、耳関係の他の症状(耳鳴りとか、難聴とか、痛みとか)はないし、ひょっとしたら脳神経の問題かもしれないので、どちらの科もある病院が望ましいのだが、なかなか手ごろ(?)にないものである。しかし昨日から発熱と身体の痛みも出てきたので、これは内科的な症状かもしれないと思い、とりあえず検査設備のある内科系の総合病院に行ってみた。
私はだいたい3年に一回くらいの割合で過労で病院に行く。たいてい高熱がでて、生理食塩水の点滴を打ってもらい、体調が回復するのだが今回は新手のパターンだ。ゆえに今回の病院での検査内容も初体験のものばかりで、なかなか面白かった。頭部のCTに平衡感覚検査、血管の状態の検査、それと血液中の活性酸素量を調べる検査などである。しんどい状態なのにそれらの検査を「面白がる」というのは奇妙なんだが、自分で知覚できること以外の視点から自分自身のからだのことを知ることや、やってきたことのないことをするというのは、やはり何だか面白いものである。また、検査内容のほかにも院内を行き交う人たちを観ているのも何だか面白かった。考えて見れば総合病院のようなところに行くのはほぼ10年ぶりであったし、単純に珍しかったこともあるのだが、人間の行動はやはり周辺環境にかなり影響されているものだなあ、などと思った。医師や看護士、患者は意図的にその役を演じているわけでもないのだが、しかし「そうとしか思えない(どうみても患者にしか見えない、とか)」行動をとっているのが興味深い。彼らはこの病院を出ればそんな口調でしゃべらないかもしれないし、こんな歩き方でもないのかもしれない・・・などと妄想するとさらに面白い。そしてその日はたまたま大勢「健康診断」のために病院に来ている人たちが居て、いかにも辛そうな病人と、元気いっぱいで仲間同士で大声でしゃべっている健康診断の人との対比も奇妙であった。病人はまあ自主的に病院に来ているわけだし、しんどいから各々静かなのであるが(看護士さんとはやたらしゃべっている人もおられたが)、健康診断の人はここにいることがどうも落ち着かないのか、やたらと大声でしゃべり、へんな冗談を言っていたりする。明るい口調だが緊張しているのがほのかに伝わっていて、面白かったりした。
私の診断は幸いというか、CTで見る限り脳は異常なし、ただしやはり「めまい」は認められ、血液から見ても疲労状態です、との診断が下った。「ストレスの高いお仕事をされていますか」と医師に言われたが、「はい」と答えるしかない。最近、わりとハードなクライアントを抱えていたし、考えてみれば蓄積疲労の兆候は7月くらいからあったのに、仕事にかまけて横目でしか見なかった私が悪いんである。また体重減っちゃったしなー。その日は点滴を打ち、とりあえずめまいを抑える薬を処方された。今のところめまいは続いているが体調は随分楽である。
「ストレス」という言葉は便利なものだ。医師に「ストレスが高い」と言われてなんとなく会話は集結してしまうのだが、そのように名付けられたからといって状況が片付けられるものではない。仕事が私にストレスを与えていることは確かである。では仕事をやめればストレスが発生しないかというと、そういうものでもない。今の仕事は苦労も多いが、やりがいもあるというか、仕事を通してでないと見えてこないようなものにまみえる機会も多いので面白いところもある。特にクリエイティブなクライアントさんのレッスンはわくわくする。しかしそれが「ストレス」になりうることも理解しているつもりだ。だからこそ、仕事の仕方は考えないといけないと思う。「仕事を辞める」意味ではなく「休み」は欲しいし。結局その後も普通に仕事をしているのだが、レッスン以外の作業については大幅にセーブしている。後回しに出来ることは出来るだけ後回しにしながらやっている今日この頃である。