えこひいき日記
2004年10月18日のえこひいき日記
2004.10.18
福岡ワークも終わり、帰ってきて1週間がたった。福岡に行く日はちょうど台風が来ていて、飛行機が飛ぶものか危ぶまれたのだが、何となく大丈夫な気がしていたら大丈夫だった。こういう「勘」ってあまり外れたことがないから面白いものである。ワークショップでは反省すべき点もあったのだが(テーマの限定の仕方とか、もっとこうすればよかったとか、あの時この一言をこの人にいっておいたほうが良かったかな、とか)、滞在中はいつもながら主催者の配慮が行き届いていてとても快適に過ごせた。個人レッスンとワークショップの日程はぎっしりで、スケジュール的にはハードワークだったのだが「楽」だと思えるのである。お互いに無理をしないでそれができることがとても嬉しく思う。
さて、秋はさまざまな舞台があり、ここに来てくれているクライアントも舞台を抱えていることが多く、そのリハーサルに付き合うことがあるのだが、それは楽しい。福岡ワーク中に一つ、昨日に1つ、クライアントの本番があり、それらは残念ながら拝見することが出来なかったのだが、平素のお稽古と、作品のための練習や本番のためのリハーサル、そして本番のパフォーマンスがつながっていくのを観ていられることは楽しい。練習やリハーサルがそれぞれ特有の違いを抱えながらもつながっていくことはパフォーマーにとって大切なことである。
いつもながら思うことだが、練習の最後に本番がやってくるので、練習(平素の練習とリハーサル)の内容や意味は非常に重要だと感じる。焦る心に負けると忘我的なリハーサルを重ねたり、やたら用事を作っては走り回ったりなどして、疲労だけが加速的にかさんでしまうことがある。それではその最後にやってくる本番で十分にパフォーマンスを発揮できない。しかし疲労を気にして練習を行う(つまり「疲労しないこと」が目的化された練習の仕方)というのも違う。乱暴な言い方かもしれないが、少々疲労しようが、きつかろうが、それは本番ではたいした問題ではない。大切なのはそのような労力が的を得て費やされていることなのか否かである。「こうしたい」と思う表現が結果的に本番に置いて肉体に負担をかけるものだったとしても、それは仕方がないし、当事者も納得できるだろう。納得できないのは、そのやり方である必要はないのに肉体的に無駄にハードであったり、そのハードさがかえって表現の表出を邪魔することである。それはつまり稽古の仕方が的確ではないのだ。本番では多少也と上も「あがる」ものではあるが、それが過剰な場合の多くは、自分を追い詰めることと「努力」をはきちがえているようなお稽古の仕方をしている場合が少なくない。それはもったいないというか、残念なことである。いつか肉体の消耗が創造意欲や表現力の磨耗にもつながってくる。それはやはり「もったいない」ことである。
さて、気がついてみれば10月も後半。11月は私の原稿書きと、タンクを使った計測実験のために施設を貸す日があるので、レッスンの予約をお受けする日に制限を設ける。ご迷惑をかけるかもしれませんが、どうぞよろしく。