えこひいき日記
2005年10月28日のえこひいき日記
2005.10.28
周りがどう思おうと、本人がそう思わなければ何も変わらない。逆にいえば、本人がそれにリアリティを持てばそれは教師が教えた以上に大きな進展をみせる。そのことはこの仕事をしていて身に沁みて分かっている。
でもこのことを言葉にして思い浮かべるのは、これが嬉しい方向に展開されているときではなく、残念ながら憂うべき状況となって目の前に展開されているときが多い。他人の私はどうしようもない、他人の私はどうしようもないんだ、と自分に言い聞かせるためにコトバにして思い浮かべているような気がする。やれることをしよう、でもやりすぎないようにしよう、そのうえで成らないことは仕方がない、諦めよう。自分のちっぽけさを諦めよう。そうコトバにしてみることがある。そうしなければ内臓が千切れてしまいそうな気がするからかもしれない。結果として私が取るべき(これしかできない)ことはわかっていても、それに伴う痛みを省くことは出来ない。痛みを感じなくするココロの麻酔が欲しいと思うときもある。でも、それは本気ではなくて、一旦、階段の踊り場のような逃げ場が欲しいときに思う自分にかけるペテンや方便の類だと自分でわかっている。
レッスンにきてくれるクライアントの中には「変わりたいけれど、変わるのが怖い」と思っている人は少なくない。多くの場合は「あんずるより産むが安し」。「こわい」という感情を抱いたときに目をつぶって放り込んでしまっていたブラックボックスの中身をのぞいてみれば、思っているよりもこわくないものが入っていることが大半だ。なーんだといって笑顔になるクライアントの顔もたくさん見てきた。その先の展開はけっこう楽しい。
しかしそれすらも、「ブラックボックスの中を見てみよう」という気持ちになったからこその展開である。このままではいけない、このままではもっとたいへんなことになる、とわかってもその状況を飛び出す勇気がない者には何も出来ない。辛くて我慢しきれなくなって、ちょっとした破綻は起すが、それを納めることで「みんなまるく納まった」ような感覚になり(こちらこそ本当にペテンの類)結局何も変わらなかったりする。
あんまり書くとプライバシーの問題があるので書けないが、先日この「日記」にも書いたクライアントがパニックを起して8回くらい電話してきた日があった。仕事中は電話を取れないので留守番電話になっているのだが、そのほとんどが無言か鳴き声。何を言っているのかわからなない。事情を聞くと、しんどさのあまりつい「仕事をやめる」と言って会社を飛び出してきたらしいのだ。そんなやり方で仕事をやめるのもなんだが、こんな状態のまま仕事を続けるのもなんである。これは逆に今まで目をそらし続けた自分を見つめなおすチャンス。仕事をどうするかについてはゆっくり整理するように勧めたのだが、結局彼女は仕事をやめるといってしまったことに恐れをなし、わずか一日で会社に戻ってしまった。彼女の上司とも話をしたのだが、事なかれ主義の上司は「僕に言われても専門家ではないから分からない(分からなくて当然)」「僕にも立場があります」と自己弁護と責任回避をするばかり。彼女の状態には「困っている」と言いながらも、「仕事を休んではどうか」などと切り出す「汚れ役」は回りたくないのだろう。現に彼女の辞職撤回際しても「このような状況で復職されても困る」と私には言いながら、詫びを入れてきた本人には「辞めないでくれ」としか言っていないのある。
きっと彼女はこれまで以上に仕事に固執するだろう。次に破綻がくるときはこれよりきついだろう。それがうっすら透けて見えるのに、それでも私にはなにもできない。暗澹たる気分になる。
こういうケースを担当するの初めてではない。クライアント自身やその関係者の無理解や反発に遭遇するのも初めてではない。例えば、うつや特定の心療内科でも扱うような症状を抱えている息子や娘が症状改善のためにこちらのレッスンに来ることを嫌がり(“親でもない人間”が親以上に息子や娘を理解し、彼らがこちらを信頼していくのは、娘や息子を盗られるようで嫌らしい)「親でないのに何がわかるんですか」と食って掛かられたこともある。息子さんや娘さんへの支配にも似た過剰介入をいさめても「それが親の情というものではないですか」「私ばかり責めないでください」と言ってきたりすることも珍しくはない。それでいて「私は専門家ではないから、わかりません。早く治してください」「先生が息子のことをよく分かるのは先生も異常だからではないですか」などとまるで逆(?)のことを言ってきたりする。「私は悪くない」という態度と子供への「情」という名の理解なき執着(これも「自分は悪くない」という言い分の別の表現に過ぎない場合が少なくないが)。排他性。保守性。それに触れるたびに暗澹とした気分にはなるが、心は醒めていることも多い。私に一旦食って掛かった分、子に対してその攻撃性を発揮しなくなる(といっても1,2回分くらいだけれども)こともあるし、とりあえずそのように吐き出すことで多少は冷静になる人もいるからである。それを通して理解をしてくれるようになる人もいる。全く理解しない人もいるけれど。
でも私も機械のようにいつも冷静でいられるわけではない。しんどいと思うこともある。
そういう最低な気分で大阪に向かう電車に乗っていた。クライアントのコンサートを聴きに行くためである。楽しみにしていたコンサートなのに、眉間にしわが寄ったまま、うつうつとして心臓が苦しいような状態で足を運ぶことになってしまったのが申し訳ない気持ちがした。
うつうつとしていたためにうっかりタクシーの中でショールを忘れた。(ちなみに事務所を出る前に電球を二個切らしてしまった。いらついたときに電化製品を触ると私の場合、よく壊れる)コンサートの合間にタクシー会社に忘れ物の件を伝え、もし見つかったなら京都に戻る前に受け取りたいと伝える。「問題ないです」と言ってくれた会社の人だったが、コンサートが終わっても連絡がないのでもう一度電話すると「タクシーと連絡がつかない」という。なんやそれ、と思いつつ「必ず後から連絡いたしますから」と言ってくださったので、京都に戻った。翌日分かったことだが、そのタクシーは私が降りた後に「アクシデント」を起したのだという。どういう「アクシデント」だったのか詳しくはタクシー会社の方もおっしゃらなかったが「ずっと連絡不能で」「レッカーで車が今朝戻りまして・・」などと電話口でおっしゃっていたので、なにごとか、そういうことらしい。ショールは車内で見つかり、こちらに送ってくださるということだが、なんか、意味もなく申し訳ないような気分になった。事故は、私のせいではなく、偶然でしょうけれども。
ホテルのチャペルで行われたNU嬢のピアノコンサート。2枚目のアルバム発売直後のコンサートである。レッスンでお会いしているクライアントではあるが、生でピアノ演奏を聴くのははじめてである。チャペルの雰囲気は彼女の雰囲気によくあっていた。音楽を聞くためのコンサートではあるが、総合的に雰囲気をも含めて音楽を味わうというコンセプチュアルな配慮が感じられる。
コンサートの内容はNU嬢の自作の楽曲のピアノ演奏。「自作自演」というスタイルは音楽の世界でもダンスの世界でも演劇の世界でも、珍しいことではない。しかし同じ一人の人間から生まれたものでも、一旦作品として命を持ってしまった楽曲と、作者にして演奏者でもある人間との間には微妙な距離が生まれることがある。演奏者と作品の遺伝子は同じはずなのだが、でも作品にとってベストの演奏者(表現者)が本人でない場合もあるし、表現者の魅力を引き出す作品が自分の作品ではないという場合もある。それが悪いというわけではない。ただそういうことがある、というだけのことである。
しかしNU嬢の作品と演奏の間には同じDNAの存在を強く感じる。曲と演奏の間に隔たりが少ない。作品を作ったときと演奏する今との間には結構タイムギャップがある作品もあるのだが、彼女の演奏は今生まれたばかりの音楽をその手で今取り出すように、瑞々しい。やはり実際に演奏を聴くのはよい。そう思えるコンサートであった。
「癒し」などという言葉を卑しくも軽軽しく使いたくないが、会場の席についたときにもまだ刻まれていた眉間のしわも、心臓の暗いざわざわも、ピアノの音で溶けていくようだった。
私の人生そのものは、隅々まで美しいと言うわけにはいかない。出来れば素手で触れたくないようなものにも触れなくてはならない仕事を選んでしまっているし、それを通して「人間」というものに絶望に近いものを感じることもある。でも、美しいもの、嘘のないほんとうのことに、私はここ1ヶ月救われ続けている。感謝である。幸いなことに、私にとってまだ人間の持つ「絶望に近いもの」よりも「美しいもの」のほうが影響力を持っている。美も絶望も、人間の身体と精神のどちらかだけにではなく分かち難くまたがって存在するものだが、もしも「美しいな」と感じるセンサーが「悲しいこと」や「絶望」をもどうしようもなく同時に拾ってしまうのであれば、私は絶望を避けることに勤勉な生き方ではなく、できるだけ美しいものを美しいと感じられる生き方をしたいな、と思ったりする。そう思うと、生きる勇気がちょっとだけ湧いたのであった。