えこひいき日記
2007年3月7日のえこひいき日記
2007.03.07
昨晩、事務所から帰るときに「寒いなあ」と思っていたら雪が舞っていた。寒いのが好きなわけではないのだけれども、今年は妙に暖かい冬だったので、このまま春になってしまうよりも1回くらい寒が戻ってくれたことになんとなく安心感を覚えている私。
このところたてつづけに訃報に接する事が続いた。
クライアントさんの猫が家事で焼死したり、老衰、病気で亡くなったという訃報から、クライアントさんのご家族、ご親族がなくなったケースなど、本当に何件も連続してお知らせをもらった。
死は、けして異常な現象ではない。でも、だからこそ、親しい人の死はなんともいえない気持ちになる。悲しみを感じながらも死とはまだ同化できないでいること、自分が生きている事が不思議に思えたりもする。
それでも生きていかなくてはならない。
親しい人、というと語弊があるのだが、哲学者(という肩書きでよろしいのだろうか)池田晶子氏の訃報は私にとって少なからずショックであった。眼の前で薄いガラス球がはじけとんだような気がした。
私が池田氏が亡くなっていた事を知ったのは2日前であった。彼女が亡くなったのはその10日ほど前のことであった。私がテレビも見ず、新聞も見ず、ぐったりしていた期間に彼女は亡くなっていたことになる。そういうタイミングで亡くなっておられたなんて、なんだか悔しいような気がした。すぐに訃報に触れられたとしても、私には何も出来ないのだけれども。
私は彼女と直接の知り合いではない。面識はない。私はただ彼女のお書きになったものを読んでいた、読者に過ぎない。でも彼女のお書きになったものに私は凄く勇気付けられていたような気がするのだ。
文章には、その方が望むと望まざるとに関わらず、“その人”というものが出てしまうものだが、その出方や出力というものは書き手によって違うような気がする。池田氏のお書きになるものは、私にとってまごうことなき彼女の「実在」であった。文章にその人のカタチや姿を感じるほど、すごく“その人”だったように思う。それはあくまで私の感覚に過ぎないわけだが、私にとってそのように感じた作家は他にあと一人しかいない。
だから、失礼を承知で書かせていただくならば、私が彼女の訃報に触れて最初に感じたことは「彼女が亡くなったということは、彼女の新しい文章をもう読めないということなのだ」ということだった。それは、例えて言うならば、急に大量に髪の毛が抜けたり、突然手足が動かなくなるような感じであった。私にとっては。それを驚き、といっていいのか、喪失感と呼んでいいのか、よくわからない。
「考える」ということについて、池田氏は常にまっすぐな態度をとり続けた。「私たちは本当に考えているのか」「それは本当に“わたし”の考えているのことなのか」という問いかけをし続けていたように思う。それはすごく大事な問題でありながら、問うのが恐ろしい問題でもあり、誰もが何らかのかたちで関心を持ちながらも、何所から手をつけてよいのかわからなくなるような問いだと思う。彼女はそれに対して既存の哲学の引用に頼らず、自分の言葉で、平易に、考えるヒントを提示し続けた。そういう果敢なチャレンジをしている人がいる、ということは私にとってとても励まされることであった。
私が中学生のとき、日記に「私の考え、というのはありえるのだろうか。私が“よい”と思ったり“わるい”と思ったりしていることの大半は、親や大人の誰かがそう言ったことで、わたしが自分で生み出して思ったことではない。そうであるならば、私は自分で何も考えず、意味出さずに死ぬんだろうか」という意味のことを書いていた。この日記はアメリカに留学する直前に見つけて、「うっかり飛行機でも落ちて親に見つかったらやばい」と思って焼却処分してしまったのだが、留学前の23歳の私が12歳くらいの私と相も変わらないことを考え続け、今もまだ考え続けているというのは何なのだろうと思う。
そのせいか、彼女のベストセラー『14歳からの哲学』という本を書店で見つけたときは何だか嬉しかった。14歳のときに私が読んでいたら、なんと思ったかな、とか思った。「よい本や脚本を読むと、吐き気がする」と言ったのはジュリア・ロバーツだったかと思うが、14歳の時に読んじゃったら素直になれずに悪態をついたかもしれない。それとも、やはり嬉しくなるだろうか。
考える、ということを本当にやろうとすると難しい。むつかしい、というより、簡単ではない。難しくないこと、簡単であることが自動的に“よいこと”であるかのように見なされがちな思考停止ゾーンの中で、わかりやすさと矮小化の違いを掻い潜り、ちゃんと考える、ということを続けるのは簡単ではない。
でもちゃんと考えねば、と思う。
それが一度もお会いしたことはなかったけれど、私に多くのものを与え励ましてくださった池田さんへのせめてもの“仁義”のような気がしている。