えこひいき日記
2010年1月9日のえこひいき日記
2010.01.09
あけましておめでとうございます。今年もよい一年になりますように!
今年の年末年始はなんだか早かった。曜日の関係から、月曜日にあたった12月18日から休みとし、次の月曜日になる1月4日から仕事をしているせいだろう。1週間。あっという間。
しかし今年の元旦は満月だったし、30日にも満月が来る。なかなか華やかでよい。15日は新月で日食。華やかである。たまたまなんだが、この新月で日食という日に、私は高千穂の天岩戸神社近くにいる予定だ。だからなんだ、という話ではないのだが、個人的にちょっと楽しみ。
2年前あたりから暦やらを調べてみることがあった。その話をすると「なぜ?」という顔をする方もいる。「からだのことをしているひとが、なぜ?」と思うのだろう。確かに、お日さまやお月さまの運行など、個人の生活や身体とどのような関係があるものやら、あまりピンとこないという方も少なくないかもしれない。なぜなら、現代の生活は、日暮れとか寒暖とか、自然の気象条件やその変化の影響を「受けないようにする」ことを「人間の知恵」「テクノロジーの発達」と認識している部分があるからだ。
現代の生活では、日が暮れて、暗くなって手元が見えなくなってきた「から」仕事を中断する、ということはほぼしなくてよい。仕事を続けたければ電気を使った明かりをつけて、仕事を続けることができる。つまり、望めば「ずっと昼間だということにする」ことができてしまうのだ。人間の肉体は有機物だから、本人の意思(少なくともそう思われているもの)とは別に、疲労を訴えたり、お腹がすいてきて動きが止まったり、気分が変わったりする。それを「からだが言うことを聞かない」と「身体という条件に邪魔をされている」としか感じない人もいる。そうすると、人は「苦労を減らす」つもりで、さらに仕事の効率を上げるグッズを開発したり、疲労を感じなくするためにサプリメントや点滴などを使用したりする。ちょうど電灯を使用して夜を昼に変えるように。季節の変化や気温の上がり下がりをボイコットして「状況」を変わらなくするように。それは一見その人の希望をかなえているように思えるかもしれない。確かに、ある意味かなっている。少なくとも、表面的な希望は。
でも、本当にそんなことがしたいことのだろうか、と思ったりする。電気をつけ続ければ昼夜関係なく動き回り続けられる、サプリを投与し、疲労をごまかせば止まらないで済む・・・そのことは本当に「自由」を意味するのだろうか。そうやって、自分を縛る、肉体やら自然やらという「制約」を克服したつもりで、実はもっと深く何かにがんじがらめになっていることってないだろうか…最近そんなことをつくづく思う。
人間は、生き物なのだ。地球に生まれたほかの生物と同じく、天体や気象の影響を受けている。それを認識しようとしまいと。あるいは、どのような認識をしようとも。睡眠障害を持つ人には「太陽の光を浴びてもらう」という治療法を施したりする。「そんなこと」と思う人もいるかもしれない。そう、そんな生物としてあたりまえなことが、実は重要だったりする。生物として「まとも」に反応することが、人間の実に多くのことを有効に機能させることだったりするのだ。気候変動で日照時間が少なくなると、うつが増えるという報告もある。単に電気で明るくするだけではだめなのだ。
最近、せっかく生き物に生まれてきたので、生き物としてちゃんと生きたい、と思う。それは、現代の人間にとっては、「勝手にそうなる(できる)」ことではなく、ある程度意志を持って「選択」すべきことに入るのかもしれない。生き方として。
昼夜を問わず働ける労働力なんか、機械に任せておけばいい。インプットされたとおりに動くエラーのなさも、コンピューターに任せておけばいい。人間が機械になるような性能の上げ方ではなく、何か「人間だからこそ」というやり方や生き方があるような気がするのだ。それは何か、と考えている。まだ答えが見つかったわけではないけれど。