えこひいき日記
2010年8月1日のえこひいき日記
2010.08.01
ここ数週間は猫のことに忙殺されていた。うちにいる猫の体調が悪くなり、ご飯が食べられなくなってしまったのだ。
うちの猫はもう18歳。寄る年並みなりの加齢変化も経験してきてはいたが、きわめて元気に過ごしていた。が、ある時、片目だけが泪目になっていて、片鼻からだけ鼻水をたらしているのを発見した。それに時々口を少し開けたまま寝ている。もともと軽いアレルギーがあるのでそのためかとも思ったが、片方だけというのが気にかかり、病院に連れて行った。
医師の診察中、口の中が腫れているのを発見し、医師に診てもらったところ、歯肉炎と腫瘍があることが分かった。この腫瘍が口腔内を圧迫し、目や鼻に影響を与え、口を開けたままにさせていたのだ。医師は腫瘍が癌である可能性や手術で下顎を切除する例などを説明してくれたが、高齢であるうちの猫に全身麻酔の手術はきつい。とりあえず血液検査をし(うちの猫はすでに腎臓病を患っている。ただ、検査結果は幸い良好)、抗生剤の点眼と経口投与が始まった。
治療が始まったものの、そこから先の衰弱ぶりが激しかった。どんどんご飯を食べなくなり、痩せていってしまった。腎臓病用のパウチご飯を潰して水を加え、柔らかくしたのを差し出すのだが、見ているだけで食べない。そのくせ、空腹ではあるのだろう、鳴きながらキッチンにいる私の後を追いまわす。でも、ご飯をあげても食べない。別の種類のご飯をあげたり、マタタビを振りかけたりしてみるが、捗捗しくない。見かねて猫用の流動食を数種類取り寄せ、シリンジで与えようとするが(お皿に入れておいても舐めようとしないので)全力で嫌がる。猫用ミルク、チューブ入りのビタミン剤、どれも好んではくれない。猫にご飯をあげることがこんなバトルになるなんて。ちなみに、うちの猫は、病院でも「要注意猫」になっていて、たいてい診療に三人がかりとなる。三人の医師や看護師、あるいは私に抑えられ、タオルでくるまれてエリザベス・カラーをされて、やっと診察スタンバイできるというありさまなのだ。採血の際も、首から取れたことは一度しかなく、たいてい足からとなってしまう。すごいファイターなのだ。そんななので、毎日の投薬や栄養剤投与はバトルだった(というか、今も続いている)。
一度だけ、猫の前で私が声をあげて泣いてしまったことがある。がりがりになった体で、全力で流動食を拒む姿にどうしていいのか分からなくなって、シリンジを持ったまま泣いてしまった。猫はきょとんとして私を見ていた。
人間側の気持ちとしては「いくら嫌いだからって、命の危険があるかもしれないんだよ。頼むからお薬や栄養剤を飲んでよ。」と思ってしまう。でも、自分猫のような立場だったらどうだろう、と考えてみる。命にかかわるからこのねろねろしたものを飲め、と言われて、はいそうですか、となるだろうか。人間は猫よりアタマで自分を支配するから、結局嫌々でも自分で飲んじゃうかもしれないが、やっぱり嫌だと思う。さらに感情的に言うなら、おまえなあ、ただでさえ弱っているときに嫌なもの持ってこないでよ、となるかもしれない。
猫はなんで私が泣くのかわからなくて、しばし神妙な顔をしていた。私も泣いて、冷静になったので、バトル再開。悪いけど、やはり最低限飲んでもらわなくては困るのだ。
「生きる」ってどういうことなんだろう、と思う。食べられないけれど、素直に空腹を訴え続けるのも生きる意欲。飲まなくてはならないとはいえ、薬を拒む姿も生きる姿。私は猫にどのように生きていてほしいと思い、猫はどうしたいと思っているんだろう、などと考える。そこに与えられる明確な答えなどない。でも、だから、考える。
今もどう食事を用意したら食べてくれるんだろう、というバトルや、投薬の度に猫を抑えつけなくてはいけないバトルは続いている。
腎臓の数値が安定していることをよいことに、禁じ手ではあるのだが、昔食べていた普通食をお湯で柔らかくしたのを出したら、少し食べてくれた。あと、体力の消耗を防ぎ、なるべく効率よくカロリー摂取をしてもらうため、脂肪の多い食事を探した。オメガ3から6の脂肪は、たとえ腫瘍が癌であった場合でも癌細胞の栄養にはならないと聞いたので(ブルース・フォーグル著『ナチュラル・キャット・ケア』より。人間にも処方される分子整合栄養学の応用)魚の脂をあげてみた。初日は結構食べてくれて安堵したものの、翌日には同じものをあげても却下。
毎日そんな調子だ。
食事の合間に、血で汚れた口腔内を洗浄したり、顎を拭いたりもする。これもバトル。
それにしても、よくもまあ毎日これだけ嫌がられることをし続けているのに、猫に嫌われないものだとも思う。朝が来て、猫が私を起こしに来る。そうして喉を鳴らす姿はがりがりになって、少し顔が歪んでしまっていても変わらない。
どうすることがいいことなのか、わからない。でも、やってみようと思っている。「生きる」ってこと。