えこひいき日記
2018年2月11日のえこひいき日記
2018.02.11
朝方変な夢を見た。ジョルジュ・ドンが久しぶりに来日し、山間部の木造の校舎で踊るというので観に行く、という夢だった。
ちなみにジョルジュ・ドンというのは旧・20世紀バレエ団、現・ローザンヌ・バレエ団のダンサーだった人で、故人。モーリス・ベジャール率いるこのバレエ団の『ボレロ』等の作品でカリスマ的な人気を誇った。
教室にスペースを作り、パイプ椅子を並べた会場には舞台らしい照明もなく、集まった人たちもいわゆるバレエ公演の会場で見かける人たちとは違う、ローカルな感じ。でもみんなバレエを楽しみにしていて、和やかにその時を待っている。上演が終わり(何が踊られたのかは全く記憶になし。ドンの姿は30年くらい前のまま)、汗まみれのドンを囲んで口々にみんなが称賛や感謝の言葉を告げている。どこまでもアットホームで幸福な雰囲気だ。
私はなぜか女の子の赤ちゃんを抱っこしていて(イメージではうちの猫のひめちゃんが人間化した感じ)、しかも「赤ちゃんを抱っこしていたらきっとこちらを向いてくれる」などという姑息な計算も内心していて、その思惑にはまってか、ドンはこちらに近づいてきて私の持っていたノートの紙面とDVDの表紙にサインをしてくれた。(DVDはドンが最後に日本で踊った『ニジンスキー』のものだった。しかしこれはベジャール作品ではなく、アルゼンチンの女優さんとの2人舞台だったし、確かDVD化はされていないはず。かつ、私は彼の来日公演をかなりの数観ているのだが、サインをもらったことはない。楽屋待ちも彼に関してはしたことがない。恐れ多くて)
サインをもらったノートをふと見ると、書かれていたのはサインではなく、イラストだった。夢の中でも「サインをする時間で描けるイラストじゃないよなあ」などと思ったほど描きこまれたイラストで、そこには燃え盛るビルの中から助けを呼んでいる子供たちが書かれていて、フランス語(?だと夢の中で思った。私、フランス語読めない)で「忘れないで」と書かれていた。
「ワシントンポストが報じそうな話だな。ここもあっちの世界とかけ離れているわけじゃないんだ」みたいなことを思って、目が覚めた。
なんでそんな夢を見たのかわからない。
でもたぶん、2日前に石井潤先生の作品のゲネプロを見たのが影響していると思う。古びない作品を作れる人の偉大さ、振付者を知らない世代の人が踊ってもまたそこに命を吹き込める魔法のような出来事の素晴らしさに、心満たされた夜だったからだと思う。それでいて、作品世界と現実世界は違うようで離れ切っておらず、どうしようもなくつながっていることも、感じた夜だった。
石井先生が亡くなられたのは3年前になる。私は先生自身よりも、先生の作品を踊るダンサーの方々と縁があって、レッスンに来てもらう関係だった。今もレッスンに来てくれている。今回もそのご縁でゲネプロに招待していただいた。
石井先生は、音楽をとても大切にした作品作りをされる。音を外した振りはないし、音楽が作られた背景や、音楽が表現している内容をも、とても丁寧に尊重する作品スタイルだ。
しかしながら、それは単に音楽を舞踊化することにとどまらない。崇高なものを身近に、でも単にカジュアルダウンするのではなく、時には普段だったらどこか恐ろしくて触れないようにしている本質的な何かを引きずりだしてくる。聖と俗、セクシャルなものとかわいらしいもの、下卑たものと崇高なものを、対比的・区別的にではなくみせてくれる。人の中にある「何か」で、時にどう収まりを付けたらいいのかわからないようなものを、作品という表現でみせてくれる。単に素晴らしいとだけ言えるようなものでもない「何か」なのだが、そこにあるものは美しくて、輝かしい。
石井先生の大きくて深い人間への愛なのかな。世界への興味なのかな。
そして石井作品は、ダンサー個人個人に何かを突き付けてくるような側面がある気がする。振付は、クラシック・バレエの技術と音楽に対する素養がなければ踊れない。でも、クラシックの技術だけでも踊れない。踊るためのテクニックの取得はもとより、テクニックの使い方を「考える」ことがダンサーに要求される気がする。単に「上手」なだけでは踊れないのだ。
また、通常のバレエ団の配役と異なり、いわゆる明確な主役、準主役といった配役がない。もちろん、主軸と言われる役回りのダンサーはいるのだが、それは「地位」ではなくて作品ごとの「役回り」。だから「地位」で踊るモチベーションを作ってきたダンサーには取り組みにくいかもしれない。教師に「◎」をもらうだけでなく、作品として振りを理解する姿勢がないと踊りにくいし、作品を表現できない。
ゲネプロは、まだリハーサルの段階だから、その時には自信の体調の調整のために本域で踊らないダンサーもいる。それでも、明日に本番を控えたリハーサルからは本番に劣らないものが伝わる。
今回の舞台では以前から石井作品を踊ってきたダンサーさんもいれば、先生のことを知らない若いダンサーさんたちも混じっていた。いろんなことを調整して、作品を仕上げていく過程にどれほどの努力や配慮があったことかと思う。
それでも、その苦労を経ても、こうして作品として生き生きと今目の前に花咲いているのを見ると、本当にうれしくなる。
どうか作品よ、永遠なれ。
遅まきですが、先生、素晴らしい作品を遺してくださり、ありがとうございます。
先生が作品の中に込めたエネルギーや輝きは今後も人の心を打ち続けるでしょう。
そしてそれを具現化できるダンサーさんたちがこれからもたくさん育ってくれることを願う。