えこひいき日記

2001年1月17日のえこひいき日記

2001.01.17

阪神大震災から6年目という日である。私なりのせめてもの追悼だが、ろうそくをともして過ごす。
6年前のその日、私はまだニューヨークにいた。6年前のその時間、ニューヨークは夕方で、突然弟から電話がかかってきたのだ。「もうすぐ電話が通じなくなるけれど、心配しないでね」と弟は言った。何の冗談だ?と思ったのだが、それが私が聞いた大震災の第一報だった。1時間後、CNNの映像が入ってきた。焼け野原のような神戸の風景は一瞬私の中から時間の感覚や現実感を奪うに十分なものだった。
弟の言ったとおり、まもなく日本への電話回線はパンク状態になり、通じなくなった。通じなくなる前に電話ができて、幸い私の家族は無事。通じる限り電話をかけまくった範囲では友人知人もみんな無事だった。
それでも掴みきれない知人の安否を知るため、ロックフェラー・センターにある紀伊国屋書店に通った。店頭に震災で亡くなった方の名前が張り出されていたのだ。幸い私の知人の名を見つけることはなかったが、その中に知っている名がないことにほっとしながらも、毎日増える名前はすべて亡くなった方だということを思うと思いは複雑だった。自分は何をしにきているんだろう、とも思った。

あの年、震災があり、オウムによるサリン事件があった。ニューヨークの友人にはその年に予定されていた帰国を反対された。「日本はあなたの知っている日本ではもはやない」とまで言われた。
でもその4月、私は帰国した。個人的な事情によって帰国が早まったのだが、しかし私は、帰った。日本に。それは私にとって、あくまで私にとってなのだが、けじめと覚悟の行動でもあった。

ニューヨークで生活を続けること、仕事を続けることは、私にとってある意味でeasyなことであった。razyな意味だけで言っているのではない。場が整い、相談できる同僚がいて、私は恵まれていた。日本に帰ったら、私はいろんなものを一から自分で作らなければならない。けれど私には、その大変さより大切に思えるもの(例えば、日本人には「日本語で」考えられたレッスンをするべきだと考えていたこと。「翻訳」でも「引用」でもなく)があって、その「大切さ」の重みが「大変さ」より少し勝った、というだけのことである。圧倒的勝利ではない。すこし、でも明らかに、勝っただけのことである。

私になりにだが、そこに「ない」ものを「ある」ものにしていく大変さも、「ない」ことを単に嘆くことの安易さも、知っている。震災の日に際して思うことは、あの出来事の大変さ悲惨さをそれとして受け止めるとともに、それを単に「悲惨なこと」として嘆くだけではなく、その後だからこそ見えてきたもの、それでも生きていくことの、どうしようもないくらいの力強さなのである。

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