えこひいき日記

2001年2月19日のえこひいき日記

2001.02.19

昨日、テレビをつけたらたまたま動物のドキュメンタリーもの?をやっていた。険しい山岳地帯や熱帯ジャングルや凍える海に住む動物たちの生態を紹介するもので、内容は興味があるのだが、ナレーションの声がどうもその時の私の体調にはうるさかったので、しょうがないので音声を消し、CDをかけた。
私は時々こういうテレビの見方をする。ビジュアルと音声という2つのソースでテレビはこちらに情報を提供してくれているのだが、ビジュアルで十分に語ってくれている、あるいはこちらとしてはもっとビジュアルからの情報提供に集中したいときに、解説をする音声などが入りすぎると、くたびれちゃうのだ。スポーツの試合の中継や、アメフトの試合の音声を消してクラシック音楽(ハイドンとかね)と合わせると、肉弾戦も優雅な?群舞に見えてきて、細部の動きがよく目に入るようになったりすることがある。
テレビは私の娯楽のために見ているんで、仕事とは「モード」が違うが、おんなじ私のすることなんで共通するものの見方も存在する。
例えばスポーツ選手のクライアントと話しをしているときに、その人が「強さ」と「速さ」を不可分もしくはセットものとして考えるあまりに、「とにかく早く」「とにかく強く」と逸りすぎて、我知らず踏むべき手順を飛ばしたりはしょったりするせいで、うまくいかなくなっていることがある。(本人はそれを「まだ早さ、強さが足りないんだ!」と思うことが多いようだが)それは音楽でいうと、不必要な転調続けすぎたり、ある小節にこだわりすぎて曲全体の流れが取れなくなっているようなものでなので、こちらの立場としては、そりゃからだの動きの流れとしてつながってないものがうまくいかへんのはとうぜんどすな、と言うしかないことだったりする。気がついちゃえばなんでもないことなんですが。一番強いインパクトに「目隠し」されてしまって、他のことはあってもないことになっちゃう、みんな飛んじゃう、というのはよくあることだ。
例えば「音楽」が入ることで、固定化されていたものの見方がほぐれて、世界が別の姿を現すことがある。ただ、必ずしも「音楽」にだけその力があるわけではなく、音楽がなくても見えるものは見えるし、見える人には見える。見えない人には見えない。でも、「音楽」にはそういうモードを促進しやすい力があるような気はする。
テレビを見ているときに、いったい自分は何を見ているのか、何を見て(見えて)、感心したり笑ったりしているのか、時々考えてみるとおもしろいかもしれない。

話が右往左往するが、それで、昨日たまたま選んでかけたCDはブライアン・イーノと雅楽だったのだが、えらくはまって気持ちがよかった。手持ちの雅楽CDの中でもダンサブル?な「蘭稜王」というのがとりわけ好きなんだが、リズムが実によいのだ。心拍数がいわゆるエアロビック運動に最適といわれる120回/分を超えないときのリズムに似ている、などと説明するとまるで健康のために聞いてるみたいでつまんないのだが、でも、確かに心拍ビートに似ているかもしれない。(スポーツジムのランニングマシーンの上で聞く曲は、自分の身体の動きや心拍をリードしてもらうために、自分のリズムより早めであることが多い。しかしこの曲は、音楽の中に入って聴く感じ。曲とからだが同じイズムを共有する感覚が強いような気がする。)現代の音楽に比べると音程のアップダウンも少ない。けれど編成楽器数の割に含まれている音はずっと多いかもしれない。絶対音感で音をとることが得意な人にはかえって不快かもしれないが、この含有物多し、という音はどこか有機的で、エロティックですらある。

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