えこひいき日記
2001年3月12日のえこひいき日記
2001.03.12
昨日はあわただしい日であった。
午前中は京都でレッスンをして、直後新幹線で東京へ移動。3件ほど人に会うことや会議をこなし、午後10時の夜行バスで京都に戻る、というスケジュール。
夜行バスを利用したのはこれが初めてで、周囲からは散々おどかされていたのだが、幸い私は体が小さいので限られた椅子のスペースでけっこういろんな格好ができちゃうことと、もともと電車や飛行機に長時間乗るときは眠ってしまうという「爆睡名人」なので、脅かされたほどではなかった。しかしさすがに午前5時半に夜明けの京都駅に降り立ったときは、突然浜辺に打ち上げられた漂流者のように(って、そんな体験はしたことはないのだが)「なにがなんで、ここはどこや」という感じだったが、ともかく、そうして今日・月曜日はスタートしたわけである。
東京に行ったときの私的・ひそかな「お楽しみ」は幾つかあるのだが、その一つがインテリアショップ見学である。というわけで、打ち合わせの一つの場所を無理やり?新宿・コンランショップ前のカフェにしてしまった。相手は東京在住ながらはじめて足を踏み入れる場所だったらしく、戸惑わせてしまったが、でも結構いっしょになって楽しんでくださったようなので、よかった。
財源も、住んでいるところ(スペース)も無限ではないので、毎度毎度何かを購入するわけではない(だからけしてよいお客ではない)のだが、「うつくしいもの」の佇まいはインスピレーションを与えてくれる。ものを思考する(ものに対する感想ではなく)意欲と意味を与えてくれる気がするのだ。
だから私にとって、インテリアは大事なアイテムだ。ある意味、「わたし」の「死活問題」と言ってもいい。私にとっては、成分は同じものでも、どのコーヒーカップでコーヒーを飲むかによって味が違うし、どこで味わうかによって味が変わる。そしてそのことを大事に思っている。
そうでなくても生きていけはすることも知っているけれど。
突然だが、アーネスト・サトウという写真家の言葉で、このようなものがある。(彼はアメリカ人の母と日本人の父との間に生まれ、1968年から87年まで京都市美術大学(現在の京都市芸術大学美術部)で「映像教室」という授業をされており、また老舗旅館『俵屋』のおかみさんのだんなさん(こういう書き方でよいのだろうか…)でもあり、京都になんだか縁ある方でもあるのだ)
『写真家は「もの」そのものの性質に「束縛」される。それらの「もの」はバラバラに、しかも説明しにくい状態で存在している。写真家にできることはそうした破片を孤立させ、記録することだ。その過程で個性、想像力を通じてそのフラグメントに意味を与える。つまり発見されたものに内在する存在感の不思議さを世界から抽出することにあるのだ』
彼の写真展のパネルの中にあった言葉だ。とっさに書き取ってしまったのだが、特に最後の「発見されたものに内在する存在感の不思議さを世界から抽出すること」という言葉は、ときどき私の脳裏で羽ばたきをする。この言葉のままに思い出すわけではないけれど、例えばインテリアショップで「もの」について思考することができるときに私を魅了しているのはこの「不思議さ」なのかもしれないと思ったりする。
多分、私は私にとっての「抽出手段」を探しているところなのだ。