えこひいき日記

2001年3月21日のえこひいき日記

2001.03.21

19日から福岡市に来ている。今日でこちらでの仕事は終わりで、午後からの仕事を前にホテルの部屋でこれを書いている。ホテルは新しくてきれいで、なかなか快適。

それにしても、今朝気がついたのだが、私は3月に入ってからプライベートなお休みが一日もなかったのだった。どうりでばてるはずだ。例えば、「クライアント業務お休みの日」「事務処理お休みの日」「書き物お休みの日」などの業務内容別・休み日はあったので、なんとなくそれで気分転換が図られて、負担、などとは思っていなかったのだが、昨日、ワークショップが終わって街に出てみて、疲れているのを自覚した。よく考えたら、「スタジオKの芳野香」の休みはなかったんだ。いかんいかん。

それでも福岡・コンランショップで若干の買い物はしちゃったんだけどさ。

今回の福岡では、3種類のレッスン(個人レッスン、8人のグループワークショップ、30人のワークショップ)を行い、それぞれに来てくださる方のバックグラウンド(職業や経験や興味や興味を持ったの動機など)もさまざまなのだが、そういうこともあって改めて「ことば(言語)」の役割について考えさせられた。
同じ言葉でもそれにどのような「意味」を感じるかは人さまざまだし、ある人が発したメッセージ性のきわめて低い「感想」も、別の人にとっては自分に向かって言われている「メッセージ」であるかのような積極性を帯びたもののように感じられたりする。例えば、「そちらを向く」のと「そちらを見る」という行為では、「そちら」に立っていた人に向けられるメッセージ性に結構差があったりするのだが、「そちら」に立っていた人、つまりアクションを起こした側ではない人の「相手の行為の読み方」にも行為の意味、関係性は変化する。「ことば」という「行為」においても同様で、相手の「感想」(フィードバック)を聞いてみて、それでどう思うか(視覚的に言うと「そっちを向いてみて、何が見えたか」)で十分なのだが、「聞きに行って」しまう(「見にいってしまう」)とその時点で受け取れる情報の範囲がかえって限定されて、充分ではなくなることがある。当然といえば当然なのだが、まさにキャッチボールであって、ボールが手から離れても「離さない」状況では行為として充分に成立したとはいえない。
ワークショップにおける私の役割は、人数分あるさまざまなキャッチボール・スタイルをそれなりにオーガナイズすることでもあるのだが(もちろん自分のキャッチボール・スタイルにも気をつけながらね)、それが十分できていたのだろうか…と反省した。

ともあれ、私にできることは今日の仕事を精一杯やることだ。それが私に唯一できる「反省」のスタイルだろう。

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