えこひいき日記

2001年3月30日のえこひいき日記

2001.03.30

仕事柄、私は「病人」とか「けが人」とか、どこかが痛かったり傷めていたりする人にお会いすることが多い。お釈迦様はこの世にどうして病気や死があるのかと悩まれたらしいが、私はそんなことに悩んだりはしない能天気野郎だけど、この世にどうして「健康な病人やけが人」と「不健康な病人やけが人」がいるのだろう、と考えたりはする。困っていないので悩まないんだが、考えはする。

「健康」という言葉も、よく使うわりに定義に困る、正体不明の言葉なんだがとりあえず、、私にとっては「おこるべきことがスムーズにおこることのできる状況」あるいは「おこっていることをスムーズに受けとめられる状態」という気がしている。だから表面上どんなに頑丈そうで人生爆走状態の人でも、それは不調を隠蔽しているゆえのタフさだとすれば「健康」とは言いがたいだろうし、頻繁に小休止が必要な人でもそれをして「健康でない」とか、イコール「具合が悪い」とはいえないと思うのだ。

そういえば、武満徹の最後の出版物『サイレント・ガーデン』の中に以下のような文章があった。
(『サイレント・ガーデン』は「滞院日記」という武満の癌闘病日記と「キャロティンの祭典」というお料理レシピから構成されている、ちょっとふしぎな本である)
武満徹の友人である詩人・谷川俊太郎による「飾り気のない自画像」という「まえがき」である。
武満はもともと病気がちな性質であったらしく、以前春に谷川さんの家に武満氏が訪ねてきた時に喀血したことがあったそうだ。しかしその様子がいわゆる「青白い病人というふうには見えなかった」こともあり、そのときのことを谷川氏は武満の名を「友人」として文章にして発表したそうなのだ。その文用をここに引用するのは長くなるんで差し控えるが、センテンスの最後はこのように結ばれている。「その時、私の中の春が始めて生きて動いたように私は感じた。」と。
そのことを書いた文章の続きは、このように続く。

『 数年後、あるとき突然武満が「詩人の春」と題した短文のこの個所を話題にした。「ぱあっと涙が出てきてさ」たしかそう言ったと思う。そのときの彼の気持ちを私は、そしてもしかすると彼自身もほんとうには理解していなかったかもしれない。だが、その反応は私の心に深く残った。死と隣り合わせでいることで深まる生の感覚を、武満はつかんでいたに違いない。そういう武満はたとえ身体が病に冒されていたとしても、「健康」だった。彼の音楽にもそれを聞き取ることが出来ると思う。人の尺度を超えた巨視と微視の織りなすテクスチュア、個の意識を超える時の流れのような旋律と精妙なリズム、生の尽きるところにある静けさ=死ではなく、その絶えざる一部である静けさ。』

あまりたやすく「わかる」という言葉を口にしたくはないのだが、この文章はよくわかるような気がする。

「健康」って、本質的には流動的なムーブメントであって、ひとつの状況に対してその名が「仮に」名づけられることはあってもで、固定的な状態や存在を指すものではない、と思う。
でも「不健康な病人」の中にはこれを固定的なものだと思っている人が多く、例えば「血圧の正常値が〇〇」といわれたり本に書いてあったりすると「数値が1高い」といって大騒ぎし、どんどん不安定になっていったり、「自分は病気になるはずがない」と症状を無視しつづけて不調を自分で持続させていたり、言い訳したり、他人のせいにしたり、自己憐憫に陥ったり、申し訳ないが、大変醜い。その醜さは往々として病気のせいにされがちだが、それは違う。病気のせいで増幅しているかもしれないが、その人の中にあるものなのだ。

仕事を介して、ときに腰を抜かしそうなくらい醜い「不健康な」人に会うことがある一方で、輝かしいほどに「健康な」人に会うこともある。それは病気や怪我とは関係がない。
昨日も若くして胃癌の手術を受けた女性がタンクに入りに来たのだが、彼女の輝くばかりの「健康」さはほんとうに嬉しくなるほどで、ほんにんもまたそれをちゃんと知っていてくれることも嬉しかった。自分の病気や状態に不安になることもあるだろうが、それはむしろ至って「健康」なことで(自信まんまんに生きている人間なんていない。いたら欺瞞だ)、不安になったらその都度自分の思いや考えていることを確かめながら生きてゆけばいい。こころから応援したいと思った。(といっても、「みまもる」くらいしかできないけどね)

仕事をしていると、立てないくらい疲れる人に会うこともあるけれど、こちらがうんと元気になれるような美しい人に会えることもある。それは仕事をしていないと会えなかったご縁なんだよね…と思うと、何だか少しうれしい。

カテゴリー

月別アーカイブ