えこひいき日記
2001年12月7日のえこひいき日記
2001.12.07
米国での同時多発テロ事件から約3ヶ月になる。テレビでは、ニューヨークの復興に向けてがんばる人たちの応援する趣旨の特集なども放送されているが、私はそれをまともに見る気持ちになれないでいる。テレビの前から逃げてしまう自分がいる。
ニューヨークは私が4年間暮らした街で、今も多くの友人が暮らしている。だから、今回のテロ事件は私にとって「ひとごと」ではない。私の友人が殺されるかもしれなかったのだ。私はその友達や、その後家族が無事であったことが心から嬉しいし、その友人たちからメールや電話でこの大変な事件の後も滞りになく日常生活を送り、希望や目標を持って暮らしていることを知らせてもらえることを、本当に幸せだと感じでいる。ひどい事件の後も、彼らが「そのまま」「ふつう」でいられることを、本当に嬉しいと思っている。そのことも、嘘や偽りではない。
その一方で、私はアメリカ政府のとった行動や、日本政府の行動に不満をもっている。自分が、そういう日本の国籍を持った人間であることに、戸惑っている。私は個人として賛成ではないことを、私が「私」であることを証明する書類なんかを発行する(つまり、ある意味で、私が「私」であることを国に保証してもらっているわけだ)国が、「イエス」と言う、この事態にすごく戸惑っているのだ。アメリカに住む友人のことは好きだけど、アメリカという国のとった行動は、ぜんぜん好きじゃない。友人への気持ちと、アメリカという国の政策への気持ちとを分けて考えようとするけれど、それは、改めて感じる。私はアメリカ人の友人の前で、率直にアメリカを非難できない。私の言動で友人を傷つけることを恐れ、そういう気持ちのほうを優先してしまうからだ。(そういう意味で、私はやはり「国」より「友人」が大事なのかもしれないけれど、でも、すっきりしない。)
武力報復は対立構造を「解消」する方向にはけして働かないだろう。むしろ対立構造を「維持」することになるのではないだろうか。その後のこの3ヶ月に起こったことは何か。イスラエルやパレスチナで激化した自爆テロ事件も、元はといえばこの武力報復という選択肢を選択したことから始まったことではないのか。どうしてこのことで大勢の人が死ななくてはならないのか。飢えと争いと対立で生きる世界しか知らずに育つということが、どういう世界観を生み、どういう行動を生み出していくのか、簡単に予想がつくことなのに。
一人の人間として「生きていく」ことのたいへんさを、私は仕事上、たくさん見てきている。ひとつの、一人分の人生でもこんなに大変なのに、ある日空から降ってきた一発の爆弾で無作為に何百人、何千人の人が殺されえるのかと思うと、「なんだよ、それ」って思う。悲しいほどばかばかしい。でも、それは現実に起こりうることで、この近くでではないけれど、飛行機で行けるくらいのところでは、今も起こっていることなのだ。
それに対して私はどうすべきなのか、自分でもまだよくわからないでいる。だから、テレビの前から逃げる。目の前の、がんばる人たちの姿を目で見ながらアフガン難民のことをアタマの中で「見て」しまうので、逃げる。素直に「がんばれ」って言いたい気持ちも本当にあるのに、その気持ちを前面に出すことから、逃げる。
そういいながらも、私はこの3ヶ月間、ここで仕事をすることをやめなかった。ニューヨークに飛んでいくことも、考えなかったではない。でもしなかった。自分の「気持ち」は別として、「自分にそこで何が出来るのか」を考えたときに、私が今そこに行くことは必ずしも最適の選択ではないと判断したのだ。すごく大げさな言い方かもしれないけれど、もしも「他人の置かれている立場を理解する」「他者理解」というものが「自分を理解する」「自分の中の、いろんな気持ちや、判断や、それがどういう行動になっているかを知る」ことから始まるとするならば、「平和」は個人の中からつくれると思っている自分が居るからだ。自分の中の、日常的な「テロリズム」(例えば、「キレる」なども言ってみれば個人的「テロ」だ)や「正義」といえばなんでも正当化されるとナイーブに信じ込んでいる「正義感」(「○○でなくてはならない」「○○のはず」で、それ以外は「おかしい」と決め付ける気持ちなど)を、「攻撃」したり「退治」し急ぐのではなく、まず、なぜそういう行動や思想が生まれるのかを「理解」することが、事態を「解決」に導ける力になるとするなら、私がここに居て出来る仕事があると、どこかで信じているからだ。時に絶望的なほどささやかだけど、そう信じている。