えこひいき日記

2001年12月11日のえこひいき日記

2001.12.11

昨日、とあるシンポジウムに参加するために滋賀大学へ行った。シンポジウムは「マジックマッシュルームの現状と課題」というもので、南米から菌類学者の先生を招いてこういう会が開かれること自体、今の日本では非常に稀有かつ貴重な機会といえるだろう。

マジックマッシュルームによると思われる「事故」がニュースをにぎわせたことも記憶に新しいと思うが、私は、こういう「軽軽しい」事故につながるような「リーガル・ドラッグ」(?)現状をどこかで「にがにがしく」思っている。どうしてなのだか、まだうまく言えないのだが、何かが「ずれている」感じがするのだ。薬物中毒のクライアントとの関わりは数人しかないけれども、彼らを見ていても、中毒者の手記などを読んでいても、正直いって私には彼らがどうしてそこまで薬物にはまり込めるのか、わからない。薬物に何を期待しているのかが。それはほんとうに「薬物に」期待すべきことなのか、その人にとって「日常」とはなんなのか、など。

その薬物にしか出来ないこともあるだろうが、「事故」につながるようなケースの場合、問題の本質は、薬物と呼ばれる「物質」の問題ではないような気がするのだ。「軽軽しい」振る舞いと、それに見合わない期待の「大き」さ、そしてそれに対する「無自覚」が事故の原因のような気がしてならない。そこに薬物の関与がなくても「期待はずれ」や「失敗」体験に終わる可能性は高いのだが、身体に影響を与える物質(それが薬物や、マジックマッシュルームや、アルコールなどの物質)が加わることで、「ずれ」の幅が増幅されて「事故」につながる可能性はさらに高まるだろう。なのにその結果だけが薬物のせいにされている現状。たぶん、それが私の抱える「にがにがしさ」の原因の一つだ。だからといって私はマジックマッシュルームに市民権を!などというつもりはない。市民権を得た薬物・アルコールがそうであるように、アルコールをたしなむ人が皆「アル中」になるわけではないし、酒癖が悪いわけではない。しかしいくらアルコールが認知された薬物であるとはいっても、酩酊状態で他人に危害を与えたり中毒症状に陥る事態を、認知度に比例して容認するわけにはいかないし、認知されているからといって飲めない人に無理やり飲ませるのもまた暴力なのである。それと同じようにマジックマッシュルームが合法(現在、日本においては違法ではない)であろうと違法であろうと、そのことが個人の使用の「資格」になるのではない。問題は「用い方」なのである。私には、まだふさわしい「用い方」が思いつけない。それにはもっと人間を知らなくてはならないような気がする。

そのシンポジウムに行く途中、タクシーに乗った。タクシーの運転手さんによく話し掛けられるのは、「いつものこと」なのだが、話しているうちに「実はね、私はもとアル中でね、切れると手がぶるぶる震えて、あれは苦しかったですよ」などと話し始めた。口調は淡々としていて、「ふつう」だった。私は参加するシンポジウムのことを運転手さんには話していなかったのだが、こういう符合はおもしろいといえばおもしろい(「よくあること」かもしれないが)。その帰りに乗った電車の中では、隣に座った若い男の子がヘッドホンをしたまま、ずーっと何かしゃべり続けていた。最初は外国語の練習テープでの聞いているのかと思ったが、彼のいっている言葉は「言語」ではないようだった。反対側の隣では、スーツ姿のおじ様2人が「タンクで培養・・」などという会話をしていた。

私には「日常」の方がよっぽど不可解でサイケに思えるのだった。

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