えこひいき日記
2001年12月12日のえこひいき日記
2001.12.12
昨日ドラッグ関係の事を書いたと思ったら、出版社から電話がかかってきて、ドラッグに関するちょっとしたコラムを書いた本が来年早々出版される運びになったらしい。原稿はもう2年も前に出したんだけどさ。まだ当時の原稿を読み直していないので具体的にどういうことを書いたのだったか、正確に思い出せないのだが、基本的にそんなに見解が変わっているわけではない。昨日の日記に書いたように、薬物というストロングな影響力のある「モノ」の管理も問題だが、それ以上にこれは「人間」の問題なのである。(本については発売日などがわかったら改めてご紹介します)
私は今、千葉県のクライアントさんがわざわざ送ってくださった「こだわりの石臼挽きコーヒー」を飲んでいて、すこぶる気分がよい。マイルドで香ばしく、とてもおいしい。この気分のよさは、けして「カフェインによる興奮作用」だけでは片付けられない。とにかく、私は、このようにおいしくコーヒーをいただけるこの状況に感謝!なのである。こういうしあわせって、自分だけの努力くらいじゃどうにもならないもん。
話題は変わるが、最近空港のセキュリティーチェックが厳しくなり、登場前の手荷物検査場で「名前の確認」をされることがある。つまり、検査官に航空券を渡し、検査官がそこに記されているカタカナ表記の名前を眺めている前で、「お名前をフルネームでおっしゃってください」と言われ、名乗る、というものだ。私も先日、福岡に出張したときに飛行機を使ったので、この検査を体験した。なんでもないことだが、妙にどきどきする。自分で発音した「ヨシノカオリ」は「芳野香」のことなんだけれども、なんだか似て非なるもののような気がする。自分で自分のことを「自分」だと言う行為、つまり自分で自分は「自分」だと証明しなければならないというのは、考えてみれば不可解な行為だ。(だって、ほんとは無理なんだもん)「ヨシノカオリ」は「芳野香」のことなのだが、ぴったり合っている気がしなくて、なんだか「ほ、ほんとなんですっ」みたいな、むりやり言い張っているような、緊張感が一瞬、ある。
そういうことを体験するのは私だけではないらしく、ときどきクライアントの会話のあがる。先日北海道からきたクライアントも、検査場で「お名前を」と言われ、一瞬ひるんで2秒くらい沈黙してしまい、その沈黙にまたあせってしまった、と言っていた。こういう話をするときに、思い出す話がある。荒俣宏氏の『パラノイア創造史』(ちくま文庫 1991年12月第1版発行)の中にある、人格分裂を起こした男性の話である。その男性は、エンゼル・ブーンとアルバート・ブラウンという二つの人格を行き来し、どちらの人格も相手の存在を知らないままだったというが、私にとって興味深いのは「分裂」そのものよりも、人格かい離が生じる「きっかけ」となる出来事である。それは「自己証明」だ。銀行などでサインなどをして行う「私は確かに私です」という証明行為である。本の中にはエンゼル・ブーン以外の例も少し紹介されている。
「 われわれもサインをするという神経症じみた緊張感を味わわせられるときがある。たとえばパスポートを供給されるときだ。あの緊張感と、同時にサインさせられることによって「自己」がそのペン跡に吸着されていくような、不可解なカタルシス。あるいは、本人と似ても似つかぬ証明写真をそこに張りつけたときの、たとえようもない不安。もしかしたら、本人を本人たらしめてしまうのは、その「他人のように似ていない写真」かもしれない。そのとき、おそらく人格剥離の引き金は引かれる。 」
『パラノイア創造史』より
こういう恐怖感は、いわゆる「精神病者」の専売特許ではない。誰の中にもあるものだ。自分が自分であることを自分だけで証明することは、どだい無理なのである。しかしたとえ「証明」が不完全に終わっても、「ここに自分がいること」が消え去るのわけない。そのことを思い出せるかどうかで、パニックの行方が決まるような気がする。