えこひいき日記

2002年3月10日のえこひいき日記

2002.03.10

このところ、猫の話題が続いているが、今日も一つ。

「砂かけ」という行為をご存知だろうか。猫が排泄行為をしたときに便や尿に砂をかけて始末をすることを言うのがオリジナルだが、その他にもある。うちの猫などは気に入らないものを「幻の砂」で埋めてしまうのだ。例えば「気に入らないごはん」などがその対象となる。出されたごはんが、何かのぐあいで気に入らないと、その直後「さかさかさか」と床を引っかく音が鳴り響く。猫は本当には床の上に存在しない「幻の砂」で「気に入らないごはん」を埋めてしまうのだ。その音の響きの、悲しいことといったらない(人間にとっては)。だって人間(私)にはどうして「なきもの」にされたのか、わかんないんだもん。ともかく、こうなってしまうと猫にとっては、いまだ床に置かれたお皿の上のごはんは「ないこと」になっているので、24時間は全く反応を示さなくなる。以前行った実験では、この「猫イリュージョン」の効力は24時間程度で、その間人間も意地を張ってごはんを取り替えないでいると、しぶしぶ食べてくださることもある。でもあんまりにも「しぶしぶ」なんで、申し訳なくなって、私は早々に埋葬された皿を幻の砂の中から発掘し、新たに別のごはんの皿を用意することの方が多いのだけれど。
この「砂かけ」は私の猫だけではなく、多くの家猫が行う行為というが、家猫でも外との行き来の多い猫などはあまり行わない(目撃したことがない?)という。

現に存在するものを「なきこと」にできるということは、猫にも概念が存在するということである。概念が在るということは、物事に対する対応が、単なる物理刺激に対する反応や俗に「本能」と呼ばれる行動パターンだけではないということである。猫は猫の視点でこの世界を読んでいるのかもしれない。皿のごはんを、寝床のタオルを、毛づくろいのスタイルを、私の行為を。そしてその「読み」を表現する。それを見るものは「態度」とか「コミュニケーション」と呼んで(読んで)いるのかもしれない。「態度」なんていうと、ベクトルが特定の誰かに向けられてのことのようだが、本当は「態度」ではなく「行動」なのかもしれない。
そう思うと、ちょっと勇気が出てくるような気がする。私は私なりに私の読みを「表現」してみよう、と思う。猫との生活の中でそれがどの程度通じるものなのか、人間が相手でも、ぜんぜんわからないけれど、「つたわらないかもしれないから」と足踏みするよりは、それも認めて表現しちゃおう、などと思うのであった。

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