えこひいき日記
2002年6月11日のえこひいき日記
2002.06.11
デスクワークをしていると、文字通り「デスク周辺」が「世界の全て」になってしまう。一日の大部分の時間、私の目に触れたものは全てデスクの周囲に居たものたちばかり、ということもあるわけだ。そうすると気になりだして、デスク周りの整理など始めてしまう。昨日は目の前にある書類入れをちょっと整理した。デスクトップのパソコンの横の棚と、デスクに向かうととちょうど正面にある棚を整理した。特に正面の棚には、ぎっしりとものを置かず(以前はかなり細かいものが収納されていた)意識して「すきま」を作った。そうすることで長時間パソコンに向かっていても、ちょっとだけ閉塞感から自由になれる気がする。最近発育のよいポトスの葉が伸びてきて、ちょうどパソコンのディスプレイを囲むような形になっているのも気に入っている。あとはこれでさくさくと仕事がはかどってくれれば言うことないなあ・・
整理と言えば、先日ポストカードの整理をしてみた。写真やイラストが気に入って買い集めたものの、きっと誰かに出すことはないだろうなー、というものをアルバムに張って整理してみたのだ。なんとアルバム3冊分になった。(こんなにあったとは、意外であった・・)ただ順番に貼ってもつまらないから、とりあえず「猫」のカードばかりのアルバムと、その他のものに分けて、何となくレイアウトを考えながら貼ってみた。こういうことをやっていると楽しくて、思わず熱中してしまう。ポストカードなんて、一気にまとめ買いはしないから、それぞれはばらばらに私の手元にやってきたものたちである。しかしこうして並べてみると、それはそれでこのために集まったかのごとくに居場所が決まっていったりする。自分で勝ったものなのだけれど「へえ、私ってこういうのが好きなんだ」などと自分で思ったりする。以前、「とりあえず」ためて置いた大量の雑誌の切りぬきをカテゴリー別にファイル分けしてみて、「へえ、私ってこういうことに興味があるんだ」などと思ったことが合ったが、それと同じである。こういう形になってみないと、自分の気持ちや思考はわからないところがある。
そういえば、ほとんどのデータをパソコンで作る一方で、かたくなに手書きをしているものがある。それは毎日にクライアントの記録である。私はこの仕事を始めた日から1レッスンにつき1ページほどの記録を書いている。手書きにするのは、文字(言語)だけでは拾いきれない「そのときのわたし」が文字の大きさや線や行のつまり方に出るからである。これは、パソコンに文字入力してしまうと消えてしまうデータだ。文字だけをデータベース化ですことも便利だけれども、手書きが一番記録としてふさわしい形式である場合もある。
それに、手書きは書き直しが効かないのも、この場合「よいところ」の一つだ。(ちなみに私はボールペンで記録を書いている)「あ、こうじゃなくて、こうだった」と書き直したところも、記録として残る。私が何の次に何を考えたかが形になって残るというわけだ。パソコンで文章を書く場合は、「とりあえず書いておいて、後で編集」ということが可能だが、手書きの場合は「その順番で」考え、それを「書く」という行動に移さなくてはならない。立つとか、すわるとか、歩くといった動作と同じだ。意識が動作から外れてフライングすればそれが動きに出るし、認識が追いつけなくても動けなくなる。だから時にはたかが1ページの記録を書くのに何時間も悩んだりすることもある。
それが無駄なのか徒労なのか、それはよくわからないけれども、そうとも言い切れない、と思っているから続けているんだろうな・・と自分で思う次第である。