えこひいき日記
2002年6月18日のえこひいき日記
2002.06.18
日本のベスト8進出ならず。残念だった・・
それとはまたちょっと別のことなのだが、こうした国対抗の大きなイベントが極端なナショナリズムをあおるようなことに使われるのは、なんか嫌だなあ、と感じてしまう。以前の日本対ロシアの際にも、ロシアで日本人留学生が襲撃を受けたり「日本人だから」と理由で外出を控えなくてはならなかったり、「国籍」というのがフラストレーションのはけ口にされるのは快くない。これは別に上記のように日本人が被害を受けているからそう思うのではなくて、「○○人だから」という理由でその個人に何かしてよい理由など、どこにもないと思うからだ。
国の代表選手の頑張りはすばらしい。その人たちを中心にして、皆で応援する一体感もすばらしいと思う。その一体感は日々の憂さや孤独を覆い隠すほどの熱狂なのかもしれない。でも、だから何でもやっていいというもんじゃないし、何かに「乗じて」でなければ何も出来ない人間を、私は多分嫌いなんである。
ところで、猫が外耳炎になってしまった。くしゃみをするようになり、鼻が出て、ドライフードは食べてくれるのにお気に入りのはずの缶詰を食べなくなり、おかしいなあと思って連れて行ったら、そうだった。人間3人がかりで猫の耳掃除をし、耳垢をチェックしてもらって、以来抗生物質の投与と耳掃除の日々を送っている。相変わらず、これがどうして猫に虐待行為だと解釈されず、そのときは大いに嫌がるのにその直後和解が成立可能なのか、猫には何がわかっており、それは私の何を見てそうと解釈するのか、という、「理解とは何か」という問題につきあたるわけだが、ともあれ「投薬のたびに戦い、直後和解」というパターンは今日も繰り返されているわけである。
ある日、猫を連れて病院にいったら、待合室は犬の患者でいっぱいだった。私は犬も好きなので、こっちを見てくれた犬には挨拶をしたりしていたので猫に怒られてしまったが、そんな中、私のほかに一人だけ猫の患者さんがいらした。エリザベスカラー(猫が傷口などを舐めないように首に取り付ける、ラッパみたいな形のカバー。ちなみにこの名はエリザベス女王の襟みたいな形だから、そう言うらしい)を着けさせられた白黒猫で、甘えたような不安そうな声で猫バスケットを持つ男性に話し掛けていた。思わず「どうなさったのですか」と猫にではなくその飼い主に声をかけた。犬よりはどちらかというと圧倒的に猫は好きなので、思わず気安く声をかけてしまう。
お話によると、この猫はこの人の会社の近くに捨てられていた猫なのだそうだ。人間にとても慣れていることから、元飼い猫であることは間違いなさそうなのだが「病気になったから捨てられたらしい」とのことだった。そういう事情があったのかは知らんが、もしもこの保護者のいうことが当たっていて、「病気になったから捨てた」というのなら、その飼い主はあほである。「病気」という言葉から連想される「不安」や「面倒くささ」から逃げたのかもしれないが、何のことはない、治せば治る病気なのである。「案ずるより産むが安し」という言葉があるが、知ってしまえば対し方がわかることはたくさん在る。ともあれ、猫にとって幸いなのはこの人の世話になることが出来たことだろう。「会社で飼うわけにもいかないので、回復したら里親を探します」とおっしゃり、受付にその日の治療費3万5千円ほど(!)を支払って帰っていかれた。
猫とその方のつつがない幸運を、見送りながら心から祈った。