えこひいき日記

2002年6月24日のえこひいき日記

2002.06.24

ファンタジー小説や幻想文学と呼ばれるものの中には、突拍子もないシチュエーションが展開されるがそれがかえって人間の心の中にあるリアリティを映し出しているものがある。
思いつくままに書いてみると、例えばミヒャエル・エンデの『鏡の中の鏡』という作品の中に、緞帳の内側で幕が開くのを待っているダンサーの話が出てくる。今に音楽が流れ、緞帳が華やかに上がり、自分は最初のステップを軽やかに踏むのだ・・・と待ち構えているのだが、いくら待っても幕は開かない。ダンサーは、最初のポーズのままずっと立ち尽くす。そうして幕が上がらないのか、何か事故でもあったのか、でも今にも曲が流れて始まってしまうかもしれない・・・そんな思いのままダンサーはいつまでもその場にたち尽くす。そんな話である。
ありそうで、なさそうな話。でも、人間の心のどこかに潜む悪夢のシーン。
オクタビオ・パスという南米の作家の『波と暮らして』というお話は出だしからしてものすごい。いきなり「あの海から帰ろうとしたとき、無数の波をかき分けるようにして、ひとつの波が近づいてきた。軽やかですらりとした波だった。」という出だしで始まる。そしてこの女の波(?)は男について町までやってきてしまう。途中、波は水なので、列車の貯水タンクに入ってついてきてしまったりするので、人に飲まれるのを防ぐために男がいろいろ妨害したりするので、毒物を混入したと誤解されて逮捕されたり、さんざんなのだが、ともあれ男と波は一緒に暮らし始める。しかし結局男と波の生活は破綻に向かう。男は魅了されたのと同じ理由で彼女を恐れ、憎むようになる。男は家を逃げ出し、冬のある日帰宅すると、そこに氷の像が転がっているのに気がつく。物語のラストはこんなふうに結ばれる。「しばらく前から、猛烈な寒さが続いていた。家に入ると火の消えた大理石の暖炉の上に、一体の美しい氷の像があるのに気づいた。しかし彼女にはもう辟易していたので、その美しい像を見ても、心動かされることはなかった。その氷の像を帆布の袋に放り込むと、眠っている波を方に担いで外に出た。郊外にあるレストランへ行き、顔見知りのウエイターに、波を売り飛ばした。ウェイターは、さっそくアイスピックで小さく砕き、ボトルを冷やすアイスペールに氷片を丁寧に詰め込んでいった。」

なんでこういう話になったかというと、もとはといえば「めかぶ」なんである。
あの、若布の若芽の「めかぶ」である。「最近、コンビニでも味付けもづくやめかぶを売っているー」と言っていたら、パートナーが川上弘美さんという作家が「めかぶ」の話をエッセイに書いている、と教えてくれたのだ。私はこのくらいの季節になると、時に突発的にもづくの酢の物やめかぶが食べたくなってしまうのだが、川上氏はその比ではなく「寝ても覚めてもめかぶ」になってしまうのだそうである。めかぶのことを考え、おもわず「めかぶ・・」と1時間に3回くらいはつぶやいてしまいそうになるそうなのだ。
川上氏は1996年に『蛇を踏む』という作品で第115回芥川賞を受賞されている。私はこの作品を文庫本になってから読んだのだが、タイトルにひかれて買ってしまった本だった。私は蛇がなぜか好きなんである。そして踏むとどうなったのかが気になったので、買ってしまったのだ。

『蛇を踏む』もエンデやパスに負けないくらいものすごい話だ。このお話もいきなりこう始まる。「ミドリ公園に行く途中の藪で、蛇を踏んでしまった。」そしてその蛇は「踏まれたらおしまいですね」「踏まれたので仕方ありません」と言って、50歳くらいの女性となって、蛇を踏んだ女性の前に現れるようになる。「母」と名乗って。ちなみに蛇を踏んだ女性(サナダヒワ子)にはちゃんと実家に両親がいる。でも蛇の母(?)は「それはそうだけど、でも私だってヒワ子ちゃんのお母さんなのよ」という。「蛇の世界に来ない?」ともいう。蛇を踏んだ彼女の周りにも、実は蛇にまつわりそうな人たちの不思議な生活があるのだが、それは本を読んでのお楽しみ。

パスの「波」にしろ、この「蛇」にしろ、本質的に似たものを持っている。『波と暮らしての』の中にはこんな表現がある。「その感応の仕方は求心的ではなく遠心的なもので、波動とともに広がり、ついには他の天体にまで届いた。(中略)けれども、中心・・いや、彼女には中心がない。渦巻きの中心に似た空虚があるだけで、それが僕を飲み込み、窒息させるのだ。」『蛇を踏む』の中にも「蛇はやわらかく、踏んでも踏んでもきりがない感じだった。」という表現がある。
たぶん、それはお話だけのことではない。なぜ「中心」などというものを中心にしなければ、ものがみえないのだろう。なぜ「きりのないもの」にひかれながら、それを怖がり、憎むのだろう。それは「からだ」というものを考える仕事の上でも無関係なお話ではないのだ。

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