えこひいき日記

2002年9月24日のえこひいき日記

2002.09.24

出来心で、たまご型のチョコレートの中に精巧な動物の模型が入っているやつを、買ってしまった。なんということはないのだが、こいつは1個買うと、つい次も買ってしまうという、恐るべき出来心の連鎖を生む品物である。今のところ手元には「キタキツネ」と「アオウミガメ」と「オヤニラミ(魚)」と「ハムスター」と「プードル犬」のフィギュアがある。私は心ひそかに「ランチュウ」か「ラグドール(猫)」の模型に当たる日を夢見ているのだが、なんせ動機は「出来心」なので、この先購入し続けるのかどうかもわからない。しかしなかなかよいものである。

動物フィギュアといえば、以前、あまりにも仕事に疲れたときに、プラスティック製で、身長(立位)7センチくらいの、首を振る「クマ」の人形を2体購入したことがあった。そいつを向かい合わせにして首を振らせたりすると「そうそう」「ふむふむ」などと会話をしているように見えて、しばし心が和むのだった。しかしそんな情景に心和ませることこそ、まやかしじゃん、と気がついてしまったので、飽きた。向かい合ってうなずいているように見えて、この2体の間には実際には何の「会話」も存在してはいないのだ。あいかわらず「クマ」はかわいいのだけれどね。
最近では、たまにこの2体の「クマ」にゴーリーの『蒼い時』ごっこをさせて喜んでいる。

ところで連休中は、急遽、緊急メンテナンスがあり、9月の『使える解剖学講座』にお申し込み・お問い合わせをいただいた方にはご迷惑をおかけした。(振替の講座は、11月に行います)で、メンテナンスの方は、私がずっと事務所にいなくても大丈夫ということだったので、以前から懸案だった「水巡りの旅」に行ってみることにした。いわば、私個人の「メンテナンス」でもある。
ちょっと変な言い方になるが、「水」は私にとって昔からとても「すきなもの」、なんだか惹かれるものであると同時に、「こわいもの」である。「こわい」とは、文字通り「怖い」でもあるのだが、それよりも「自分にとってそれが何なのかわからないもの」「どのように関わっていいのかわからないもの」「自分との間の距離感が確定していない」ことへの「こわさ」と言ったほうが正確であるように思う。だから「こわい」と思いながらスキューバ・ダイビングのライセンスを3つも持っていたり、タンクを保有していたりするんだろう。「こわ」くて、落ち着く、「水」。そういう自分をふしぎに思ったりはするが、矛盾しているとは思わない。そういう自分をふしぎに思うと同時に、なにやら、ごく私的に「必然」であるところも感じていたりするのである。
そのような「こわさ」については、「からだの使い方」を教える仕事をするようになって非常にヴィヴィッドに思うようになったことだが、例えばクライアントの多くは自分の「からだ」のことを知るのが「こわい」状態にあることが多い。しかしそれは単なる恐怖ではなくて、「(今はまだ自分が)知らないこと」であり「大事なこと」であるからこそ「こわい」のである。だからこそレッスンに来る。レッスンで向かい合うのはそう言う「自分自身」という側面がある。
ともあれ、私にとって「水」というものに体現される何かが、とても自分にとって大事なものであるからこそ、「こわい」・・・つまり、問題を片付けようとして変にあせったり、興味を暴走させて近づき急いでもいけないし、「こわい」ことが理由で離れることもまた適切でない・・・のである。私なりに、すこしずつだけれど、そういう「こわいもの」に対して向かい合えるスタンスを得てきたように思う。
「水巡りの旅」は福井県の天徳寺から始まり、奈良へと向かう道のりである。それを1日で駆け抜けた。「水」にまつわる神社や川、滝などを巡りながら進むのであるが、久々に楽しい旅だった。どこでいただいたお水も甘くて、おいしかった。日本には「湯水のごとく(金を使う)」などという言葉があって、「水」は豊富にあってあたりまえで、その豊かさが目に入り難いものだが、その豊かさの風情は、驚くほどバラエティーに富んでいた。こんなことを書くと殊勝すぎるかもしれないが、あまねくあふれているからこそ気がつかず、それが欠けることを想像することにさえ鍵をかけてしまいそうな(例えば、それは「地球滅亡の日」などというSFチックなきょーふを想像することを通してしか、おぼろに「地球って存在しているのね」と思考することができない思考構造に似ているかもしれない)「あたりまえの存在」の大きさに触れた感じがした。
旅の間、お参りをした神社・仏閣の神様には、いつもどおり(?)私は私の私利私欲をお願いした。お願いするだけの努力はいたしますと、いつも思っているのだが、やはりちゃんとちゃんと努力しなくちゃー、と思ったのであった。やはり私はまだまだ努力が足りない。私、苦労はしたくないが、努力はするべきものはすべきだと思っている。やはり手を抜いてはいけません。そして、私利私欲には限りがないのだが、私利私欲を全うすることが出来ることにもちゃんと感謝だなぁ、と思ったのである。
がんばろー。

カテゴリー

月別アーカイブ