えこひいき日記
2002年10月1日のえこひいき日記
2002.10.01
本日から10月である。
日本の大学をおんでてからというもの、「4月」からカウントされるカレンダーを使わなくなっているので、4月から半年経過した「10月」を後半のスタートとして色々なものが新しく始まるという動きに、なんだかふしぎな感触を覚えたりもする。
10月からスタートというさまざまな動きをニュースで見る中で、個人的に喜んだのは、東京都千代田区の「歩きタバコ禁止条例」である。これは違反に罰則がつく条例だそうだ。罰を通してしか自己責任を認識できないのはやや情けない認識力のような気がするが(だって、美学に欠けるじゃん)、罰を科すことが目的ではないから、まあよい、と言えるかもしれない。
歩きタバコをしている人は、きわめてパーソナルな動作をしているつもりだろうから、悪気はないだろうが、しかしなかなか危険であることを出来れば理解していただきたい。私自身、歩きながらタバコを吸っていた人のタバコの灰が眼に入って、ものすごく痛かった経験がある。灰の量はたいしたものではないのだが、少量でも灰はとても熱いのである。相手は気がつかずに歩き去っていくし、私は一瞬驚いたのと、目が痛くて前が見えなくなってしまったのとで、声をかけることも出来なかった。幸い、大量に出た涙で灰は洗い流されて、視力に影響は出なかったのだが、だからいいや、という問題でもない。私の知り合いのお子さんも、喫煙者が吸っていたタバコの先がほっぺたを掠めて、軽いやけどをしてしまった人がいる。子供も驚いた方が先にたって、後から泣き出したので、一緒にいた保護者もしばらく何事かわからなかったという。
喫煙者の自由を奪いたい気持はさらさらないが、ほかに喫煙方法はあるのだから何も歩きながら吸わなくてもいいよね、ということは言いたい。それを今までしてきた人にしてみれば、「できなくなった」という認識をして初めて自分の行為に気がついたり、あるいは「禁止された」という欠落感のほうに焦点があってしまい実際以上の不自由感を感じてしまうかもしれないが、一度考える機会にしてもらえたらいいと思う。
さらに付け加えるなら、私の知る限り、歩行喫煙者は「喫煙」をしているわけではないようだ。歩いている間の「間が持たない」ので、その手段として、たまたま「タバコ」なだけのように思える。もしもガムで代用できるならガムの方が良いと思うし、ウォークマンでも可なら、そっちにスイッチすることを提案したい。身体的依存性が高い人は、二コレットとかね。
昨今、喫煙と健康の問題が取りざたされることが多く、タバコのパッケージにも「健康のため吸い過ぎに注意しましょう」などと書いてあるので、喫煙規制の問題を全て「健康問題」のようにイメージしてしまう人もいるが、歩きタバコに関して、それは違う。関係ないわけではないが、これは健康の問題などではなく、生き方の問題なのである。喫煙当事者と、それ以外の人との、共生の問題である。どっちかが悪者とか、お互いが敵対、とかいう関係以外のかかわり方で、よりよいあり方が選択できれば・・という模索の話のように思う。
タバコ以外にもさまざまあると思うが、ちょっと考えながら生きていきたいかなあ、と思ったりするのであった。