えこひいき日記

2002年11月8日のえこひいき日記

2002.11.08

突然に、ふと気になって福澤諸さんの近況を調べてみた(インターネットで検索かけてね)。そしたら、今年の5月18日にお亡くなりになっていたことが判明して驚いてしまった。遅ればせながら心からご冥福をお祈りしたい。

彼とお会いしたのはもう何年も前で、しかも一度きりだし、その後ほんの数回メールのやり取りをしただけであったが、とても物腰の柔らかな人だなあ、という印象がある。でもそれは「弱い」というのではなくて、「攻撃性のないとっておきの強さ」としての「やわらかさ」という感じだった。彼の声と彼自身の物腰はほとんど何の矛盾もなく相似していた。
「癒しブーム」などと言われる昨今、自称「ヒーラー」や「ヒーリング・ヴォーカリスト」は少なくない。私も何人かの人にお会いする機会があったが、中には「癒されたいのは、お前だろ」みたいな人もいた。「ね、癒されたでしょ、私の声で、ね、ね」と人に詰め寄って言わせて、それでようやく自分の身を保っているような人もいる。そこにあるのは「癒し」というより「飢え」だ。それはそれで、その人の生き方で、それよりほかにしょうがないのかもしれないから、仕方ないんだけれども、「すまんが、ちょっとあっちにいっててくださる?」という感じで、正直言って私はあまり関わりたくない。「ヒーリング」とは関係なくとも、仕事でヴォーカルや音楽と関わる人とお会いすることは多いが、耳に聞こえる音が悪くないものでも、その音を支える「からだ」に無理の多い人は、音楽としての持続力にかける演奏になることが多く、聞く方も演奏するほうも微妙に疲れやすくなるように思う。なんか、だんだん音の中に「頑張っていい音を持ちこたえさせている」感が強くなってくると、もうそれは音や、その時間を楽しむというような要素よりも、「がんばったはりまんなあ」という「ねぎらい」「勤労感謝」的要素のほうが強くなってしまって、何をしているのだかわからなくなってしまうことも少なくない。
だが、福澤さんの歌う姿は、ほとんど立って、息をしているだけ、というような感じで、すんなりと目と耳になじんだ。そのときの印象は私の中では結構新鮮で、強いものがあった。しかしやはりその「強さ」は「ショック」的な「強さ」ではなくて、むしろ「当然(陶然)」というような、「びっくりするくらいふつう」だというインパクトなのだった。
福沢さんが出演されているステージを見たのは、もう4年くらい前なのだろうか。知り合いが細野晴臣さんのバンドに参加していて、福井県で開かれた夏の野外イベントに来るということで、バックステージパスをいただき、観にいったのだ。出番は夜の11時過ぎ。海外からのアーティストも大勢来ていて、結構賑やかに「踊れる曲」を演奏していた。細野さんは「みなさん、チル・アウトしてくださいね」などと言いながら演奏を始めた。これまでどんどこ踊っていた観客は、「踊れない曲」を前に、最初どうしていいのかわからないような感じで、手持ちぶたさ風に身体をゆらしていた。しかし曲が進むにつれ、観客も曲に乗り始めた。ちょうど、波に逆らわず浮かぶ船とか、そういう感じの「乗り」である。けして激しくはないけれども、大きく会場が一つになるようなゆるやかな一体感である。そのときに、初めて福澤さんが声を出した。最初、私はそれが彼の声だとわからなかった。変な言い方だけれども、「マイクを通した人間の声」だと思えなかったのである。(音声的には人間の声に他ならないのだけれども)「あれ、どっから聞こえて来るんだ?」という感じで、舞台の上から聞こえてくることすら一瞬わからなかった。(音源的にはそこしかないわけなんだが)空気のように、出所もわからないように声が会場を漂い包んでいた。それでいて全然あつかましくなくて、just be there という感じなのだった。
その後午前4時くらいまで皆さんと一緒に遊んでいて、翌日の昼くらいに私は京都に帰ったのだが、皆さん、基本的にゆるやかに高いテンションを保ち、淡々とハイで元気なのであった。考えてみれば、彼らと会えたこと自体が不思議と言えば不思議な出来事であった。

書いているうちに、訃報を知った衝撃よりも、楽しかったことが思い出されてきたので、なんだか落ち着いてきてしまった。遅ればせながらCDなども聞いてみようかとも思う。

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