えこひいき日記

2003年1月18日のえこひいき日記

2003.01.18

ときどきお風呂で既に読了してしまった小説などを読むことがあるのだが、先日はうっかり内田百閒先生の『クルや、お前か』をその1冊に選んでしまい、お風呂の中で号泣してしまった。以前にもお話なので、内容は大体知っているはずなのだが、把握している以上に、猫を見取る人間の様子や猫亡きその後の時間を生きねばならない人間のさびしさやせつなさがひしひし迫ってきて、もう声に出して泣いてしまった。それは、もうまる2年が過ぎたけれども、私が娘(猫)ネリノを失った後だからかもしれない。

ネリノは、私がニューヨークで譲り受けた猫だった。もともとの名前は「ネリノ」ではなかったのだが、子供の頃に読んだ『まっくろネリノ』という絵本になぞらえて、その黒猫を「ネリノ」と名付けたのだった。ネリノは、すごく排他的な猫だった。知らない猫も、知らない人間も、大嫌いだった。私のところに来る前の彼女は、無理やり同居させられた2匹の猫と、その子猫たちに囲まれて実に不快そうだった。無邪気な好奇心に満ちた子猫が彼女の側に寄っていっても、容赦なくしゃーしゃー言って、すごくいらいらしていた。「ひとり」になることを望んでいるような彼女は、人間が一人だけ居る場所の方が快適かなあ・・と思って、それで「うちの子」になってもらったのだった。思えば、彼女が自ら猫バスケットの中に入ったのはあの時だけだった。
私が休暇で日本に帰るときには、キャット・シッターが彼女の面倒を見ることになっていた。ちゃんとキャット・シッターもオーディションして、ネリノが怖がらない人を選んでいたのだが、戻ったとき、彼女はすっかり自閉的になっていた。別にキャット・シッターさんが悪かったのではないと思う。彼女は寂しかったのだ。わけもわからず「ひとりぼっち」にされたのが不安だったのだと思う。彼女は猫なのに眠らず、ごはんも食べず、とても水を怖がる猫なのにお風呂の中まで入ってこようとするくらい、もう「ひとりぼっち」にはされまいと、私の後を追いまわした。私は3日分の食料を買い込んでそれに付き合った。「ひとり」にはするし、なるけれど、「ひとりぼっち」にはしないよ・・・ということを私なりに一所懸命、伝えた。どう伝わったのかわからないけれど、そうしてネリノは私が外出しても不安で死にそうになったり、私を追いまわしたりすることなく、安心して眠ってくれるようになった。
私自身の帰国に先んじて、彼女は日本にやってきた。自閉したネリノを今後もニューヨークに残して帰国する気持ちになれなかった私が、次の休暇に彼女を連れて行ったからである。それで結局彼女はそのまま日本にとどまることになったのだ。
ネリノは日本の家になれるのに時間は少々かかったが、しかし驚くほど私の家族になじんだ。実は私の母は猫がだいっきらいで、私が「黒い猫を連れて帰ってくる」と知って、それこそ眠れぬほど悩んだらしいが、空港で一目対面するなり「・・かわいい」と思ったのだという。奇跡的にしてあっさりした邂逅であった。そのようにしてネリノは私の父母の「孫」となり、祖母の「ひ孫」となって、人間の膝の上ですやすやと眠る穏やかな日々を送っていた。
ネリノの具合が変だ、という電話を受けたのは、ネリノが亡くなる10日前くらいだっただろうか。その頃、既に私は実家とは別のところに住んでいた。ネリノは、食欲もなく、元気がなかったが、それでも頭を上げて椅子の上に寝そべっていた。猫の本に症状を照らし合わせてみて「とにかく病院へ連れて行こう」ということになった。ネリノは検査を受け、注射を受けた。そのようにして連日病院に通ったがネリノの体調は回復しなかった。むしろ、ネリノのような他者の介入と秩序の乱れを嫌う猫が病院に連れて行かれ、無理やりごはんを食べさせられたり注射をされたりすることの方が乱暴なことに思えさえした。今にして思えば、もっと慎重に病院や意思を選ぶべきだったと思う。ネリノは次第に立ち上がる力を無くし、しばしば椅子の上から転げ落ちた。それでもなんとかきちんと自分のトイレで用を足そうと、そのときばかりはよろよろ歩こうとするのだ。ネリノは最後まで、まるでヴィクトリアン・レディーのように自分の秩序とスタイルを保っていた。最後の最後まで、けして無様ではなかった。
ネリノが死んだという知らせを受けた日、私は『使える解剖学講座』を教えていた。覚悟は、していたのだがそれでも、知らせを受けたとたんに自分の血液が皆干上がってぼろぼろの砂になり、床に崩れ落ちていきそうな気がした。人によっては「猫くらいで・・」と思うかもしれないが、本当に後を追って死にたいとすら思った。でも私は自殺せず、仕事も中止しなかった。それを「強い」と言った人もいたが、私自身としては「強い」とか「弱い」とかいう話ではないような気がする。なぜならネリノが死んだ後、私はしばらく眠れず、自分のためには何一つ動くことが出来なくなっていた。ほんとうに、物を持ち上げる力がでなくて、持ち上げることが出来ない数冊の本を前にして泣いたこともあった。「泣く」とか「かなしい」とかいう意識もないままに、電車の振動で涙がこぼれた。食べてもほとんどのものを吐いてしまった。それを押したり隠したりして仕事をしていたわけではない。単に仕事では見せる必要もチャンスもないことだっただけの話だ。
私が死ななかった理由は、私が自殺する理由をネリノのせいにするのは、すごく失礼だと思ったからだ。結局のところ、死ぬことで私が逃げたいのは自分の悲しみからにすぎない。日に日に弱っていくネリノを見ていて私が感じたのは、ネリノの「生」だった。「生」の力強さだった。彼女は「死んでいった」のではない。「最後まで生きた結果として、死んだ」のだ。弱っていく彼女を見るのはつらかったし、ネリノもつらいんじゃないかと思うと、それもつらかった。「生きていて」と思っていてけれど、そういう状態が続くことを望んでいたわけではない。しかしだからといってネリノが自分の状態の中断を他人の手によって望んでいたのか(つまり、安楽死だ)というと、それも違うような気がするのだ。「自殺しちゃいけない」とか「安楽死させてはいけない」と紋切り型に決め付けることは難しい気がする。ただ、この場合に関していえば、ネリノは「最後まで生きた」ことがすごいんだという気がしている。
私が最後まで生きて死ねるかどうか、それはまだわからない。多分それは、私に決められることではなく、私の日々の生き方が決めていくことなんだろう。でもそうありたいとは思っている。できれば。ちゃんと生きて、死にたい。

ネリノと同じくニューヨークで私の「こども」となったメフィー(これまた黒猫・長毛)はネリノとは対照的に、お客さん大好きだし、ハプニングにもめげない。
そのメフィーも御歳10歳になられる。人間でいえば60歳だ。3年前からシニアフードを食べるようになったとはいえ、相変わらず元気だし、毛艶もよく、好奇心も衰えない。でも、生物に与えられた運命がこの子にだけ特別ではないことも、心のどこかを過ぎることがあって、それだけで泣きそうになってしまうこともある。無理だとわかっているけれど、この子だけは永遠に生きればよいのに・・などということを思ってしまったりする。でも、永遠に生きなくても、私はメフィーが好きだ。だからやっぱりせいいっぱい生きてみよっ、などと思いなおしたりするのである。

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