えこひいき日記

2003年6月20日のえこひいき日記

2003.06.20

本来なら私はニューヨークにいるはずなのだが、どっこい、日本にいるんですね。というのは、土壇場でニューヨーク行きをキャンセルしたからである。説明しだすと長くなるのだが、かねてからのSARSに対する帰国後の対処の問題等あり、今回は見合わせた次第である。大変迷ったのだが。
ニューヨーク行きの直前まで「KCDL-7」のプログラムの講師を勤めていたり、個人レッスンもつまっていたので、本当にばたばたしていて、この「日記」も更新する暇がなかった。このところの私は働き者だったし、疲れてもいたので、ニューヨーク渡航期間はそのまま「休み」とすることにした。

「休み」といっても、ばたばたのせいで出来ていなかった事務処理をこなしている毎日である。人にお願いしている仕事もあるのだが、例えば記録書きなどは、私にしかできない仕事なので、そういうことをこなす日々である。私はクライアントの記録を全部つけているのだが、それをつける時間がなかった。時間がない、というよりも、時間があっても体力が欠けていたのかもしれない。記憶はほとんど薄れていなかったから、数日経ってから書く記録にも困りはしなかったが、この「忘れることが出来ない」ということが即ち疲労の蓄積のバロメーターにも思えた。こういうのって、やばいのである。この休暇に入る前に、あんまりにも気力的にめげそうだったので、初めてアロマのリフレクソロジーを受けてみた。アメリカでの研修時代に理論と実践は行ったが「してもらう(だけの)立場」になったのはこれが初めてだった。そこで丁寧にマッサージして頂いても、どの反射区にもほとんど痛みを感じず、やはり「疲れている」だけで、どこかが悪いというのではなさそうなのだった。
だからこそやばい。このまま仕事を続けようと思えば、きっとできてしまうのである。しかしそれは「できてしまう」だけであって、本当の意味で「している」のとは違う。それはまがいなりにも自分の感覚と技術を人様に提供する仕事に携わっている身としては、自分のプロ意識のあり方を問われる状況でもある。

だからこの降ってわいたような「休み」は、ありがたい時間だった。

とはいえ、最初の1日くらいは何となく落ち着かなくて、妙な感じだった。既に蓄積疲労の兆候として睡眠状態が不安定になっていたのだが、「一日寝ててもいいよ」という状況でもかえって落ち着かず、落ち着かないから仕事をしてしまうのだ。しかし仕事をしていても微妙にいらつくのである。こういうときは、思考力を使わない単純作業の方がよいので、記録書きではなくて、掃除とか、食料の買出しとか、住所録の整理と入力作業などをやってみた。こういう苛立ちや不安感は、まる一日くらいがピークである。その間は切実にけっこう辛いのだが、しかしそれだけのことといえばそれだけのことなんだと、経験で知っている。
こうして初日を乗り切ってみると、2日目あたりからちょっと楽しくなってきた。一気に記録書きを片付けた。すこし眠れるようになった。
3日目にはものすごく久しぶりに動物園に行ってみたりした。私は子供の頃からヘビを見るのが好きだったのだが、今回もお目当てはヘビたち。あまり人気のない爬虫類館は、ほとんど動かないヘビたちの佇まい同様になんとなく「ひんやり」していて独特な感じだった。ヘビのほかにも、挙動不審なゾウや、とても大きな鳥類(こんなに大きい飛べる鳥がいることを、しばらく忘れていたような気がする)や、私にメンチきってくるピューマなどを見て回るのは楽しかった。かねてから気になっていた「カエルは変態のどの段階でえら呼吸から肺呼吸となるのか」を付属の資料室で調べてみたが、結局明確な言及を見つけることは出来なかった。

本日も、様々な資料整理をボツボツしながら買い物に出たりしていた。ふらりと本屋さんに入り(全くなんの目的もなく、本当に「ふらっと」本屋に入るのも久しぶりな気がする)雑誌や本を3冊ほど買った。
一つはミース・ファン・デル・ローエを特集している建築雑誌。ミースを初めて知ったのは、まだニューヨークに居たときで、建築家の友人からだった。私はその友人に「あなたにとって美しいものとはなに?」と質問したことがあった。非常にシリアスな質問だったが、彼はたじろぎもせずまっすぐに書棚に歩いていって「これ」と言ってミースの作品を収録した本を見せてくれた。その迷いのない態度が私の中にミース・ファン・デル・ローエという建築家の名前を刻み込んだのだった。「less is more」といい続けたという彼の作品は、シンプルだが冷たくなく、考え抜かれた「less」を感じる。それはある精神状態で感受するとすごい緊張感かもしれないが、その一方で限りなく精神が解放されるような空間の創り方のような気がするのだ。来年、チェコにいけたら(今年ニューヨークであった学会が来年はプラハであるのだ)彼のトゥーゲントハット邸を観る機会があるだろうか。そうなれたら嬉しい。
もう1冊は『おじいさんの旅』(アレン・セイ ほるぷ出版)という絵本。以前、書評か何かで読んで、この本のことは知っていたが、実物を見たのは初めてだったかもしれない。立ち読みをしてみて、不覚にも泣きそうになってしまった。いまここで、絵に添えられた簡潔な言葉を読んでみても、涙が出てくる。何を泣いているのだろうか・・と自分でも思ってしまう。ここに書かれていることは、私の記憶の何かを揺さぶるのだ。この本の帯には「ぼくたちは何所にいようと、ほかの何所かが恋しい。誰といようと、ほかの誰かが恋しい」とあるが、そんな感じなのだろうか。私を最初に海外に連れ出した祖父のこと、年に何度も海外に行っていた祖父、それに同行していた子供の頃の私、4年という短い間だったがニューヨークに居て京都を思い、京都に帰ってくるとニューヨークが恋しくなった自分・・・そうしたものと重ね合わせているのかも知れない。しかしそうした「実際にあったこと」だけが問題なのではなく、何か、もっといろんなことを含んでいるような気がする。以前、ある人が「せつない」という言葉について「悲しい、というような意味だけではなくて、様々な気持ちが発生するもとの成分にこの「せつない」という感じがあるような気がする」と言ったことがあったが、その言葉を唐突に思い出したりもした。

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