えこひいき日記

2003年8月6日のえこひいき日記

2003.08.06

昨日は、ひょんなことからチャンスがあって、比叡山薪歌舞伎を観に行った。文字通り、比叡山延暦寺内に野外特設ステージを設け、日暮れ時にかがり火を焚いて催される歌舞伎の舞台である。薪能などは有名だが、歌舞伎ははじめてである。
比叡山への道のりは慣れていない者には「遠い」。タクシーをチャーターして送り迎えをしてもらわなくてはならない(この催し物のためにバスも運行されているが、時間が合わなかったのである)。市街地や琵琶湖を眼下に見下ろしながらぐねぐねと山道をのぼり、ようやく寺の入り口が見えてくる。京都に住んでいるのでお寺には比較的縁があるというか、見慣れている生活をしているが、比叡山はお寺といっても市街地のお寺とは様子が違うことを感じてしまう。簡単に言えば、厳しいのだ。「バリアフリー」という言葉が闊歩する市街地と違い、ここは「バリアばりばり」なんである。排他的、というのではない。ここの足を踏み入れることへの自覚を迫られるのである。だからよいのだ。物理的な距離のみならず、「遠くまで来た」と感じるのはそのせいなのであろう。
夕立の後の野外ステージは渡る風は湿気を含んで涼しく、でも重い。ヒグラシの声が聞こえ、舞台には時折虫が舞い込み、きらきらと光る。そうした夜への移り変わりをも味わいながら舞台は進む。特設会場は千人を収容する規模だが、それでも客同士の間隔はけして広くはないし、花道も狭く、ほんのすこし体をずらせば観客の肩は花道に乗り上げてしまいそうである。観客の顔は近く、ほんのわずか視線をずらせばまともに俳優は観客の目を見てしまうことになる。客席には演技者と面識のある観客だっている。しかし舞台の上の世界と客席とは密に接しながらもきちんと世界が分けられていて、犯すべからざるものとして保たれている。それは、普段の劇場でもその通りなのだが、しかしそのあたりまえのことをより鮮やかに「あたりまえ」に思えたような気がする。それはとても心地のよいことだ。言葉でいうと簡単なことだが、お互いが違う立場でこの場に存在できることをすなおによかったなと思えて、楽しめる。

お芝居は、主要に2演目。「橋弁慶」の後、「火入れの儀」として笛の音色にあわせてかがり火に火がともされ、そのあと創作歌舞伎「比叡の曙」が上演される。「比叡の曙」は「若き日の最澄」のサブタイトルの通りに、若き最澄が「最澄」になっていく過程での「受難」の物語を取り入れて描かれている。最澄におけるゲッセマネの園・・・と言ったらまじめに天台宗に信仰をお持ちの方に怒られるかもしれないが、しかし偉人・聖人に限らず(とりわけ偉人・聖人にはその逸話が多いが)「受難」というか、ある抜き差しならない問いかけや試練や選択を迫られることを持って自分の存在を試される・・・という話は少なくない。
お芝居の内容から逸れてしまうが、私が思い出したのは、カメルーンの呪術医になるための夢の修行の話だった。詳しくは私も短いエッセイを書いている『サイケデリクスと文化』(春秋社)の井上亮氏の文章を参照していただきたい。そこでは「ギンナージ」と呼ばれる精霊とコンタクトして人を治療する呪術医となる修行に「夢見」が使われるのだ。実はインドやチベットでも「夢」を通しての修行の方法があり、若干踏まえるプロセスに前後はあるが、よく似ていたりするという。最初は「数日以内にこう言うものが出てくる夢を見なさい」というような、いわば夢の自覚化のようなプロセスから入り、最終的にはより深く自己と世界に迫るような課題へと進む。
ともあれ、私が思い出したのはその「夢見」の修行で最終的なプロセスのことだった。私が記憶する限り、それは「夢の中に扉があって、その扉の向こうに貴方が最も恐れるものが立っている。それの顔をちゃんと見れると思ったら、扉を開けなさい」というものだったと思う。確か体験者は幾晩も幾晩も、この扉の前で悩むのである。指導をする「先生」は「恐れるもの」とは何なのかを明言するわけではない。夢を見る本人も、自分が何をいったい恐れているのか、わかっているわけではない。「自分が最も恐れているものの顔を直視する」という作業は、劇中では最澄が出会った「仙女」(結構残酷なんだが)であり、「母」の姿をとった「悪霊」であったりする。私は、この「最も恐れているもの」とは「最も大切にしているもの」なのではないかという気がする。大切であるがゆえに、かえってまともに考えることを避けてきたというか、保留してきたというか、そういうものではないかという気がする。それを問われることによって、自分が何者であるかを自分自身がどうしようもなく知ることになるような気がするのである。「悪霊」や「仙女」という「他者」のスタイルをとっているが、それは外から来るものではなく、内なるものなのであろう。だからこそ「受難」劇は聖人が「聖人」になる直前に欠かさず描かれるテーマなのであろう。

レッスンを受ける人も、習慣的な身体の動かし方、身の振る舞いに変化が生じるときに、ときに「こわい」という言葉を口にする。身体的にはずっと楽であり、変化した方がよいのだとわかっていても、それを「こわい」と感じる葛藤の感覚がある。そのあたりのことは自著にも書いているので読んでいただいたらよいかと思うのだが、この場合の怖さとは具体的な対処を得てのものではなく、「未知」で「未確認」であるが故の「こわさ」である。訪れる変化も「未知」のものかもしれないが、それ以上に自分がやっていたことがわからないでいたという「未知」が「こわい」のかもしれない。そういう意味で、知るのが怖い人は、確かにレッスンに向かないかもしれない。でも知ってみたら「なんだぁ」ということも少なくないので、あんまり身構えないほうがよいとも思うのだが。

でもさ、「受難者」の偉大さはその困難感に比例して語られるべきではないと思ったりもするのだ。怖い目にあったからえらいのではないのだから。ほんとにそんなに厳しく試されないとわかんないものなのかしら・・・などとも思ったりするのだが、そういうふうに迫られないと「自分とは何ぞや」と考えたりしないのがふつうなのかもしれない。

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