えこひいき日記

2003年8月7日のえこひいき日記

2003.08.07

高校生の体操選手からメールが入り、試合で優勝したと知らされた。すなおに「やったー!おめでとう!」と思う。彼女は2度膝の手術をしていて、今回は2度目の手術後初めての大会だった。膝にはまだ痛みがあるし、「からだの使い方」の面ではもっと洗練できるところはあるが、しかしそれすらすべてこれからの「可能性」なのである。その状況下でこれだけの結果が出せたことは小さくないだろう。優勝することだけが目的ではないが、やはりそれができることは自信になるし、成果が形になることは嬉しいことだ。体操選手で定期的にレッスンを受けに来てくれている人はもう一人、小学生の選手がいるが、彼女も別の大会で3位になったといっていたし、まずはよかった。

私がこうした人たちに接するきっかけは、怪我や痛みの改善、あるいは怪我などがきっかけで練習や練習方法に行き詰まりが生じた時が多い。彼女達の場合もそうだった。小学生の彼女は、よい意味でも悪い意味でもまだまだ無邪気で、自分の動作や身体について「痛い」とか「できない」以外のコメントを自分から言うことは少なく、練習の様子を聞いて「こういうときはどうだったの?」と聞いても「はにかんで首をかしげる」以外のフィードバックが返ってくることは少ない。往々として、いわゆる「体育会系」の世界では「自分の思いや感覚を言葉にして表明する」ことは少なく、コーチや先輩とそうした話をすることも少なそうで、そんなことをしなくてはならないのはよっぽどの時に限られていたりするので、自分の普段のコンディションや感覚、動作の仕方について正確な認識を持っている選手は少ない。自分の感覚を言語化する訓練をしていないのだろうから無理もないのだが、しかし「感覚に上るのは、身体の痛さや困難感だけ」というのではこれから自分の技やコンディションを安定・向上させていく上で限界があるので、悪いところを力ずくで「隠す」ことを「訓練」とするのではなく、なるべく「自分を見る視力」を培うように指導したりはしている。
その点、高校生の選手のフィードバックはもっと豊かである。自分の「こうなっていきたい」という目標についても、言語的にずっと豊かで、細やかな変化に対しても少しずつ「その感じ」に言葉を与えられるようになってきた。それは、時間的には一瞬にして過ぎ去ってしまう動作にもきちんと意識を配れるようになるということであり、難易度の高い技を正確に「自分のもの」にしていくためには重要なことだと思っている。とはいえ、最初からそのことがやすやすとできたわけではなくて、最初はもちろんいろいろあった。

「体育会系」の人というのは、どうやら我慢強い。考え方が「常にポジティヴ」と言えば聞こえがいいが、悪く言えば「見栄っ張りなのではないか」と思うくらい、ちょっとした「問題」への向かい合い方を知らないことがある。例えば、女子選手の場合、特に成長期には体型の変化も著しく、それに伴って一時的にできていた技ができなくなったりすることがある。心理的にも微妙な変化が生じて、平気でできていた技に恐怖感を覚えて、できなくなることもある。しかしそれはけして「実力が落ちた」とか「やる気が減じた」いうものではなく、ごく自然で一時的な変化であって、今の身体状況にあった「使い方」が把握できればあせる必要はないことなのだ。しかし少なからぬ数のコーチ陣がそれに対して適切なアドバイスをしておらず、ただ「怖がらずにやれ」とのみ指示し、できない選手を叱咤するのが指導の関の山という事態が起こっていたりする。コーチ陣もけして悪気でやっているのではないが、そのように「問題」の存在を無視して表面的に「できている」ようにつくろうような指導が、一時的であるはずの問題をより長引かせている結果も少なからずある。私にはそういう事態が残念に思えてならない。もったいなく思えてならない。だって、「問題」といってもそいつは「トラブル」とか「困りごと」というよりも「変化」とか「考えたほうがよい」という程度のことであって、そんなに「わるもの」ではないからである。
また、海外のクラブチーム制と異なり、選手生命が卒業・就学によって区切られることが多い日本の選手の場合、そのたびに「やめるか、続けるか」「なぜ自分がこれを続けているんだろう」という問題に向かい合うことになることが多い。そのような時期に「継続を迷う」「やめようかな、と思う」というのは「やめる」ことが目的なのではなくて、「続けるならばもっとよいやり方でやってみたい」「このままでいいのか(このままでは、いやだ)」という意味であることも少なくない。しかし指導者サイドも、本人も、そのような方向性でこの悩みを受け止めるのではなく「辞めるのは、脱落者だ」というような雰囲気で、問題意識そのものの存在を抹殺してしまうことがある。そこできちんと迷えば、自分が何を欲しているのかすっきりしたりすると思うのだが、残念ながら「継続を迷う気持ち」の中に隠された真の前向きさを見落としてしまうことも多い。

ともあれ、ご縁があって私が教えることになった彼女達には、自分の意思で体操をやっていって欲しいと思う。どのような状況にあっても、できたら「やらされる」のではなく、自分の気持ちに嘘をつかないやり方で、自分の体操をやってもらいたいと思っている。

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