えこひいき日記
「ウォーキング」・・・流行ものと「からだ」の変遷について考えるの巻
2004.01.22
個人的にはにゃーんの興味もなくても、職業的に必要な情報収集として、しなくてはならないオベンキョがある。例えば、ダイエットやエクササイズに関する流行史のリサーチもその一つである。
もともと私が卒業したニューヨークの学校では、アレクサンダー教師はアレクサンダー・テクニックのお勉強だけをしていればよいのではなく、フェルデンクライスやロルフィング、ピラテス、ラバン、気功、太極拳、はたまた心理療法や東洋医学、アーユールヴェーダ等々を選択して履修しなければならないという履修プログラムがあった。アレクサンダー教師の役割は、クライアントが「あたりまえ」と思い込んでいて気がつきにくい動作や思考の癖の改善を指導することなので、様々なテクニックやメソッドを知っておくことのみならず「その外に立つ」センスを磨かねばならないのだ。「その中」にいては染まりすぎて見えていないことを、そのクライアントにわかるような的確な動作や言葉で指導するのが教師の技量である。
そんなわけで、個人的には全く興味はなくても(だって、けっこーアヤシイのも多いんだもん)心を鬼にして(?)資料を読まねばならないときがあるのである。情報収集の意味は主に二つある。
一つの方向性は「リセット」である。「何々式ダイエット」「何々式体操」の栄枯衰勢はとめどがないものがあるが、クライアントが身につけている奇妙な習慣や動作の「もとねた」にはこれらの影響が隠れていることがあるからである。「こういうのを参考にしていたんですが・・・」と自らの「遍歴」を話してくださる方もいるが、話してくださらない方もいる。特に参考にした「何々式・・」がいまひとつその方にとって効果的でなかった場合、そのようなものに手を染めたことを「恥」と思われるのか、あるいは体得できなかった自分のほうを「悪者」にしてしまわれるのか、話されないことが多い。そして話してくれない方の方が、心の傷も深く、なおかつ染まり方も深い場合が多いようである。「変だ」と思いつつもいまだに固執している方もいる。(まあ、癖とはそういうものだから仕方がないのかもしれないが)でも話してくれない場合でもこちらの目から見ると「なーんかへんだぞ」と気がついてしまうことは多いし、日常動作や職業、怪我の履歴等々から推測できる範囲を超えて行動パターンが特異で頑なな場合、「もしかして○○ってやってらっしゃいましたか?」などとお聞きすると、かえって「わかってもらえた!」「やっぱり疑問に思ってもよいことだったんだ」とこころを開いてくださる方もいるので、ない何がきっかけになるかわからないから、一応こういうリサーチをやる。
また逆に、積極的な意味での活用もある。例えばクライアントが「こういう体操を習っているんですが・・」とか「やってみたいんですが・・」と相談された場合、それらのエクササイズを個々のクライアントに合った形で取り入れてもらうためのアドバイスをするのも私の仕事の一部である。(あまりにも奇妙な技法の場合、「とくになさる必要性はないのでは・・」とアドバイスすることも含まれる)
先週はおんなじ某ウォーキングについての質問が次々と5件クライアントからやってきた。流行ものとはなかなかすごい。質問してきたクライアントは「(習う立場として)参考にしたいんだけど、ちょっと??」という方もいれば、「実はウォーキングを教えてくれないかといわれていて・・」というダンスの先生や元モデルという方もいる。
私の見解としては、いわゆる「ウォーキング」は「歩行」ではなく、「ウォーキング」という名の「エクササイズ(体操)」と認識したほうがわかりやすいのではないか、ということが一つ。提示されている歩き方を日常の「歩行」とするには、効率が悪く、身振りも大げさ過ぎる。あれは、誰もが親しみやすい「歩き」という動作を参考にした「特殊な体操」と考えたほうがよい。私は「(エクササイズ)ウォーキング」だけでなく、現役のショーモデルやスチールの仕事をするモデルさんに「歩くこと」を教えるときも同じことを言う。モデルという仕事を離れて、自分の身体の特性を生かした「歩きやすい、ナチュラルな歩き」を指導することもある一方で、仕事上で要求される「歩き」は宣伝媒体である洋服やバックなどを際立たせるための、いわば「振り付け」である。ショーや撮影で要求されるウォーキングやポージングには日常の歩行では特に必要とされない細かいひねりや、関節の使い方が加えられている。ダンスや体操競技よりはさりげないようでいて、ウォーキングの内容は日常の動作とはかけ離れたものなのである。その違いを理解し、からだを痛めず、自分の個性を活かした「ウォーキング」を編み出すことは、ダンサーや演出家が自分なりのムーブメントや脚本やセリフを生み出すのと同じ作業なのである。しかしそのことを「ウォーキング」を習いたい人も、指導する人も、意外と知らないことが多い。
スタイルのよいモデルさんが颯爽とステージを歩いているのを見れば、そのかっこよさから「あれが正しいのではないか」「あれを真似すれば自分もあんなふうになれるのではないか」と思うのも無理はない。現に、そう思ってもらうことでアパレルやデザイナーは商品を売っているし、観客(消費者)がそのように思うとするならば、仕掛け人としては万万歳だろう。ダンサーや俳優も「ああいう演技をしたい」と観客ないし演出者の目線で動作を判断しすぎて、それを実践するのにふさわしくない「からだの使い方」を選択してしまい、うまくいかなくて悩むということがままある。自分で目論んだ「演出」に自分が引っかかってしまうわけである。「仕掛け人」や「観客」なら結果として提示されるものだけを求めたり楽しめばよいが、「実践者」ならば「結果」と「結果を生み出しているプロセス」のからくりは理解しておいた方がよいと思う。
もう一点、「エクササイズとしてのウォーキング」に興味をもたれる方へのアドバイスがあるとすれば「自分のために歩け」ということである。ただ格好を気にして、自分の動作にコンプレックスを抱きながら習うのではなく、せっかくなのだから「歩く」というより親しみやすい動作の中で自分のからだの感覚を感じながら動いて欲しいと思う。「ウォーキング」の動作をそのままに日常の「歩行」にコピーするというやり方ではなく、そこで得た自身の「身体感覚」こそがエクササイズを離れた場所でも自分を支え、ちょっとだけ自信を持って自分をきれいにしてくれるんではないかと思うからである。