えこひいき日記

音のうごめき

2004.09.05

先日、すごく高性能のイヤホンを頂いた。届いたのがちょうど外出する直前だったのでさっそくMDにつないで使ってみた。
このイヤホンがどのように高性能かというと、遮音性が高い、ということが最初にあげられるだろう。だから外に音が漏れることも少なく、小さな音量でもはっきり音楽が聞こえる。装着の仕方もちょっと変わっているのだが、耳の穴にぴったりと収まったイヤホンは外の音をまさしく「耳の外」に置いてしまうのだ。そうすると、外の音は音以外のカタチで私に感じ始められる。「振動」として感じられるのだ。それが顕著で面白かった。
もともと私は「振動」に対してやや敏感なほうなのかもしれない。普段からエレベーターが上ってくる気配を音ではなく振動で感じることがあるし、外にでて信号待ちなどしているときに通り過ぎていく車やバイクのエンジン音が振動として自分のかばんをタッピングしているのを感じることがある。そんな感覚がイヤホンをしているとさらに顕著にするので面白かった。このイヤホンをして電車に乗っていたのだが、アナウンスの声が振動として私のかばんや皮膚を揺らしているのが感じられる。音は聞こえないんだけれども。駅のプラットホームに居る人の話し声は聞こえないが、話しの内容に応じて動いている手や指の動きはいやにはっきりと見える。まるでダンスのようだと思ったりする。一人の人間の身振りがこのような連続性を持ってなされていたのかなあ・・などとしばし見惚れたりする。話している本人も、話ということに夢中で、自分がどんな身振りで動いているのか知らないだろう。その動作が話している内容と合致するかどうかはわからないけれども(パントマイムではないのだから、直接的に合致はしないと思うのだが)、動きだけで十分何かを「語っている」ように思えてしまう。そうかと思うと、マリオネットのようにぎくしゃくと動きながら話している人もいる。この動きに反して言葉そのものは途切れることなく口から流れ出ているのかもしれない。でも動作はラップよりも切れ切れだったりする。そんなことがはっきりと目に入るのである。
イヤホンから流れてくる音楽は、遮音性が高いだけに、その音楽だけが純粋によりはっきりと聞こえている。なのに感じられることが「音楽だけ」にならずに、かえって色々なものが感じられるようになるのはなぜだろう、と思ったりする。風景もはっきり見える。
(などと書いているときに大きな地震がきた。面白いけれど、ああびっくりした。変な位置に置いていた本が落っこちてきたりもして、驚いちゃった)
わずかこれだけのことなのだが、いつものことがいつもとが違った感覚で捉えられることが、私にはすごく面白いのである。

いわゆる「五感」という言葉がある。「見る」とは視覚という目の機能によるものだし、「聞く」とは耳の機能だし、「味わう」とは舌の機能で、「匂う」とは鼻の機能である。触覚というやつだけがちょっと変わっているのだが(こんな複雑な感覚が他の4つの感覚と同じカテゴライジングをされていること自体が大雑把なのではないかと私は思うのだが)、ともあれ、今回私が思ったのは、人間はこの5つの感覚に「分けて」世界を知覚しているのではなく、世界とは感覚を「合わせて(あわせることができて)」ようやく感じ取れるものではないか、ということであった。そんなこと、言葉にしてしまうとあたりまえのような気がするんだが、でも例えば通常視覚で関知できるものをそれ以外の感覚で感じ取ろうとはなかなかしないように、人間の知覚は意外と五感という名の身体能力と認識に「分かれたまま」でわかったような気持ちになっていることが多いのではないか、と思ったのだ。それが悪いとは思わない。でもそのままでは寂しいような気が私はしてしまう。「理解する」という意味で「分かる」という言葉を使うことがあるが、初めて触れるものを理解しようとするときに、それのある一部分(側面)に狙いを定め手がかりにすることは少なくない。「分析する」という言葉が同様に「理解」の手立てとして使われるように、細分化することが理解江の手がかりなんだろうと思う。私もそういう方法を採用している。でもそれだけでは対象を理解したことにはならない。それだけでは不完全なのである。
例えば高性能のイヤホンが外的な音を「遮断」してより耳の穴から純粋に音楽を流し込むことが、その人間の感覚を遮断された内側の世界にだけ留まる・・・感覚が聴覚だけになってしまったり聴覚機能の孤立を促すなどの・・・ことにはならず、意外にも音を「音」としてしか感知していなかった自分の「あたりまえ」を崩してくれるなら、なんだか面白いぞ、と思ったりする。(フローテーション・タンクの面白いところもそこなのだが。でもそれはタンクの専売特許ではない。)
(とか書いていたら、また地震が来たー)
普段「からだ」のことを教える仕事をしているが、それを「からだ」のカテゴリーにだけ閉じ込めて考えるのは、私はあまり好きではない。「からだ」という側面からみえる人間という存在に、あるいは「からだ」で捉えられる世界に、私は興味がある。自分なりに深めていけたらいいな、と思っているところである。

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