えこひいき日記
類・族そして個
2004.09.21
9月も半ばを過ぎたが、依然として暑い。まだ夏な感じである。先日の連休も気分は「秋」というよりもまだ夏であったが、事務所がある三条通沿いでは「三条あかりけしき」という名の、京都映画祭とも連動したライトアップ&映像の投影イベントもあって、なかなかにぎわっていた。実はこのイベントにはこの事務所もちょっと参加していたのである。向かいのNTTのビルをスクリーンにして映像を投影するプロジェクターの設置場所として事務所をお貸ししたのであった。ここのほかにも民家やお店の一角をお借りして大小のプロジェクターが設置され、イベントに協力している。事務所を貸していると言ってもプロジェクターの番をしなくてもよいので、私も三条通のどこにどんな映像が映されているのか探しながら歩いてみたのだが、なかなか楽しいものであった。結果的に一番大きな映像を映していたのがここのプロジェクターで、ちょっと嬉しい気持ちになった。
ところで先日からまるでシケの海の上に居るような感じで過ごしていたが、あることがあって、症状が一気に好転した。今はかなり楽である。さらに回復への方向性を高めようと目論み、実に15年ぶりくらいに指圧と鍼治療を受けてみた。問診があって、短めの施術を受けたのだがスムーズに終了した。そこでは問診を中心に陰陽五行説に基づく体質診断をし、施術の方向性を決めるらしく、いろいろ質問された。それに答えていって「あなたの体質はこれのようですね・・・でもこの部分は違いますが・・・」などと診断された。個人的によくあることなのだが、私はいわゆる「タイプ別診断」みたいなもので分類に困られることが多い。自分でも「ぴったり!」などと思った「分類」に出会ったことはない。しかし診断者もタイプの中にその人間を入れてしまうことが目的でやっているわけではないし、「なるほど」という部分もあったので、とても面白かった。私の体質は、甘いものを食べ過ぎてはならない、とかね。最近やたらと甘いものが欲しくて食べていたのだが、それと体調の因果関係は今後自分なりにみてみようと思う。
まあ、「タイプ別」という考え方が集合体の最大公約数を示すようなやりかたなわけだから、固有性から外れる部分があるのは当然といえば当然である。人によっては「タイプ別」の診断や特長(こうした体質診断もそうだが、例えば「○○座の今日の運勢」みたいなものなど)をすごく気にして、中にはシリアスにその診断に添って自分の行動を合わせてしまう人もいるが、幸か不幸か私はあまり気にしないほうである。朝のテレビで「今日の運勢」などを見てもそれなりに喜んだり嘆いたりはするのだが、10分後には忘れてしまうほうである。
自分が「はずれる」タイプであるせいか、「タイプ」で人間を判断しようという考え方がいまいちわからなくなることがある。だが「この人はどういう人か」を自らが見たことの中から認識できる人は少ない。前例的な経験や知識として「こういうタイプがある」という認識があった方がわかりやすい側面はあるし、中にはそこから入らなければその存在が目に入らない人もいる。先日も私が仕事でクライアントを指導するときに「クライアントをタイプに分類して指導しているのか」と言われてやや困った。その人は基本的に「タイプ別」で人を見るらしいので、そうしないということが理解しにくいようなのだ。私は素に人個人の「パターン」は見るが、複数の人を「タイプ」に分類することはしない。「からだの使い方」を指導する場合、最大公約数的なパターン傾向を優先すると、取り落としてしまう情報が多すぎるからだ。
概念とか認識が隔てる人間の距離は仕事上でもプライベートでも考えてしまうことが多いが、隔たりがあってなお共存できることがすごいのかもしれない、などと思う。