えこひいき日記
2004年11月2日のえこひいき日記
2004.11.02
11月は「執筆月間」である。ということで、レッスンの制限もしているのだが(ご不便をおかけてして、ごめんなさい)今のところは「執筆」しておらず、なんとなく「休み」をもらったような解放感の中に居る。わーい。夜更かしをして、今日きたクライアントや明日来るクライアントの心配をせずに眠り、好きな時間に起きる、というのは快感である。
11月になろうとする10月31日の深夜に私がしていたことは「夜更かし」であり11月に入って初めてしたことは「デスク回りの片付け」であった。特に汚い状態というのでもなかったと思うのだが、「原稿を書く」という体勢に持っていくには若干の整理や配置換えが必要な気がしたのだ。本や事務用品に位置を若干変え、原稿用の資料を置くスペースを作る。デスクには毎日座っているのだが、ちょっとした引き出しとか、棚の奥にはおそらく数年に渡って手をつけていない「何か」があったりする。それは、何かに使うだろうと思って取っておいた半端な長さのリボンの束とか、輪ゴム(しかし年月が経ったのでレキカしている)とか、使用期限が切れた胃腸薬とか、どこかからのニュースレター(しかしたいして読んでいない)だったり、様々なお知らせの郵便物だったりする。要らない物は捨て、保存すべき物(主に書類)はまとめて箱に収め、デスクの中心的な位置から移動させる。
デスクとは「最前線」の場所でもある。特に原稿を書いているときはそうだ。そのとき自分がやるべき行動がやりやすいように整えられているべきなのだ。逆にいえば、「どのように整理されているべきが」がみえたとき、それが行動の準備が整った状態といえるのかもしれない。それにしても整理をしてみると限られたデスク回りにそれなりのスペースが捻出できることには驚く。「狭いなー。これ以上物が増えたら引っ越すしかないわ」と思っていても、それは使い方の問題である部分もあったりもするんだから、整理はしてみるものである。今は広くなった机の上に猫が気持ちよさそうに寝ておりますが。
10月の最終週はなかなか忙しかった。幾つかの舞台を拝見し、講演やワークショップも行った。それぞれについて思ったことがなかなか濃くて、なかなか書ききれないが幾つか書いてみようと思う。
個人レッスンと違って複数というにも大勢の人たちを対象として行う講演やワークショップの場合、それが終わったあとに一抹の空しさを覚えることがある。ワークショップの場合はある程度こちらからの指定で人数を調整してもらったりするし、参加者も自主的な興味があって参加してくるのでそれほどでもないが、ある確率で参加してくるちょっと変な人に煩わされる程度に留まるものだが、講演会というのは時々空しく疲労する。まだ頭が冷め切らないうちに、この空しさについてもある程度考えておかねばならないとも思う。自主的に興味を持たず、曖昧な同意の中に埋もれたままこの時間をやり過ごしたいと思っている人の耳や眼を強引にこじ開けるような策をろうするような情熱は私にはないが、こうした仕事を今後引き受けるか否かということをも含めて、自分に出来ることを考えておかなくてはならない。
公演はダンス公演を京都で一つと、大阪で一つ、拝見した。いずれも私のクライアントが出演していた舞台であった。京都での公演は3組のアーティストが出演するのだが、そのように3組を拝見すると「うーん」と考えさせられる舞台であった。根本的な質問になるかもしれないが「パフォーマンスって、いったいなんなのだろう?」ということと、これまた恐ろしく基本的な認識だが「舞台ではやってきたことでしかやれないんだな」ということを思った舞台であった。準備や訓練は大事だ。それが舞台で出るから。
大阪の舞台は、あるダンサーの初のソロ公演であった。考えて見ればそうそうたる経歴を持つ彼がソロ公演を行うことがこれが初めてというのが不思議な感じだが、しかしだからこそこの公演は状況や他者から強いられたものではなく彼のモチベーションによってなされたものだと信じられるものであった。ラストシーンで何人かの人が泣いていた。何に泣かされているのかも分からないままに泣いていたのではないかと思う。会場を埋めていたのは多くが彼の知っている人たちであったから、辛く用心深く批評するならば、良くも悪くも今回の公演は「内輪的」であり、彼に同調しやすい条件がそろっていたのかもしれない。しかしだからといってそれだけで泣けるものではないだろう。
私も泣きそうになったが、泣くより先に微笑んでしまった。あえて例えるならば、ひよこの羽化を見守ったような気分であった。なかなか出てこない卵の中のひよこはどんなに時間がかかっても自分で殻を出ねばならない。外からそれを見守る物にとって、最初に小さな亀裂があらわれ雛が出てくるまでの時間のなんとまどろっこしいことか。しかし手を出してはならない。無理に殻をむけば帰ってひよこは死んでしまうからだ。最終的に脱ぐことがわかっている殻であってもそれを脱ぐタイミングは彼のものだ。殻を破ろうとする真摯さに涙するより先に、そうやって生まれようとし、無事に生まれたヒナに微笑んでしまった感じ。「通過儀礼」は見事にクリアされたのだ。これからどのようにでも踊れる。終わった先からなんなのだが、次の公演を見てみたいと思った。
その夜は打ち上げに参加してお開きになったのは午前1時、私は大阪のホテルに泊まった。京都と大阪はそんなに遠いわけでもないのだが、こうして大阪に泊まり、高層階から街を見ているとすごく遠くに来てしまったような気がする。わくわくするような、不安なような。でもこういう気分は嫌いではない。打ち上げで飲んだアルコールは瞬時に眠気を促すが、睡眠は長く続かない。午前3時くらいに目が覚めてテレビをつけると松田優作主演の『蘇る金狼』(だったと思う)のラストシーンが映されてきて、なんだか一段と不思議な気分になった。ラストのセリフは「木星には何時に着くんだ?・・」という、とても有名で奇妙なセリフである。ぼんやりしたアタマで「もくせい・・」と考えているとこちらもすごく奇妙な気分になる。それが自分を恐怖的な不安にいざなわないということは、私はきっと今幸せなのだろう、などと思った。