えこひいき日記

2005年1月19日のえこひいき日記

2005.01.19

基本的に平和な日々ではあるが、それなりに波乱はある。
例えば「架空請求」や「振り込め詐欺」。ずっと以前に「架空請求」の広告料か何かの請求を騙るはがきがが、あまりにも馬鹿馬鹿しかったので無視して何事もなく。(こういうときって、ウェブサイトで警視庁や消費者センターの告知をみてみると役立つのです。案の定、私のところにきた「架空請求」の手口も掲載されておりました。意外とワイドショーも役立ちます)
そして「振り込め詐欺」の電話は事務所であるここではなく、実家にかかってきたことがある。母が電話に出たのだが、電話からは「もしもし、警察ですが、お宅の旦那さんが事故を起されて・・・」という声。文言はニュースでもおなじみ、古典中の古典である。しかし実際にそんな電話がかかってくるとやはり驚くのではないだろうか。なんと実家にはそんな電話が3回もかかってきたらしい。しかしその場に父がいたときもあったりして、こちらも何事もなかった。電話の内容を察した父は腹を立て「そんなやつ、電話引き伸ばしておちょくったれ!!」などと過激なことを母に指示していたらしいが、まあともあれ何事もなかったのである。

風邪は万病の元というが、動揺は万難の元。あるいは冷静さは厄除けというべきか。あらゆるミスの発端はほとんどケアレスミスなんだけれども、そんな些細なことが大事になるのは、たいてい適切な対処を取れないゆえである。なぜせっかく取った行動が功を奏さないのか・・・そこにはたいてい動揺というか、慌てているというか、落ち着きのなさが存在しているようだ。
例えば「振り込め詐欺」だって、ちょっとした知識と落ち着きがあれば、難を最小限にするチャンスは生まれるのではないかと思う。もちろん、こんな犯罪をやろうと思う奴がひどいんであって(たとえ「振り込め」といわれなくても、「あなたのご主人が事故に・・」など知らない人に嘘をつくことは十分ひどいことだと思う)、被害にあう人には罪はない。しかし理不尽ながらそのような「難」が自分に向けられたなら、侮るなかれ、自衛の策として「落ち着く」ことは強い厄払いになってくれるのではないかと思う。

逆にいえば、無駄に慌てることは自分で自分がはまる穴を掘るようなものである。困難を前にしてただ慌ててしまうと、その事態を打開すべく事前に学習したせっかくの情報も本当に必要な瞬間には思い出せずに終わり、「またかよ」という絶望感だけが記憶に残ってしまう。そういう回数が増えれば増えるほど事態の打開はハードになるし、絶望感も深まる。
ときたま全くレッスンの成果が感じられないクライアントに当たることがあるが、彼らは総じて「パニックしい」である。「パニック」にパニックしてしまうことも少なくない。なぜそんなにもパニックに親しむのかと思ってみてみると、彼らは感覚的に「慌てる」ことと「努力」をどこかで履き違えていることが多い。常に忙しく動き回っているが、目に付いたことにいちいちパニックし、ついさっきまで自分は何をやっていたのかを忘却することが多いので、継続的な行動と精神状態を安定させることは難しい。消耗する割りに実りは少ない。それがまた「がんばらなければ」という気持ちを誘い、無駄にばたばたすることを促進してしまったりする。
もちろんこうした傾向をもつ人にも程度は様々あり、人前では大きいことを言っては無駄に明るく振舞い、そのくせ影では落ち込んでいるような自分を認めて、「これって変だわ」と気付いてパニックの度合を低めていく人たちだって大勢いる。こんなパニック、やめちゃえば人生豊になる、と気がつく人は少なくない。する必要のない慌てふためきに応じてとってしまう行動に気がついて、それを「なにやってんだろ、やめよ」と思えることがとても大切だ。パニックは起きたままみる悪夢のようなものである。そこから醒めればよい。この場合、覚める為には「これは夢なのね」と気がつくことが大事なのだ。

それにしても、見知らぬ相手に嘘の電話をして金を巻き上げることを自分に許せる心理状態って、どんなものかしらと思う。多分これも自身の行動に自覚のない、夢の中で動いているような感覚なのかな。

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