えこひいき日記

2005年1月25日のえこひいき日記

2005.01.25

夕食に家族とカニ鍋を食べに行った。関西で有名な某カニ料理専門のチェーン店に行ったのであるが、その店に行くのも、カニ鍋を食べるのも、思えば実に久しぶりであった。鍋のほかにもいろいろ料理をおいしく食べ、料理は〆の段階へ。鍋の〆といえば、雑炊である。着物姿のお店の人が眼の前でこしらえてくれるのだが、ここにちょっとした悲劇が潜んでいたのであった。
「失礼します」と言いつつも、少しばかりぞんざいな態度でやってきた店員さんは「では雑炊を作らせて頂きますので・・」とこちらを見ずに明るい声で言った。そこまでは取り立ててブラボーな所はないとしても、普通である。そして鍋の火を強め、ごはんを投入するタイミングを待っているんだが、その店員さんはなんだか待ちきれないように早々とごはんをいれてしまった。「あら?ちょっとはやくはないかしら?」と思ったものの、それも作り方の個性のうちかもしれない、たいしたことではあるまい、と家族一同静観していた。しかしその後も店員さんは次々に工程を進め、早々と卵を入れてかき回してしまい、出来上がったのはなんと糊状の雑炊であった。見た目からして驚愕のできばえであったが、食べてみても見た目を裏切らないできばえで落胆を深めた。私の家族はそろって大食漢なのだが、これはさすがに残してしまった。恐らくこれは私の外食史上のワーストランキング上位にランクインする出来事といえよう。
思えば調理の初期課程から「やばい」予感はあったのだから、理想をいえばその段階で店員さんに「あ、こちらで作りますから材料置いていってください」といえればよかったのだが、できなかった。客の要望が快く聞き入れられるのは、客がおなじみさんであること、あるいは店が「プロ」である場合に限られる。「プロフェッショナル」なお店は最初の来店からいいタイミングでこちらの好みや要望を聞いてくれて、それを最大限生かしてくれるし、無理な場合はそれもはっきり言ってくれる。ここではなじみ客でなくてもお臆せず言えばよかったのだが、まさか雑炊をこんなにまずく作るとは思っていなかったので油断してしまった。その油断を後悔している。
さすがにお会計をして帰るときに雑炊のできばえについて家人が一言言い添えたのだが、それがどのように聞き取られるのかは、次に行ってみないと分からないことである。

それにしても、なんだか不思議な感じがした。怒るというよりも、である。料理のできばえ以外のことでもひっかかることはあった。店員さんが鍋を扱っているときに二回くらいかき回す手の勢いが強すぎて中のものがこぼれたのだが、それについても彼女は客に何もいわなかった。それに対しては無礼な奴と思ったが、彼女にとってそれは「礼を失した行為」とは認識されていないのだろうなあ、とも思った。客の存在も、本当には認識されていないのではないかとすら思うのだ。というのも、調理の最中彼女は「うかがう」というしぐさを一度も見せなかったからである。
何か料理をしているときに、煮え具合とか、塩加減とか、「加減を見る」という行為って必要だと思う。たとえお料理の本に「塩5グラム」とか「20分加熱」とか書いてあったとしても、それをただ守ることが「料理する」ことなのではなく、そのインストラクションが示す状況がどのような状態なのかを自分の感覚で掴まなくては、本当に「お料理が出来るようになった」とはいえないと思う。
彼女には見事の「加減を見る」という動作が欠けていた。人に対しても物に対しても。察するに、彼女は普段料理をしない人なのではないかなあ。

それにしても、材料が同じで、大きなミスがなくても、「加減をみる」センスというか、工程というか、それが欠けただけでこんなにまずくできることにはあらためて驚愕した。これって音楽にも絵画にもダンスにも、日常のいろんな行為に共通することだよね。
がんばろー

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