えこひいき日記
2005年7月23日のえこひいき日記
2005.07.23
中村勘三郎さんの襲名披露興行を大阪に観にいった。興行は連日満員御礼。私もチケットをある筋から手をまわしてとってもらった。そうでもしないと手に入んないんだもん。やれやれ。
私は15年位前までは、中村勘三郎さんの芸があまり好きではなかった。失礼を承知で書かせていていただくと、どこかぐっと力を入れて「がんばってがんばっている」ような感じがあって、うまいのだけれども、鼻についた。しかし今は違う。歌舞伎の可能性を開拓していくフロンティアにしてまごうことなき伝統の継承者、見事に磨かれた“名人芸”を持つ役者である。
思い返せば、私が「鼻についた」と書いた時期というのは、ちょうど彼が父である十七代目・勘三郎さんを無くされた直後くらいだったかと思う。今から思えば彼の舞台に私が見た「きばり」は、若くして逝った父の後を継ぎ中村屋一門を引っ張っていかなくてはならない責任感やまだ小さい二人の息子さんを一人前の役者に育てなくては、という重圧を跳ね返すべくのものだったのかもしれない。
今日の興行の『藤娘』と『伊賀越道中双六(いがごえどうちゅうすごろく)』の勘三郎さんをみて、ああ、彼は演劇人、役者なんだなあ、つくづく思った。
『藤娘』は、恐らく日本舞踊を習ったり観にいったことのある人なら一度は見聞きしたことのあるナンバーだと思う。有名な舞踊である。そう、「舞踊」と書いたように、私はたいていこれを「踊り」として拝見してきたのだが、勘三郎さんの『藤娘』に関しては「お芝居」と認識した方がなんとなくすっきりするような気がしたのだった。同じ『藤娘』でも例えば坂東玉三郎さんが踊られるのは「舞踊」である。あくまで私見であるが、考えてみると、例えば玉三郎さんの『藤娘』を観ているときに「藤娘という娘が実在するか否か」みたいなことは考えたことがなかった。どちらかというと、そういう娘が実在したという考え方ではなくて、彼の容姿や動作で“藤娘”という一つの「出来事」を踊り出し、三味線や鼓や歌の音色が“藤娘”の風情を「語る」ようなかたちでみえてきていたように思うのだが、これに対して勘三郎さんは『藤娘』(という実在の娘?)を演じる、というような感じを受けた。動作の一つ一つがセリフに見える。はきはきした小気味のよいセリフのように動作がリズムと同期する。こういう『藤娘』もあるのか・・・とすごく新鮮に観た。そういう感覚に至って妙に合点し、これまで拝見した勘九朗さん時代の舞踊の感じを思い出しては「そういうことか」と感じなおさせられるような気がした。
昼の興行のラストを飾る『伊賀・・』は、正直言って、けっこうえぐいお話である。ラストも暗い。なんでこんな暗い話を目出度い襲名興行のラスト演目に持ってくるんやろ・・・と思ってしまうほどなかなか話しの最後が暗くて悲しくえぐいのだが、ただひとつ、私にも推理できる理由があるとするならば「役者として演じ甲斐があるから」。これくらいしか思いつかない。演技合戦という観点で観るならば、勘三郎さんが演じる70歳を超えているという設定の雲助の老人、仁左衛門さん演じるところの実は雲助の息子という若旦那、福助さん演じるところの雲助の娘で実は若旦那の妹でもある(でも一瞬若旦那は妹にほれちゃったりするのだ。でもこの妹にとって兄である若旦那は敵に通じる相手でもあることが後で分かってくるので、ややこしい)という女性のやり取りは見ごたえ十分。特に勘三郎さんが年老いたよぼよぼのお爺さん雲助を時に滑稽に、時に物悲しく、時にピュア(だって最後は義理のために息子や娘の前で自らから死ぬんだもん。ひどいー)に演じるあたりは、お話の内容はえぐいが、しかしエンターテイメント性満点。こういう作品を選んでくるところに「演技者」としの勘三郎さんの業の深さを見る思いがした。
「もうおなかいっぱいです・・・」と心の中でつぶやきながら劇場を後にした私は、京都に向かう電車の中で爆睡した。
それにしても昼の興行が終わったのは夜の興行が始まる約30分前。劇場の外は既に長蛇の列が作られているのであった。出演者もスタッフもこの調子で毎日興行やっているのだろうか。すごい。千秋楽までみんなご無事でがんばっていただきたい、と思った次第であった。