えこひいき日記

2005年7月29日のえこひいき日記

2005.07.29

ここ数日、私は個人的にとても忙しかった。なんというか、密度が濃かったのである。

先日の日曜にはこのあたりで祇園祭の後祭りの一つが行われた。お神輿が通り、そのあとには太鼓のストリートライブが行われるのが通例になっている。この場所に事務所を構えてから何度もおみこしと太鼓の演奏を観ているが、何度見ても楽しい。太鼓の迫力も楽しみなのだが、お祭りの雰囲気そのもの・・・特に子供達の反応を見るのが楽しい。このお神輿の祭りの前には子供向けのイベント(ヨーヨー釣りや花火など)が行われるせいもあって、いつもの街中の風景より子供さんを見かける機会が多い。お神輿が三条通を全部通り過ぎるのは結構遅くなってからなのだが、子供達も浴衣やはっぴはどを着て熱心に見守っている。いや、ただ静かに見守っているだけではなく、素直にお神輿に興奮したり、行列の中の馬に「おうまさーん!」と声援を送っている子がいたり、太鼓の演奏ではひとりでに踊りだしたりする子供もいて、そういう雰囲気がなんとも楽しいのだ。お祭りにはしきたりや行事が厳然と決められていることが多く、それを守るということも大切な「まつり」なのだが、段取りにないこの盛り上がりや熱気もまた「まつり」そのものだと思ったりする。

3日ほど前、東儀秀樹+BAOのコンサートに行った。「BAO」というのは中国の古典楽器奏者6名で構成されたユニットで、東儀さんが上海でオーディションしたメンバーとのこと。琵琶2人、胡弓2人、笛2人という構成になっているのだが、彼らがえげつなく上手くて愕いてしまった。それもそのはず、彼らは上海の国立の楽団で活躍する若きエリートたちであり、彼らも自分の才能を普通に自負しているわけだが、そのテクニックの高さは単純に「うまい」という域を超えていて、もう「えぐい」としか言いようがない。特に中国の古典曲で、そのハイテクニックを余すところなく発揮するような曲を“それぞれのソロ”として披露する場面では、もう超絶技巧の洪水で、久しぶりにテクニックで「お腹いっぱいでげっぷがでそう」になる感覚に見舞われた。
もしも彼らがこれだけの演奏で終わっていたならば、いささか高慢ちきな(失礼!)印象を強く持って終わっていたかもしれない。しかし東儀さんの作品を演奏する彼らの表情はとても楽しそうで、東儀さんという“兄貴”からテクニック以上の何かを得てコラボしていることが伝わってきた。高度なテクニックで人をうならせたり、あるいは威嚇すること、それができることだって十分すごいことかもしれないが、しかし東儀さんの作品の特徴であるシンプルなメロディーの中でより深い味わいのある世界を豊かに表現できることのほうが、アーティストとしての資質を大いに示すところではないかと思う。
また、こんなことをいまさら言うのは失礼かもしれないが、雅楽器や中国楽器を単なる「珍しい音源」としてしか扱わずポップスやクラシック曲のカバーに終わるような演奏が(残念ながら)少なくない中で、彼らの演奏は本当に自分の仕事に誇りをもち、創造性に満ちたものだったと思う。すばらしいことだ。
大変満足な気分でコンサートホールを後にした。

その翌日、私は高野山にいた。このところ私はご縁があって高野山に足を運ぶことが多い。今回は知人の得度式に参列するためにお山に上った。
特急などを上手く乗り継げば京都から高野山までは約3時間。それは時間的にはそんなに遠くないと言えるかもしれない。しかし高野山は完全に「異界」である。しかしそれは誰の目にもおおっぴらにあらわされているものとはいえないかもしれない。例えば高野山に「聖域」のイメージを強く抱いて山内に足を運んだ人は、あまりのフレンドリーさ、普通さに拍子抜けしてしまうかもしれない。実際、世界遺産にも登録された観光地でもあるし、おみやげ物屋や飲み屋が幾多の寺に混じって建ち並んでいる。しかしそれはあくまでも「おもての一面」であり、それだけが高野山の姿では勿論ないのであるが、多くの場合、この「おもての一面」に触れるご縁すらもあるやなしやというご縁なのだろうと思う。勿論、それで良いのだけれど。
あまり詳しく書くとやや支障が出るので雑駁にしかかけないが、お山ではいろんなことを考えた。(短い滞在で、得度式に関しては私はただの参列者であったけれども)「人は見かけによらない」ことも「人となりはそれなりに現れる」ことも。人のこころの尊いほどの暖かさと、形式でもカバーできないいやらしさを。「聖域」は固定的・絶対的には存在するものではないが、しかしそのようにみ」なされる固定的な場所にはそれなりの意味が存在することも。そんなことは普段の街にいても「あたりまえのこと」なのだとは思うが、そう思う確度というか、納得の仕方が一段と強烈なように思う。
結局は自分のしたいこと、するべきことを見失わずに進むこと、とてもあたりまえなことだが本当に大切だな、と思った。

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