えこひいき日記
2005年10月19日のえこひいき日記
2005.10.19
熊本に行って、帰ってきました。正確に言えば、熊本に行って福岡から帰ってきたのであります。なんでかというと、熊本市内から熊本空港に向かうつもりが間違って福岡空港行きのリムジンバスに乗ってしまったから。熊本市内から熊本空港へは所要時間約30分程度。しかし福岡空港へは高速道路も使って2時間以上かかる。自分が乗ったバスが福岡に向かっていることに気がついたときは、驚きましたとも。そのことに気がついたのはバスに乗ってから1時間くらい経つ頃だった。「なーんかへんだなー」と思ったのだが、普段、九州方面に行くといえば福岡空港を利用しているせいか、繰り返しバス内でアナウンスされているはずの行き先にも違和感を覚えなかったのである。あと、疲れてうとうとしていたせいもある。あわてて車内から航空会社に連絡を取り、熊本からの便をキャンセルして福岡からの便を予約した。熊本便は最終の伊丹行きを予約していたので、もはや引き返したとて搭乗はできない。でも、福岡便の最終には間に合うと知っていたので、辛うじてセーフであった。散財しちゃったけどね。
でも、熊本から福岡までの暮れなずむ夕刻の風景を楽しめたのはよかったかもしれない。知らない風景をいっぱいみることが出来た。熊本に行ったのは初めてであったのだ。
熊本行きの目的は、ずばり熊本市現代美術館で行われている『宮島達男展』であった。この展覧会は23日で終了するのだが、どうしても観たくなって、飛行機に飛び乗った。
宮島達男氏の作品を拝見するのはこれが初めてではない。東京のオペラシティや森美術館、直島のコンテンポラリー・アート・ミュージアムでも観ている。数ある作品の中でも、これまでに観たことのある作品の中でも、どうしてもまた観たかったのが『MEGA DEATH』であった。今回この作品が展示されているから熊本まで足を伸ばそうと思い立ったのである。
『MEGA DEATH』は私にとって特別な作品である。この作品を観るために東京のオペラシティに京都から2回通ったこともある。彼は一貫して「1」から「9」までの数字を発光ダイオードを使った作品で表現し続けているのだが、数ある作品の中でもこれはとても好きだ。(好きな理由については、他のことともからめて10月中に書きます)熊本現代美術館の『宮島達男展』には3作品(だけ)が展示されているのだが、『MEGA DEATH』の前には合計1時間くらいも居てしまった。
なぜだかわからないが、行く先々で熊本の方には親切にしていただいた。滞在時間の関係もあり展覧会以外にはほんの限られた場所(夏目漱石の内坪井屋敷と、ラフカディオ・ハーン=小泉八雲の屋敷と、熊本ラーメンの店と朝鮮飴屋さん)にしか行かなかったのだがどの場所でも充実した時間が過ごせた。小泉八雲の『怪談』や夏目漱石の『草枕』『夢十夜』はこどもの頃どきどきしながら読んだ。二人とも好きな作家なのだが、この二人が奇しくも縁無き者同士ではないことは、今回初めて知った。いや、どこかで情報としては目にしたり耳にしたことがあったような気がする。でも自分の中ではつながっていなかった。今回自分の足で歩き、それぞれの場所に飾られているそれぞれの原稿を目にして、それぞれにその時代に生きた人なのだなあと、思った。
小泉八雲も、夏目漱石も直筆の原稿を見てみるとその人柄が偲ばれて面白い。直筆というものを見て最近面白いと思ったのは、先日高野山の霊宝館という博物館(美術館?)で開かれていた空海の書を拝したときであったか。空海といえば「弘法も筆の誤り」ということわざがあるほどに書が上手ということで有名だが、単に上手とかいう問題ではなく、『三教指帰』などはどうしたらこんなに迷いの無い字(内容もだけれども)を連ねて書けるのかと思うような字なのである。見たとたん、泣きそうになった。漱石の字を見て泣くわけではなかったが、でも彼の作品の中にある理屈っぽさとしゃれっ気の入り混じった具合というのがどこからくるのかが少し分かったような気がした。なんでも少し知ってみるものである。知れば少しだけ分かることも増える。
『MEGA DEATH』目当てに足を向けた熊本だったが、奇しくも熊本にも縁のある夏目漱石の作品『草枕』にこんな一節がある。
「人の世を作ったものは神でもなければ鬼でもない。やはり向こう三軒両隣りにちらちらするただの人である。ただの人が作った人の世が住みにくいからとて、越す国はあるまい。あれば人でなしの国に行くばかりだ。人でなしの国は人の世よりもなお住みにくかろう。
越すことのならぬ世が住みにくければ、住みにくいところをどれほどか、寛容(くつろげ)て、束の間の命を、束の間でも住みよくせねばならぬ。ここに詩人という天職が出来て、ここに画家という使命が降る。あらゆる芸術の士は人の世を長閑(のどか)にし、人の心を豊かにする故に尊とい。」
『草枕』の冒頭に近い一文である。かつても読んだことがある文章なのだが、なんだかいつもよりぐっとくるなのだった。