えこひいき日記
2007年3月2日のえこひいき日記
2007.03.02
どうかそんなに苦しまないでくれ、苦しむようなことをしないでくれ、と、私を思って言ってくださる方がいる。
私の精神状態と肉体的コンディションはかなり同期していて、悩んだり苦しんだりすると、割とすばやく胃が裏返ったり、心臓が止まりそうになったりするので、周囲の人間ははらはらするようだ。私とてマゾではないので、好き好んで自分を肉体的・精神的に追い詰めて苦しみたいわけじゃない。苦しんでいる姿を人に見せたいとも思わない。でも、避けて通れないときがある。
避けて通る方法はあるじゃないか、とある人は言う。割り切ればいいのだ、どうせ仕事だろ、相手の要求を読んで、それに最低限対応していれないい、そのくらいのこと、できるでしょう、と言う。
そういわれて、私は複雑な気持ちで腹を立ててしまう。わかっていない、私が何で苦しんでいるのか本当にはわかってくれない、と思って、そう言ってくれた人を睨み返しそうになる。苦しまなくていいんだよ、誰もそんなこと望んでいないよ、と、言ってくれることを心底ありがたいと思いながら、腹を立てている。それでは、私が死んでしまう、と思ってしまう。
なんてややこしいのだろう。こんな私一人が生きていくのは。肉体を供えた生命体としての私の命が存続しなければ、仕事もなにも出来なくなってしまうのだが、生物として生きているだけでは、私の命は完全ではないと思ってしまうのは、私のわがままと贅沢なのだろうか。かといって仕事のために生きる、などと思ったことはこれまで一度もない。仕事なんて私の一部に過ぎない。ただ、一部だからくだらないとも思わない。でも、所詮一部は一部なのだ。ややこしい。どんな方法で伝える事が出来るのだろう。自分でもややこしいと思っていることを、私でもない人に。
一方で、割り切らないで下さい、苦悩してください、と言ってくれる方がいる。
その先にあるものをみたいから、どうかそんなところで半端に死ぬな、と。それを聞いて私はやはり、鬼ぃ、オレをころす気か(関係ないけれど、「ころすきか」に変換キーを押したら「頃好きか」と出て、だまげた。なんやこれ)、と思ったりするんだけれども、ありがたいと思う。私の生命を労わる言葉よりも、私を生かしてくれそうに感じるのはなぜだろう。
私が生きているって、どういうことなのかなあ。死ぬまでにわかりたいと思って生きているんだけれども、わかるのかしら。