えこひいき日記

2007年4月11日のえこひいき日記

2007.04.11

実家の犬が逝った。13年間家族でいてくれた犬だった。

「リュウの具合が良くないのよ。もう一週間くらいろくに食べてくれない」と母が電話口で言ったのが数日前、祖父の13回忌法要当日の朝だった。リュウちゃんは柴犬で、祖父の死後すぐに家族に加わった犬である。本名(?)は「リュウ」なのだが、私は家にやってきたときの「動くぬいぐるみ」のような印象が強くて、勝手に「ぐるみちゃん」と呼び続けていた。気難しいところがある犬で、大人になってからは家族も手を焼くところがあったが、私は彼に恩を売ってある(先天性の股関節亜脱臼を治した?ことがあったので)あんまり怖い目にはあっていなかったが、それは別々に住んでいてたまにしか会わなかったからかもしれない。でもたまに会っても、私のことは忘れずにいてくれていて、基本的に機嫌よく顔を合わせていた。

法要の朝、実家に行ってみるとリュウは庭に横たわっていた。がりがりに痩せて、力ない様子ではあったが、春の日差しを浴びてお気に入りの場所に横たわるリュウは気持ちよさそうだった。弟や私が庭に下りていくと、大きくは動かなかったがちゃんと反応してくれた。「ごはんも水も摂らない」と両親は言っていたが、なるほど、目も、耳も、鼻も、よく利かないようである。だからスプーンに食べ物を乗せて差し出しても「異物を突き出された」ようにしか感じないらしく、反射的に仰け反って避けようとする。でも何かの拍子にそれが水やミルクであるとわかると、舐めたりしてくれた。「どうせだったらより栄養のあるものを食べてくれ」と説得(?)し、水よりはミルク、ミルクよりはスープ状になったごはんを食べさそうとするのだが、ミルクか水しか受け付けてくれなかった。それでも、自分からスプーンの中のものを舐めようとしてくれるのが嬉しかった。首もとや足に散ってしまったミルクをふき取るついでに、背中をマッサージしてやると気持ちよさそうに目を細めてくれた。
そのようにして少しだけ栄養補給した後に、リュウは急に立ち上がって庭の遠くの方をみていた。随分長い時間そのようにして立っていたと思う。何をするでもなく、ただ立って遠くをみている姿は、ぼんやりしているようでいて妙に集中しているように見えた。
「もう、あと数日だと思うのよ」と母は言った。「最後に、何をしてやったらいいのかなあ」と父も言った。生きていて、元気になってほしいと思いつつ、覚悟し始めていた。変な言い方だけれども、それが最後まで生きる、ということのように私は思う。

「今朝、逝ったのよ」と母から電話がかかってきたときに、私の脳裏に浮かんできたのは、春の日差しを浴びて気持ちよさそうにしているリュウの姿であり、すっくと立って庭の遠くをみているリュウの姿だった。
夜になって、実家に行った。「まだやわらかいのよ。ネリノ(以前亡くなった猫)の時はカチカチになったのに」と母が言っていたが、妙なもので、目の前にいるリュウの方が、がりがりになってミルクを飲んでいたときよりもふっくらしてみえる。病院で受けた点滴のせいなのかもしれない。般若心経をあげて、「家族でいてくれてありがとう」と言ってみた。死んでしまっているのはわかるのだが、でもまだ何かがそこにいるような気がした。起き上がってこないのはわかっているのだが、不意に起き上がったりしないかしら、などとも思った。けして悲しみのあまりに感情で言っているのではない。本当に、そんな気がしたのだ。

そんなことを普通に思ってしまったのも、つい数日前に祖父の13回忌法要があったからかもしれない。法要に際してみて、私は祖父のポジションが今までと違うものになっていることを感じた。家族も、死者も、関係は変化するのだ。当然のことかもしれないが。
祖父が死んだばかりのとき、あるいはその後の数年間は、亡くなってもなお「生きている家族と同様」に認識していたような気がする。「家族」という言葉を使うときに、祖父はその「生きている家族」の中にいたと思う。でも13回忌に際して感じたことは、13年かかって祖父と私たちの関係が変化しているんだ、ということだった。祖父は「家族」というよりは「先祖」と呼ばれる「家族」の場所にゆっくりと移っていっているのだ、ということを改めて確認したような気がした。祖父は、今、死んで、いるのだ。生きて、いるのとは違う。でも、そういうかたちで存在(生きて)いるのだ。「家族」の中に。そう思った。
考えてみれば祖父が亡くなってからの13年間の間に、いろいろなことがあった。こちら側にいた祖父の知る何人かの人はあちらの世界に行き、こちらの側には祖父の(を)知らない家族が増えたりした。リュウもそうだった。祖父の死後の日々を、きっちり13年間、支えてくれた。
私が日本に帰ってきたのは祖父の亡くなる前の日の夜だった。だから祖父の死は、私にとって一つの「基準線」であり「スタート」でもあった。日本に再び帰ってくることの。日本で仕事を始めることの。祖父は私の仕事を知らない。私は今祖父の「死後」のこちら側に居るんだ・・・13年経ってみて、私はそのことをやっと実感として理解したような気がする。

リュウは死んだばかりだから、キャリアのある立派な死者とは違う。全然感じが違う。死にたてのほやほやって、けっこう生々しいものだ。そして、疲れる。この新しい関係の始まり。ほやほやすぎて、私はまだリュウをどうあつかっていいのかわからない。「生者」じゃない、とわかっている。でも、やはりまだ「死者」あつかいはできない。ほやほやすぎて。
でも多分、そのうち新しいリュウの居場所が私の中に出来ていくのだと思う。そうやって私も最後まで生きていけたら、と思う。
リュウちゃんが家族になってくれたことには、本当に感謝である。ほんとに、ありがとう。

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